第十五幕 双刀の脅威
「はっ! はっ! ふぅ! はぁっ!」
夜の路地を少女の激しい息遣いと足音が駆け抜ける。ディアナだ。ナゼールの屋敷から脱出した彼女は一路、表通りへの道をひた走っていた。
ナゼールの屋敷は表通りからは離れた界隈に建っていたので路地から抜け出すのには時間が掛かる。だがディアナは迷わない。予めバジルと
しかししばらく走っていると、やがて後ろから強烈な闘気を纏った気配が凄まじい勢いで追い縋ってくるのを察知した。
(……! 上手く掛かってくれたわね! でも……とても逃げ切れそうにないわね。こうなったらやるしかない!)
一瞬の判断の後、ディアナは路地の比較的広いスペースになっている場所で足を止めた。そして必死で呼吸を整えて迎撃態勢を取る。どうせ逃げられないのなら、これ以上余計な体力を消耗する前に迎撃を選択すべきだと判断したのだ。
そう待つ事も無く、路地の向こう側から1人の男が姿を現した。
「んん? 何だ、鬼ごっこはもう終わりかい? まあ賢い判断ではあるか」
凄腕の傭兵リカルドだ。驚くべき事に、その
「無駄な抵抗はやめて大人しく降参…………する訳ないよな、まあ」
剣を構えて臨戦態勢を取るディアナの姿を見て嘆息するリカルド。どうも余り彼女の追討に積極的ではない様子だ。ディアナとしてもなるべく戦わずに時間が稼げればそれに越した事はなかったので、気になっていた事を聞く。
「それはまさか二刀流ですか? 二刀流は廃れて道場は現存していないと聞きましたが……?」
義兄のシュテファンから聞いた話なので確かだろう。剣が一本より二本持っていた方が単純に手数が増えて強い。素人ならそう考える者もいるかも知れないがそれは間違いだ。
手数が増えるという事は、意識を割く対象が増えるという事でもある。ただでさえお互いの命の取り合いという極限状況の中で、相手の一挙手一投足に意識を集中しなければならない環境では、自分の得物一本を扱うのがやっとだ。
下手に両手に武器を持って戦おうとすると却って注意力が散漫になり、攻撃も防御も中途半端になってしまう。二刀を実戦で耐えるまでに昇華させるには、相当の厳しい修練と天賦の才が必要なのだ。
それ故により実用的なアロンダイト流を始めとした一刀流が主流となり、二刀流は廃れて姿を消したと言われている。
「ほぉ? よく知ってるな、お嬢ちゃん。確かに二刀流……フラガラッハ流双剣術はとうの昔に正規の剣術としては廃れちまった。だが完全に遣い手がいなくなった訳じゃない。僅かな伝承者達は雌伏して、その技術を連綿と受け継いできていたのさ。まあ俺がこの剣術を習得する切欠はホントにただの偶然だったがね。あのイカれたギュスタヴの爺さん、まだ元気でやってんのかね?」
ギュスタヴというのは彼の師匠の名前だろうか。いずれにせよリカルドの身のこなしや闘気は間違いなく伊達ではない。彼は二刀流を完全に使いこなしていると考えたほうがいいだろう。
扱いが難しくて廃れた二刀流だが、反面それを使いこなせるだけの戦闘センスの持ち主が習得すれば、恐ろしい剣鬼が誕生する事になる。ディアナは自分の頬に冷や汗が伝うのを自覚した。
できればこのまま会話だけで何とか時間を稼げないか頭を働かせようとするが……
「はぁ、はぁ……ようやく追いついたぞ! よくやった、リカルド。もう逃げられんぞ、小娘ぇ!」
「……!」
何とナゼール自身がこの場に現れた。どうやら余程ディアナに対して怒り心頭で、彼女が無様に敗北して捕らわれる姿を一目見ようとこの場に駆けつけたらしい。
ディアナは舌打ちした。これでリカルドとの戦闘は避けられなくなってしまった。ナゼールは自分が戦う訳でもないのに調子に乗って彼女を挑発する。
「くひひ! ほれ、どうした!? 命乞いしてみろ! 今すぐ素っ裸になって這いつくばって許しを請え! そうすれば――」
「――うるさいっ!」
「うひぃ!?」
ディアナは自らの苛立ちをぶつけるように剣振音と共に威嚇してやると、ナゼールはあっさりと身体をビクつかせて縮こまる。先の屋敷での一件が軽くトラウマになっているようである。そんな雇い主を見てリカルドが嘆息する。
「……旦那ぁ、そこに立ってられると邪魔なんで引っ込んでてもらえますかね?」
「……! う、うむ、そうだな! 後は任せるぞ、リカルド! 必ずこの小娘を捕らえるのだ!」
命令だけして、そそくさと再びリカルドの後ろに隠れて距離を取るナゼール。リカルドがかぶりを振った。
