反攻開始

第十一幕 反攻開始(Ⅰ) ~守銭奴

 ゴルガの街は軍師アーネストの『暴走』によって一時戒厳令が敷かれていたが、現在はそれも解かれ、街は基本的に周辺勢力との小競り合いは日常茶飯事の戦乱の世であるという事実を別とすれば元の平穏と活気を取り戻していた。


 それは政庁たる宮城も同じ事で、少女君主ディアナが政務に復帰し、アーネストやシュテファンら重鎮も含めて臣下一同、未だ全容の見えぬ敵に警戒を続けつつも、再びディアナを全力で支えるべく積極的に内政や外政に力を入れ始めていた。


 そんな最中のある日の事、内政担当官として街の発展に尽力する官吏長バジルが、とある客人を伴ってディアナの執務室を訪れていた。



「ディアナ、こいつはヤコブ・ダニエル・リンドホルム。一応・・俺の友人で、現在はトレヴォリという街で官吏をやっている」


 バジルが隣に立つ人物を紹介する。紫を基調としたゆったりした官服を纏った40絡みの男性で、友人だというバジルより一回り上の年代のようだ。


 特徴的な形をした立派な口髭を携え、見た目は如何にもな文官風なのだが、バジルとは対照的に妙に自信なさげなおどおどとした態度が印象的だった。それはこの街の太守であり初対面のディアナの前にいる事だけが原因ではなさそうだ。


「お、おい、バジル。一応ってお前……」


 そんな文官――ヤコブが、バジルの紹介を聞いて情けなさそうな表情で抗議する。だがバジルはふんと鼻を鳴らして、冷たい目で彼を睥睨する。


「うるさい。これまで何度借金を肩代わりしてやったと思ってる? 本来金の切れ目は縁の切れ目だぞ」


「うぅ……」


 バジルのにべもない態度に、ただでさえ自信なさげだったヤコブが更に肩を縮こまらせて項垂れる。たった今会ったばかりの、しかもこの短いやり取りの間だけでも、何となく2人の関係性が見えてしまったディアナ。しかしそれはそれとして、



「あ、あの、それで……ヤコブ様でしたか? お初お目にかかります。ゴルガ伯のディアナ・レア・アールベックです。バジル様のご友人との事ですが、本日は私に一体何用でしょうか?」


 バジルが意味も無く、しかも執務室に人を連れてくる事などあり得ない。ただ友人を紹介したいだけという事は無いだろう。そもそも明らかにそんな雰囲気でもなさそうだ。


「あ、あー……そうですな、失礼致しました。おほん! 本日お伺いさせて頂いたのは、実は、その……」


 ディアナに用件を促されたヤコブだが、相変わらず歯切れが悪そうで、話を切り出しにくいらしく、しきりにバジルの方にちらちらと視線を向けている。そんな友人の態度にバジルが嘆息した。


「はぁ……まあ要約すると、このヤコブが質の悪い高利貸に多額の借金を作ってしまい、それを何とかしてもらいたいという話なんだが」


「しゃ、借金? 高利貸にですか? 因みに幾らくらいなんでしょう?」



 この戦乱の世になっても、否、乱れた世だからこそ、金を貸し付けてその金を利子を付けて回収する事を生業とする者達は多数存在していた。


 といっても大半は太守や刺史などに正式に認可された商会が金融業も兼任しているというケースが殆どで、一般の民や商店、工房、それだけでなく大きな商会となると、それこそ太守や刺史など街を支配する勢力に対しても公共事業などに多額の貸し付けをしている場合がある。


 そうした投資や貸付によって勢力に対しても大きな影響力を持つ商会もいくつか存在しており、古の七国戦乱時代には莫大な資金力で様々な勢力に貸し付けを行って影響力を持ち、戦乱を裏から操った伝説の商人【黒龍】の逸話もあるほどだ。


 尤も勢力を相手に商売をしている場合、勢力に貸しを作って影響力を持てるというメリットがある反面、戦乱によってその勢力が他勢力に打倒されれば、全ての投資が無駄になってしまうというデメリットがあった。


 その為豪商達も勢力に対する貸し付けにはかなり慎重で、例え勢力側から要請があった場合でも、その勢力が本当に大丈夫なのか、今後も躍進して行けるのか、周辺勢力との力関係はどうなっているのか、入念に情勢を調査した上で判断されるのが普通だ。


