第十幕 謀略の城塞(Ⅴ) ~飛び立つ鳳凰


「ふ、ははは! どうした、ディアナよ! 動きが鈍ってきているぞ!?」 

「く……う……!」


 互いに剣を振るって激しく打ち合う2人の男女。ディアナとユリアン。最初こそある程度互角に打ち合っていたが、次第に体力や膂力に劣るディアナが押され始め、現在は防戦一方になりつつあった。いや、防戦それすらかなり危うい状況だ。


 ユリアンの一撃を受ける度に剣に凄まじく重い衝撃が加わり、それが手を痺れさせていく。そして……


「……っぁ!?」


 ユリアンの薙ぎ払いを受けた際に、遂に握力が限界を迎えて剣の柄から手が離れてしまった。弾き飛ばされた剣が虚しく回転しながら離れた場所に落下する。


 ユリアンは剣を失い無手となったディアナの喉元に剣先を突きつける。勝負ありだ。



「くっ……!」


「ふ……正直驚いたぞ。どうやら只のお飾り君主という訳ではなさそうだな。だが、勝ったのは俺だ。さあ、俺の前にひざまずけ」


 腕を押さえて悔し気に顔を歪めるディアナ。ユリアンは彼女を認めながらも愉悦に満ちた調子で降伏を勧告する。


(く、悔しい……! こんな……女を見下す男なんかに……!)


 剣の勝負では負けたが、心まで屈するつもりは全く無い。ディアナはありったけの怒りと敵意を込めてユリアンを睨み付ける。  


「ふふ、いい目だ。そんな目で俺を睨む女を調教し、屈服させるのは最高の娯楽となろうな」


 だが睨まれたユリアンはむしろ口の端を吊り上げて笑う。そして剣の切っ先をディアナに向けて動かす。



「さて、ではまず俺に対する服従の証を刻み付けておくとするか」

「……っ!」


 ディアナが緊張に身を固くする。しかしどれだけ身体を傷つけられようと、心は決して屈しないと歯を食いしばる。


 そしてユリアンの凶刃が、少女の柔肌に決して消えない傷を刻み込もうとした時――




 ――ドドドドドドッ!!!




「……!?」

 盛大な蹄鉄音と土煙を上げながら、武装した騎馬部隊がこの場に駆け向かってきたのだ。数はざっと200人ほど。真っ直ぐ駆けてくる様子からも明らかにこの場所を目指している事が解る。


「何事だ、あれは!?」


 騎馬隊を見たゾランが喚く。その様子からしてあの騎馬隊はチリアーノの部隊ではなさそうだ。


「……間に合ったか! 流石だ、アーネスト・・・・・!」


 一方クリストフは対照的に会心の笑みを浮かべている。彼には騎馬隊の正体が解っていたのだ。



 馬蹄の音を轟かせながら向かってくる200はいるだろう騎馬隊の威容に、流石にユリアンもディアナを害する行為を止めて視線を向けていた。ディアナはその隙に大きく飛び退ってユリアンから距離を取った。


 そして間近まで迫ってきた騎馬隊の先頭にいるのは……



「ア、アーネスト様……!?」



 それは紛れもなく、現ゴルガの軍師でありディアナの臣下・・でもあるアーネストであった!



 騎馬隊は天幕の周囲を取り囲む。先頭にいたアーネストが進み出てくる。クリストフが彼に向かって手を挙げる。


「流石だな、アーネスト。私の残した手がかりから見事この場所を割り出したか」


 行き先がチリアーノだと素直に書き残していけば当然すぐさま追手が掛かり、ゾラン達に接触する余裕は無かっただろう。なのでクリストフは敢えて行き先をぼかした手がかりをゴルガに残しておいたのだ。


 他の者であれば恐らく読み解く事さえ難しかっただろうその手がかりを、アーネストであれば多少の時間・・・・・は掛かっても必ず解読して、この場に援軍として駆け付けるだろうと予測していた。つまりは保険・・を掛けていたのだ。