「悪いな、嬢ちゃん。あんなのでも雇い主なんでね。そして一度雇われたら雇い主を絶対に裏切らないのが、俺の傭兵としてのポリシーなのさ」
リカルドの身体から闘気が噴出する。やはり戦いは避けられないようだ。傭兵という職業はモラルの低い者も多く、平気で雇い主を裏切ったり、相手がより良い条件を提示するとあっさりと鞍替えしたりといったケースも珍しくない。
このリカルドは傭兵ながらそういった連中とは、剣の腕だけでなくモラル面でも一線を画するようだ。敵ながらその信念には敬服するものがある。だが少なくとも今この状況に限って言えば厄介な信念でもあった。
「……私はお前達には決して屈しはしません!」
ディアナもまた剣を構えて闘気を発散させる。それを受けてリカルドが一瞬驚いたように目を瞬かせる。しかし直後には皮肉げな笑みを浮かべる。
「……ホントいい女だよなぁ、あんた。見た目だけの話じゃない。……もっと違う状況で出会いたかったもんだが、ま、これも運命ってヤツかね」
「はあぁぁぁっ!!」
ディアナは先手必勝とばかりに自分から攻勢を仕掛ける。二刀流相手に受けに回るのは愚策だ。
斬り下ろしの一閃。しかし初撃はリカルドが身を逸らした事であえなく回避される。しかしディアナは躱される事を予想していて即座に追撃。今度は跳び上がるような勢いで突きを放つ。
「……!」
リカルドが僅かに目を見開いた。そして初めて刀を動かして彼女の攻撃を受けた。激しい金属音が鳴り響き衝撃が伝播する。
「おいおい、話に聞いてたより全然やるじゃないの!」
リカルドの声には驚きと僅かな称賛が入り混じっていた。ディアナは言葉ではなく攻撃で答える。次々と剣閃を煌めかせる。勿論どれもが全霊の一撃だ。
「むん!」
リカルドも完全に真剣な表情となって、その二刀を操ってディアナの攻撃を捌く。やはりというか彼の二刀流は伊達ではないようで、どちらの刃もディアナの動きに完璧に対応していて、それでいて彼女の斬撃を受け止めてもビクともしない頑健さだ。
しかしディアナはそれが分かっていても怯む事無く、絶え間ない攻勢を仕掛け続ける。だが無情にもどれだけ攻め立ててもリカルドの二刀の牙城は崩れる事がなかった。
その内に彼女の攻撃に対応してきたリカルドが反撃に刃を薙ぎ払ってくる。
「くっ……!」
ディアナは歯噛みして大きく飛び退る。攻勢が強制的に中断されてしまった。これで完全に仕切り直しだ。
「……正直あんたを見くびってた。俺もちっとばかし真面目に行かせてもらうぜ」
「……!」
リカルドが二刀を構えると一気に踏み込んできた。恐ろしい程の速さだ。ディアナは辛うじて反応するのが精一杯であった。
一瞬で肉薄したリカルドが一方の刃を薙ぎ払う。凄まじい剣速だ。剣を掲げてその斬撃を受け止めるが、刃を通して衝撃が彼女の手を痺れさせる。
しかし体勢を立て直す間もなく、視界の隅で刃が煌めく。
「……っ!」
ディアナは半ば本能的な動きで身を逸らせる。直前まで彼女がいた位置を刃が通り抜ける。リカルドのもう一方の刀によるものだ。
ディアナは必死に距離を取って体勢を立て直そうとするが、縦横無尽に振るわれるリカルドの二刀がそれを許さない。
相手が一刀流であればどれほどの剣技、剣速の持ち主でも武器が一つであるが故に、必ず振り抜きや引き戻しなどの間隙が発生する。受けに徹していればその隙を見極める事で体勢を立て直すのは可能だ。無論相手の技術によっては困難を極めるだろうが。
しかし二刀流を使いこなせる相手だと、その間隙を埋めるようにもう一方の剣が襲い掛かってくるのだ。
体勢を立て直すどころではなく、自分が斬られないように必死に身を護るので精一杯だ。結果としてディアナはリカルドの二刀に対処しきれずに猛烈な勢いで追い込まれていく。
それでもあきらめずに食い下がるディアナ。リカルドはまだ本気を出していないので辛うじて持ち堪えているような物だ。
すると唐突にリカルドが後ろに下がって距離を取った。ディアナは降って沸いたインターバルに必死に呼吸を整える。
「はぁ! はぁ……! ふぅ……! はぁ……!」
「……確かに完全に本気じゃないが、それでも真面目にやってた。その俺の攻撃をまさかここまで耐えきるなんてな。本当に大した玉だよ、あんたは」
世辞抜きの心からの賛辞。だがそれはこの状況ではなんの慰めにもならない。何故ならリカルドから発散される闘気が明らかに研ぎ澄まされ、雰囲気が変わったからだ。
ディアナはそれを感じ取って無意識の内に後ずさった。
「だがそろそろ限界のようだな。……終わりにしようや」
(……っ! 来る……!)