 なので特に勢力に対して投資を行うような大きな商会を率いる商人は、下手な軍師などよりも情勢や時勢を読む能力に長けている場合も珍しくない。


 ただ何事にも言えるが、世の中目に見える表の部分だけではない。表があれば必ずも存在するのが普通だ。


 表の金融業を営む商人達は厳格ではあっても、あくまで適正な金利で商売を行う。暴利を貪ろうとすれば信用問題にも関わるからだ。


 だがそういった世間の信用などお構いなしに、貸し付けた金にとんでもなく法外な利子を付けて強引に回収する悪徳な金融業者も一定数存在しているのが現実だ。


 この手の連中は大抵その街の裏社会を仕切る侠客などの筋者と手を組んでいる事が多く、彼等の庇護があるので世間の信用など気にせずやっていけるのだ。


 まともな市民ならこんな連中に金を借りる事など絶対ないはずだが、やはり様々な事情から表の金融業者からは金を借りられずに、こうした裏の金融業者……いわゆる高利貸に頼る者達は後を絶たない。


 しかし一時の金策の為に高利貸に頼ってしまった者は大抵悲惨な末路を遂げる羽目になり、元金どころか法外な利子を支払えずに、担保にしていた土地や時には家族などを強引に回収されて、路上の物乞いに身をやつすケースが一般的・・・だが、これはまだマシ・・な方で、場合によっては自分の身体そのものを担保に金を借りている者さえいる。そしてそういった者の末路は、推して知るべしという所である。



 閑話休題。



 目の前のヤコブはそんな高利貸に借金を作っているというのだ。眉を顰めたディアナはとりあえず金額を聞いてみる。まだ少額の内であれば同志であるバジルの友人との事なので、差し支えない範囲で便宜を図るのも吝かではない。


 だがバジルがかぶりを振った。


「……ざっと100万ジューロほどだ」


「ひゃく!? そ、そんな額とても……。申し訳ありませんが……」


 金額を聞いたディアナは目を剥いて、ヤコブから視線を逸らしてこの話を終わらせようとする。100万ジューロというのは大商会同士の取引や勢力の政治軍事で動く、いわゆる経済レベルの金額であり、個人で負担できる額の限界を超えている。


 まだソンドリア郡どころかゴルガ県一国しか領有していない小勢力であるディアナ軍とすれば、国庫の何割かに相当する額で、いくらバジルの友人とはいえとてもではないが融通できる金額ではない。


「そ、そんな!? お願いです、助けて下さい! 私は奴等に嵌められたんです!」


 ディアナの態度を見たヤコブが顔面を蒼白にして取り縋らんばかりの様子となる。どうやらバジルに頼んで、ここに来れば何とかしてもらえると思い込んでいたらしい。しかし流石に100万ジューロは無茶が過ぎる。


「ヤ、ヤコブ様……バジル様のご友人ですし何とかしてあげたい気持ちはありますが、流石にこれは……」


 困り果てた様子のディアナだが、そこでバジルが口を開く。


「まあ落ち着け、ディアナ。ヤコブ、お前もだ。話はまだ終わっておらん。というかそもそも街の財政を預かる身の俺が、100万ジューロなどという大金をこいつ1人の為に捻出させるはずがあるまい?」


「あ…………」


 そう言われれば確かにそうだ。ゴルガの財政状況はまさにその担当であるバジルが誰よりも良く把握しているのだ。



 ゴルガで旗揚げしてディアナ軍が正式に発足してからというもの、バジルの財政管理の徹底ぶりは、ディアナだけでなく軍全体にあまねく知れ渡っていた。バジルに国庫の鍵を開けさせるのは至難の業と言われており、特に軍事費方面で『無駄遣い』の要望が多いヘクトールとは常に水と油状態で、勢力評定では彼等の罵り合いが日常茶飯事の光景となっていた。


 またこれもゴルガで勢力を興してから初めて知ったのだが、軍師のアーネストも意外と金銭感覚がアバウトな所があり、時に突拍子もない策略や計略を上奏してきて、詳しく聞いてみるとその準備の為に膨大な資金が必要になる事が判明して、バジルにすげなく却下されるというケースがこれまでに何度もあった。


 どうもアーネストは元々かなり育ちが良いらしく金銭面で苦労した経験が無い事が、その金銭感覚のアバウトさに繋がっているようだった。 


 ヘクトールを始め一部の武官達はバジルの事を『守銭奴』と呼んで、軍隊を弱めて国を滅ぼす元凶だと扱き下ろしていたが、義兄のシュテファンだけはバジルの仕事ぶりを評価していた。


「あやつがいなければ今頃我等は戦わずして資金不足で解体するか、もしくは足りない資金を補おうと民に重税を課して、暴君として忌み嫌われていただろうな」と、義兄は苦笑しながらかぶりを振っていた。



 そんな『守銭奴』バジルが、個人的な案件で100万ジューロもの大金を国庫から出すはずがない。ちょっと考えれば分かる事だった。

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