第十四幕 傭兵志士リカルド

(……さて、これでお膳立て・・・・は整ったけど……本当に来るのかしら?)


 トレヴォリの街中にある比較的高級な宿。ナゼールに紹介されて費用も出して貰ったので、ディアナを始めヤコブやバジル、その他兵士達も全員同じ宿に泊まっている。(勿論部屋は別だが)


 ディアナは当然一番上等の個室に泊まっているが、すぐ隣室にはバジルとヤコブがいるし、ディアナの部屋の前には連れてきた兵士達が交代で見張りについている。


 この状況で何か間違いが起きるとも思えず、しかしさりとて不自然に警備を緩めれば怪しまれて作戦そのものが失敗しかねない。この警備体制を潜り抜けてディアナに何かしようなど、並大抵の難易度ではない。


 もしかしてこのまま何事も無く終わってしまうのではと思ったディアナが、高価なベッドに横になってウトウトし始めた時……



「――動くな。声も立てるな」



「――――なっ!?」


 唐突に間近で聞こえた押し殺したような男の声に、ディアナの意識は一気に覚醒した。彼女に半ば覆い被さるような形で一人の男が抜き身の刃を突き付けていた。


 それはナゼールの屋敷で会った、あのリカルドという用心棒であった。この宿に敷かれた警備体制をどのように潜り抜けてきたのか……。この男の強さならそんな離れ業も大した難事ではないのかも知れない。


 そう納得できてしまうディアナであった。



「声を出すなって言っただろ。ちょっと眠っててもらうぜ」


「……! がっ……」


 反射的に叫び掛けた彼女の首筋に、リカルドの手刀が撃ち込まれる。ディアナは一瞬で意識を刈り取られて気絶してしまった。


 まさに一瞬の出来事であった。リカルドはそのまま気を失ったディアナを担ぎ上げると、部屋の窓から躊躇う事無く夜の暗闇に身を投じる。後には誰もいない部屋だけが虚しく残されていた。




*****




「く……う…………うっ!?」


 誰かに頬を叩かれる感触で、ディアナは強制的で不快な眠りから目覚めさせられる。


「やあ、お目覚めかな、ディアナ殿……いや、ディアナよ」


「っ!! あなたは……!」


 ニタニタした下品な笑みで彼女を見下ろしているのは、気を失う前のリカルドではなく、その雇い主であるナゼールであった。


 気絶する前と同じように高級なベッドに寝かされていたが、当然宿の部屋ではなく、恐らくナゼールの屋敷の寝室と思しき部屋だった。



「く……こ、ここは? 何故私を……!?」


 ディアナは起き上がろうとして、自分の手足が縛られている事に気付いた。これでもう三度目だ。ナゼールがそんな彼女の姿を嘲笑う。


「くくく……飛んで火にいる何とやら、だな。お前の身柄を『あのお方』に献上すれば、間違いなく大手柄だ。フレドリックの奴を追い落として、俺が『あのお方』の側近に抜擢されるかも知れん」


「あ、『あのお方』……!? それではお前は……」


 ディアナが大仰に驚くと、ナゼールは優越感に満ちた表情で頷いた。


「いかにも。俺は『あのお方』の率いる組織の一員よ。まさかお前の方から俺の懐に飛び込んできてくれるとはな。俺は運がいい」


「……!」

 バジルがほぼ断定してはいたが、本人の口からはっきりとそれを認める発言。ディアナは大きく目を見開いた。フレドリックのような豪商やゾランのような太守だけでなく、こんな裏家業の高利貸まで仲間に引き入れているとは、『あのお方』とやらの一味はどれ程の規模なのか。



「何故……!? 何故あなた達は私を!? 私が一体何をしたと言うの!?」


 ディアナは叫ぶように詰問していた。それはここ最近ずっと彼女を悩ませてきた疑問だった。どう考えてもこんな連中に執拗に狙われる理由が解らない。


 するとナゼールは笑いを引っ込めてかぶりを振った。



「……理由。理由か……。そんなものはない・・・・・・・・のだよ」



「……え?」

 ディアナは一瞬何を言われたのか解らず目を瞬かせた。


「『あのお方』はただお前が目障り・・・なだけなのだ。若く、美しく、それによって民や世間の興味や注目を集めるお前が目障りで疎ましくて仕方がない。ただそれだけなのだよ」


「な…………」


 今度こそ彼女は絶句してしまう。ナゼールが嘘を言っているようには見えない。そもそもこの状況で敢えて嘘を吐く理由がない。


(目障り? 疎ましい? たったそれだけの事で私を殺そうと……?)