「……クリストフ。言いたい事は山ほどあるが、今はディアナ殿の救出と撤収を優先させるぞ」


 200騎の騎馬隊でこの場を包囲していながら、アーネストは余裕のない厳しい表情を崩さない。何故ならば……



 その時チリアーノの城門が開いて、大勢の衛兵隊が駆け付けてきた。流石に少数の傭兵とは違い、数百の騎馬隊では城の衛兵の目を盗む事はできない。敵の数はやはり200ほど。同数であれば騎乗している騎馬隊の方が有利だが、


「ぬふふ、ここは僕の街だからねぇ。君達は侵入者。こっちはどんどん援軍か来るよぉ?」


 麾下の軍団が駆け付け余裕を取り戻したゾランが嗤う。そう。ここは敵地・・であり、こちらが援軍も無く孤立しているのとは対照的に、相手は街に常駐している軍も動員できる。そうなれば逆にこちらが包囲殲滅されてしまう。


「……口惜しいが奴の言う通りです。ディアナ殿、ここはアーネスト達と一緒に退きましょう」

「そ、そうですね」


 クリストフの言葉に躊躇いなく頷くディアナ。このままではゾラン達を捕えるどころか、自分達の身が危うい。彼女にもそれくらいの状況判断は出来る。



 ディアナとクリストフはそれぞれ素早く他の騎馬に相乗りする。ユリアンは特段それを妨害する事もなく不遜な目でこちらを睥睨していた。


「ふ……ディアナよ。お前とは必ずまた会う事になるだろう。その時を楽しみにしているがいい」


「……っ!」

 確信を持ったその台詞にディアナは僅かに目を瞠った。



「さあ、行きますよ!」


 だが彼女が何か反応する前にアーネストが撤収の号令を掛け、騎馬隊が退却に移っていく。



「逃がすと思うかい!? 弓隊! ありったけの矢を――」


「――よい、ゾラン。行かせてやれ」


 ゾランが衛兵隊に追撃を命じようとするのをユリアンが制する。ユリアンの個人的武勇のお陰で切り抜けはしたが、今回の件はまんまとクリストフに謀られたゾランの失態であった為に、不満はありつつもユリアンの命令に従って追撃を中止する。


「そう……楽しみは後に取っておくべきだ。そうだろう、ディアナよ?」


 遠ざかって小さくなっていく騎馬隊の背中を眺めながら、ユリアンは不敵で不遜な笑みを浮かべ続けるのだった……



*****



 チリアーノの街から大分離れたと判断した所でようやく行軍の速度が落ち着いた。そして更に進んでチリアーノ県境を越えた所でようやく行軍を停止し野営となった。


「……さて、これでようやく落ち着いて話が出来ますな。まずはお前の言い分を聞かせてもらおうか、クリストフ」


 陣の中央にある天幕にはアーネストと、そしてディアナとクリストフの3人の姿があった。アーネストは視線だけで人を射殺せそうな目でクリストフを睨み付ける。だが同門の友人という事で勝手知ったるのか、クリストフは何ら動じた様子も無く話し始める。


「済まんな、アーネスト。途中までは確実に上手く行っていたのだが、まさかあのユリアンという男があれ程の手練れとは想定外だった。だが失敗はしたがそれでも成果はあった。『あのお方』とやらが女だという事、そしてその身内である男の顔と名前が判明したのだ。チリアーノ太守のゾランに関しても完全に奴等の一味だという裏付けが取れた。これらはかなり大きな情報だぞ」


 クリストフの報告を聞いたアーネストの額に青筋が立つ。


「クリストフ! お前、解った上で言っているだろう!? 私が聞いているのは――」


「――アーネスト様っ!」


 大声を上げてアーネストの怒声を遮ったのはディアナだ。彼の注意がこちらに向く。ディアナは大きく息を吐き出した。



「アーネスト様。私はもう奴等から逃げ隠れはしません。いえ、正体さえ掴めればむしろこちらから戦いを挑んで奴等を倒します! 私には戦乱を終わらせるという目的があるんです。こんな所で立ち止まっている気はありません!」