ディアナは冷や汗を滲ませながら剣を構えて警戒する。リカルドに本気で攻撃してこられたら正直耐え切れる自信は無い。
緊迫した一瞬。そして本気になったリカルドが一歩踏み出そうとしたその時――
「――そこまでだっ!」
「……!!」
突如制止の声が響き渡り、戦場となっている路地裏の広場に武装した20人ほどの兵士達が踏み込んできた。彼等は皆、ディアナと一緒にこの街に随行してきた兵士達であった。当然彼等を率いて今の制止の声を上げたのは……
「バジル様!」
それはディアナが待ちに待っていたものだった。逆に離れた所から戦いを見ていたナゼールが動揺した様子になる。
「お、お前ら、この小娘の!? 邪魔する気か!? リカルド、こいつらも殺してしまえっ!」
ナゼールは慌ててリカルドの側に避難してきて命令する。確かにリカルドの強さなら兵士の20人くらい斬り捨てる事は充分可能だろう。だがバジルは不敵な笑みを浮かべてナゼール達を睥睨する。
「そんな事をしている暇があるのか? もうすぐ太守の命を受けたこの街の衛兵達が踏み込んでくるぞ? そうなればお前達は問答無用で死罪だな」
「な、何だと……!?」
目を瞬かせるナゼールに構わず、バジルはディアナの方に視線を向けて頷いた。
「ディアナ、作戦は成功だ。お前がこいつらを引き付けてくれていた間にナゼールの屋敷に踏み込ませてもらった。そして証文を偽造している地下工房を発見した。今ヤコブが太守の元に通報に向かっている」
「な、なな……っ!!?」
ナゼールが目の玉が飛び出そうな程に驚愕する。その隣ではリカルドが苦笑しながらかぶりを振っていた。
「なるほどなぁ……。やっぱり仕組まれてたって訳かい。俺達を引き離して手薄になった屋敷を強襲してあの地下室を見つけたのか。確かに
バジルがあえて地下工房という言い方をしているので、ハッタリではなく本当に発見して証拠も押さえたのだろう。となると官憲が間もなく自分達を追って来るのも本当のはずだ。
リカルドは雇い主の方を振り返った。
「旦那、ここは逃げの一手ですぜ。俺も流石に1人で官憲に楯突けませんし、もたもたしてたら捕まって縛り首になっちまいます。まずは金よりも自分の命を優先するべきじゃないですかね?」
「……っ! お、おお……おのれ、おのれぇ、小娘ぇぇぇっ……!!」
流石にナゼールも状況が判断できないほど愚かではないようだ。いや、本来は狡猾で悪知恵が働く筋者なのだ。でなければ裏社会であれほどの財産は築けない。ただディアナに対する恨みや憎しみに染まって冷静さを失っていただけなのだ。そしてそれが命取りになって、この街にある全ての財産を失う事になった。
ナゼールは視線だけで人が殺せそうな目でディアナを睨み付ける。
「覚えていろ……! 今度は俺がお前の全てを奪ってやるぞ……!」
「……っ」
好色、侮蔑、嗜虐、殺意……今まで様々な負の感情を浴びてきた経験のあるディアナだが、
「旦那! 行きますよ!」
だがリカルドがナゼールを促して走り出したのでそれも中断され、彼女はちょっとホッとする。すると今度はリカルドが彼女の方に視線を向けてきた。しかしそれはナゼールとは対照的な敵意の無い視線であった。
「お嬢ちゃん、俺もあんたとはまた会えそうな気がするぜ。その時まで死ぬなよ!?」
それだけを言い置いて、後はナゼールを連れて路地の闇の中に消えていく。本当はナゼールを捕えたかった所だが、リカルドがいるのでそれは不可能だろう。残念だがここはやり過ごす他ない。
2人の気配が完全にこの場から消えた事を確認して、ディアナはふぅ……と息を吐いて、その場にへたり込んだ。正直、体力気力共に限界だった。
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