 二の句が継げない彼女の様子に、ナゼールはうっそりと笑う。


「何とも理不尽な話よな? だがこの世は得てして理不尽なものなのだ。つまりお前がこれから理不尽な目に遭うのも世の理という訳だ」


「……っ! な、何をする気!?」


 ナゼールの様子に不穏な物を感じ取って、ディアナは寝台の上で身を固くする。ナゼールは構わず自らも寝台の上に乗ってくる。


「ふ、ふ……素晴らしい。こんな上物・・を、ただ何もせずに献上するなど余りにも勿体ない話。その前に味見・・するのは、捕えた功労者の当然の権利よな?」


「……っ!!」

 ディアナの顔が青ざめて引き攣る。ナゼールの意図は明らかだ。彼女は激しく焦った。



(く……もう少し……もう少しで……!)


 実はナゼールと会話していた時から、相手に気付かれないように注意しながら続けていた作業・・があった。


 バジルの提案で、縛られる事を予想して最初から衣服の背中側の裾部分に尖った金属片を縫い付けて仕込んであったのだ。


 ここで目が覚めてからナゼールと会話している間に、その金属片を取り出して拘束している縄を切る作業を続けていたのだ。だがそれが終わる前にナゼールが辛抱堪らず襲い掛かってきてしまった。



「ふふふ、大人しくせんか! すぐに気持ちよくしてやるぞ?」


 ナゼールは興奮に鼻息を荒くしてディアナの服を捲って、その脚に無遠慮に手を這わせる。ディアナはその感触に、全身鳥肌が立つような怖気に襲われた。


 最早一刻の猶予も無い。相手にバレないように小さな動きだけでは間に合わない。ディアナは思い切って大胆に手を大きく動かして縄を切ろうとする。


(早く……早く……! …………っ!! 切れたっ!)


「おぉ……この瑞々しい感触! 素晴らしい…………ん? お前、何を持って――」


 夢見心地でディアナの張りのある瑞々しい肌を堪能していたナゼールだが、彼女がなりふり構わず大きな動きをし出した事でようやく不審を抱いたらしい。だがその時には既に彼女は拘束を切っていた。



「離れなさい、慮外者っ!!」

「おごわっ!?」」


 ディアナの怒りの鉄拳がナゼールの顔面にもろに炸裂した。少女とはいえ鍛え上げられた武人の拳打だ。特に武芸に秀でている訳ではないナゼールは、その拳を喰らって盛大に鼻血を噴き出しながら、もんどり打って寝台から転げ落ちる。


 ナゼールが悶絶している内に、ディアナは素早く足の縄も解いた。そして部屋の内装に視線を走らせる。壁に立てかけてある装飾用の剣が目に入った。装飾用とはいえ、きちんとした剣ではあるようだ。


(あれなら……!)


 ディアナはその壁に駆け寄ると、剣を鞘から抜いた。その時悶絶していたナゼールがようやく起き上がってきた。その目は憤怒に燃え上がっている。


「こ、小娘ぇ…………ぅひっ!?」


 だが目の前の剣の切っ先を突き付けられると、一転して情けなく悲鳴を上げた。



「形勢逆転ね。さあ、『あのお方』とやらの正体、それにあなた達の目的も、洗いざらい喋ってもらうわよ?」


「き、貴様……俺にこんな事してただで済むと――――ぎべっ!!」


 ナゼールの鼻面に再びディアナの拳がめり込む。先程よりも大量の鼻血を噴出して悶絶するナゼール。


「うるさい! 私は今、非常に気が立ってるのよ。誰かさんのせいでね」


「あ、あががが……」


 ナゼールの押さえた手の下から止め処なく血が滴り落ちる。鼻血が止まらなくなったようだ。


「あら、鼻が折れちゃったみたいね? 御免あそばせ? それじゃ次はどこをぶって欲しいのかしら、子豚さん?」


 ディアナがその目に常ならぬ酷薄な光を宿して、再び殴りつけるポーズを取る。他者を恫喝して暴力を振るう事には慣れていても、自分が容赦ない暴力に晒される事には全く耐性がないらしいナゼールは、それだけで容易く怯えをその目に宿した。


