第十二幕 反攻開始(Ⅱ) ~いざ虎穴へ


 しかしそうなると別の疑問が湧く。金を出すつもりがないなら、そもそも何故彼はヤコブをここに連れて来たのか。彼女の疑問を感じ取ったバジルが頷く。


「こいつは多少酒癖が悪く金遣いが荒い所はあるが、基本的には優秀な官吏だ。家族だっている。いくらなんでも100万ジューロなんて借金を背負うほど馬鹿じゃない。ましてや高利貸なんぞにな。不審に思って調べてみたら……当たり・・・だった」


「当たり?」


「ああ。その高利貸……シャルロワ商会というんだが、そこの主であるナゼール・ロジェ・シャルロワという男。こいつがどうも、例の『あのお方』とやらと繋がりがある可能勢が高い事が解ったんだ」


「っ!!」


 『あのお方』という言葉を聞いたディアナは、一瞬身体をビクッと震わせ大きく目を見開く。バジルはその反応に目を細めつつも敢えて触れずに話を続ける。


「更にヤコブにも聞いて詳しく調査してみると、主にバルディア郡を中心としてヤコブの他にも小金持ち達が身に覚えのない借金を背負わされて、ナゼールの奴に強引に財産を没収されているらしい事が判明した」


 バルディア郡というのはリベリア州の北西部にある郡で、ヤコブがいたトレヴォリの街を含んでおり、フランカ州、ハイランド州、ガルマニア州と3つの州と境を接している。


「怪しいと思わないか? フレドリックの奴が『あのお方』とやらの存在を示唆し、他の街の太守も抱き込んでいる事が解って……。しかも『あのお方』の弟がお前との敵対を明確に宣言した。そんな矢先に『あのお方』の仲間であるナゼールが強引な手法で急に資金を集め出している」


「……!」


「俺にはどうにもきな臭い物に感じられてな。調査の必要ありと考えて、お前も興味があるんじゃないかと思って今日話を持って来たんだ」


 確かに事が『あのお方』に関わる案件となれば、ディアナとしては無関心ではいられない。というより目下最優先事項でもある。



「確かに興味はありますけど……何故私に直接教えて下さったんですか? そういう話はアーネスト様や兄上も興味を持ちそうな物ですが」


 アーネストはディアナが戦いに加わる事を認めはしたものの、それでも自分だけで処理できる案件があれば敢えてディアナには知らせずに処理しようとするはずだ。シュテファンも基本的には同じスタンスだろう。


 ディアナとしては本意ではないが、バジルが最初から彼等に話を持っていった場合、彼女はこういった事件が裏で起きている事すら知らないままだったはずだ。


 バジルがかぶりを振った。


「……まあ一種の俺なりの詫び・・のようなものだ」


「え……?」


「俺はアーネストの『暴走』を止められなかった。言い訳になってしまうが、あの時の奴の様子は鬼気迫る物があって誰も異議を唱えられる雰囲気ではなかったんだ」


「…………」


 その点に関しては彼女にも想像がついた。曲がりなりにも君主であるディアナを事実上軟禁してしまった程だ。あの時のアーネストは明らかに異常だった。


「だが俺には解っていた。お前は誰かに庇護されて、守られたままでいる事を良しとする女じゃないとな。そして実際にアーネストもそれを認めざるを得なくなった」


「…………」


「だから今回の件に『あのお方』が絡んでいると知って、お前に直接話を通す事にしたんだ。奴等との戦いに関して蚊帳の外に置かれるのはお前の本意ではあるまい?」


 バジルの問いにディアナは力強く頷く。


「……! 勿論です! 良く知らせて下さいました。ありがとうございます、バジル様! 必ず奴等の企みを突き止めて阻止しましょう! もしヤコブ様の借金が奴等に仕組まれた物であるなら、それについても解決できると思いますし」


「おお……! あ、ありがとうございます、ディアナ様! どうぞ宜しくお願いします!」


 ヤコブがホッとしたような顔つきで取り縋らんばかりの様子となる。ディアナはそれに苦笑シテ頷きつつバジルに向き直る。



「それで……具体的にはどうするのですか? ただ借金を帳消しにしてくださいなんて言った所で無駄ですよね」


 ディアナにも流石にそれくらいは解る。恐らくバジルの中では既に計画があるのではないか。


「勿論だ。それに借金そのものは証文を押さえられてるから手が出せん」


「くそ……! あんな物、絶対に書いた覚えはないぞ!」


 ヤコブが忌々しそうに唸る。


「しかし証文は実際にあった。ヤコブが書いていないとすると……偽造・・が行われている可能性が高い」


「……!!」


 証文の偽造行為は帝国では厳重に禁止されている重犯罪だ。発覚したら死罪もあり得る。例え戦乱の世であっても、いや、戦乱の世だからこそ、為政者である諸侯らはこうした犯罪行為に人一倍目を光らせて取り締まっている。