「ディ、ディアナ殿……」


 強い語調と決心を秘めた目、何より彼女の身体から発散される闘気とでも言うべき激しい気迫にアーネストは目を瞠った。クリストフも頷く。


「アーネストよ。ディアナ殿は立派にご自分の役目を果たされたぞ。いや、ディアナ殿の奮闘によって私は命を救われたほどだ。彼女はお前が思っているよりも強い。お前も本当は解っているはずだ。ただ彼女を大事に思う余りに目を曇らせているだけだ。鳳凰も狭い籠に閉じ込めたままでは、その真価を発揮できずに弱って死んでいくだけだぞ」


「…………」


 クリストフに諭されたアーネストが沈黙する。しばらく何かと葛藤していたようだが、やがて大きな溜息を吐くと顔を上げた。


「そう……だな。私も本当は気付いていた、いや、最初から解っていたのだ。ディアナ殿が極めて優れた資質を持った将星だと言う事に。そもそもそれで同志となったのだからな。だが叶う事ならディアナ殿には血生臭い世界からは離れていて欲しかった。それが私自身のエゴだと解っていても、例えあなたに憎まれてでも、私はあなたを守りたかった。だがあなたはやはり私如きが抑えて閉じ込めておける器ではなかったようです」


「アーネスト様……」


 アーネストは途中からディアナに向けて語っていた。彼の内心を垣間見たディアナは言葉に詰まる。何と声を掛けていいか迷うが、アーネストはどこか吹っ切れたような表情でかぶりを振った。


「良いのです、ディアナ殿。私はやはり自分が間違っていたという事をはっきりと確信できて、むしろホッとしたような清々しい気分なのです。これで今後は迷いなくディアナ殿の戦いを支えていく事が出来ます」


「……! アーネスト様、ありがとうございます!」


 遂にディアナが戦いに参加する事を認めたアーネスト。彼女はホッと胸を撫で下ろして破顔する。アーネストは彼にしては少し照れくさそうな表情となって、彼女から視線を逸らしてクリストフの方に顔を向けた。


「おほん! ……ゴルガに戻ったら早速、お前が今回入手した情報を元に会議を開く。敵は『あの方』だけでなく周辺勢力もいるのだから、それらについての対応を改めて決めねばならん。勿論お前にも参加してもらうぞ?」


「無論、最初からそのつもりだ」


 クリストフは頷くと、ディアナに向き直った。そして正式な臣下の礼を取った。


「ディアナ殿、話には聞いていましたが実際にこの目であなたの人となり、そして将としての器を確かめさせて頂きました。あなたはこのリベリア州、そしていずれは天下にも名乗りを上げる大器をお持ちです。どうかこのクリストフも臣下の末席にお加え頂きたく存じます。アーネストには及びませぬが、我が知略を以ってあなたを支える事を誓います」


「クリストフ様……ありがとうございます。あなたにそう言って頂けてとても嬉しく、また誇らしく思います。この旅であなたから受けた教訓、忘れずに私の胸に刻み込んでこの乱世を戦い抜いていきます。どうぞこれから宜しくお願いします」


 ディアナは少し感動に瞳を潤ませつつも、クリストフの礼を受けて彼を正式に臣下へと迎え入れた。





 こうして危機を乗り越え将としても成長したディアナは、クリストフという優れた頭脳をまた一つ手に入れ、さらなる躍進を果たす事となった。


 しかし同時に彼女を狙う敵の存在が徐々に明るみにと出始め、またディアナに妄執するユリアンとの邂逅によって、謎の敵勢力との闘争は増々本格化していくのであった……


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