「びぃぃっ! まで! まっでぐれっ! 言う! 言うがら、もう殴らないでぐれぇっ!」


「…………」


 鼻が潰れた濁声で許しを請うナゼールに、ディアナは無言で続きを促す。



「うぅ……あ、『あのお方』どは………………やれっ!!」



「っ!?」


 ナゼールの視線、そして合図によって、ディアナは辛うじて反応が間に合った。いつの間にか彼女の背後に迫っていた何者かの凶刃が迫るが、ディアナは間一髪振り向きざまに剣を掲げてその凶刃を受け止めた。激しい金属音が鳴り響く。


「……旦那ぁ、教えないで下さいよ。そのせいで避けられちゃったじゃないですかい」


 それはナゼールの用心棒、ディアナをここに拉致した下手人でもある傭兵のリカルドであった。やや反りの強い独特な形状の刀を携えている。


(……! 現れたわね! ここからが本番ね……!)


 ディアナは意識を切り替える。ナゼールの尋問で直接情報を聞き出せなかったのは残念だが、あれはその場のノリというか元々作戦には無かったものだ。それに固執して肝心の作戦に支障を来たしては本末転倒だ。



「ぐ、ひひ……小娘ぇ、またもや形勢逆転だなぁ? 俺をこんな目に遭わせてくれたんだ。楽には殺さんぞ? 思いつく限りのありとあらゆる拷問で縊り殺してやる……!」


 這いつくばるように移動してリカルドの後ろに隠れたナゼールが、鼻血で汚れた顔を醜悪に歪めて嗤う。それに対してディアナは……


「ふっ!!」

「……!」


 剣を振り上げてリカルドに斬り掛かる……事は無く、逆に踵を返すと一直線に部屋の窓に駆け寄る。そして鎧戸を叩き割るようにして、躊躇いなく窓の外に身を躍らせた!



「んなっ!?」


 ナゼールは勿論、リカルドすら意表を突かれて驚愕する。ここは2階なのでそれなりの高さがあるのに、ディアナは躊躇う事無く飛び降りたのだ。


 リカルド達が慌てて窓に駆け寄ると、階下の敷地に無事着地したディアナがそのまま敷地を抜け出して逃走していくのが見えた。


「はは! おいおい、中々やるじゃねぇか、あのお嬢ちゃん! 大した身のこなしだぜ!」


 リカルドが感心したように口笛を吹くが、対照的に雇い主のナゼールは額に青筋を立てる。


「何を笑っておる! あの小娘を絶対に逃がすなっ! お前なら追いつけるだろう!? 追え! 今すぐ追わんかぁっ!」


「おいおい、落ち着きなって、旦那。逃げちまったんなら仕方ないだろ。今はそれよりも資金集め・・・・の任務を優先すべきでしょう? 俺にはこのタイミングであの嬢ちゃん達がこの街に現れたのが、どうにも偶然とは思えないんですよねぇ。俺がここで工房・・の警備から抜けて嬢ちゃんを追いかけるのは、余り得策とは言えない気がしますがね……」


 リカルドが雇い主を宥めようとする。今彼等が行っている事業・・は、この街の官憲に発覚したら問答無用で逮捕され死罪になるレベルの犯罪だ。その証拠の管理と警備には細心の注意を払う必要がある。


 リカルドとしては、その警備を放り出してあの少女を追う事が得策とはどうしても思えなかった。だがナゼールは激しくかぶりを振った。


「工房の警備は他の私兵に任す! お前はとにかくあの小娘を追え! 雇い主の命令が聞けんのか!?」


 どうやらディアナに痛めつけられた挙句にまんまと逃げられた事で、完全に逆上して冷静な判断力を失っているらしい。リカルドは肩を竦めた。雇い主の不興を買ってまで諫言する義務はない。彼は常に雇用契約に忠実な事を信条としていた。


「へいへい、解りましたよ。それじゃ一丁、美少女狩りといきますか!」


 リカルドはディアナと同じように窓から飛び降りると、軽やかな身のこなしで着地しそのまま追跡を開始するのだった。


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