 今は戦乱と言ってもその内実は帝国の諸侯同士による内乱なので、自領での重犯罪を放置していた、加担していた等という悪評が出回れば民からの信用を失い、ひいては他の諸侯に付け入る隙を与える事になる。



「といってもそう簡単に証拠を掴ませる連中じゃないだろう。正攻法で行っても尻尾を掴むのは不可能。ならば……奴等の注意を他に向けて・・・・・、その隙に証拠を探す」


「他に向けて……?」


 ディアナは首を傾げた。証文の偽造など細心の注意を払って行われているだろう重罪に、それに注力する者達の意識を逸らせる物などあるのだろうか。だがバジルは意味ありげな笑みを浮かべる。


「ようはあのクリストフがやった事と同じだ。もっと大きな餌・・・・・・・を目の前にぶら下げてやれば、奴等は必ず飛びつくはずだ。それこそ大事な証拠を放り投げてまでな」


「クリストフ様と同じ……? あっ! ま、まさか……『私』の事ですか!?」


 ディアナが素っ頓狂な声を上げる。バジルは我が意を得たりと頷く。


「そうだ。俺の見立てではお前が最初に襲われたフレドリックは、恐らく奴等の組織ではかなりの重鎮のはずだ。そんな男があれだけ大掛かりな罠を仕掛けてお前を亡き者にしようとした。そして『あのお方』の弟だというユリアンもお前に執着している様子との事。今現在、奴等の中ではお前は『最も優先すべき対象』となっている可能性が高い」


「……!」


「そんなお前が手の届く所に現れれば、ナゼールの奴もお前に注意が向いて、証文偽造の証拠の管理がおざなりになる可能性は大いにある」


「つまり……また私を囮に使うと?」


 ディアナの問いにもバジルは全く悪びれる事無く首肯した。


「そういう事だ。前回のチリアーノの件から時間が経てば経つほど奴等の警戒も強まり、この手は二度と通用しなくなるだろう。やるなら今しかないという訳だ」


「…………」


 ディアナは考え込む様子となる。それも当然だろう。あなたを囮にしますと宣言されて、はいそうですかという訳にもいかない。



「し、しかし大丈夫なのか? もしディアナ様があいつらの手に落ちたりしたら、命の危険があるんじゃ……」


 ヤコブが遠慮がちに苦言を呈する。自分の借金は何とかして欲しいが、さりとて自分が持ちかけた話でディアナに何かあれば、下手をすると彼の責任にもなりかねない。そんな複雑な感情が見え隠れするヤコブに、バジルは解っているという風に頷く。


「以前フレドリックに襲われた時とは既に状況が違う。ユリアンという変態野郎がディアナの事を見初めているらしいとなれば、まずいきなり殺すという事には絶対ならんはずだ。必ずそのユリアンに対してディアナを『献上』しようと、生け捕りにするという方向で動くはずだ。勿論それでも危険はあるが、脱出手段さえ予め講じておけば――」


「――やります。やらせて下さい」


 バジルの説明を遮るようにディアナが宣言した。バジルは彼女の方に向き直る。


「いいのか? 危険な事に変わりはないし、これは勿論強制ではない。お前が嫌だと言えば他の――」


「もう私の心は決まっています。危険は承知の上です。その上で私は逃げない、奴等と戦うとアーネスト様にも表明したのです。ならば何も迷う事はありません。それにバジル様はこうして私に作戦を打ち明けて選択肢を提示してくれました。 私が自分で判断して選んだ道です。後悔はしません」


 言葉通り彼女の心に迷いは無かった。正体不明の連中に理由も解らず付け狙われるのは、正直もううんざりだった。連中に対しての怒りもあった。この鬱憤や怒りを晴らすには、やはりこちらから攻勢に出なくてはならない。


「……良い覚悟だ。であるなら行動は早ければ早い程いい。政務の方は俺が調整しておくので、それが済み次第ナゼールの拠点でもあるトレヴォリの街まで向かうぞ。準備しておいてくれ」


 詳細を詰めてからバジルとヤコブが退室していく。それを見届けながらディアナは、今回で必ず奴等の尻尾を掴んでみせると内心で意気込んでいた。

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