第九幕 謀略の城塞(Ⅳ) ~猛き闘将

 ユリアンが舌打ちした。


「ち……クリストフの仕業か。どけ、女と斬り合うつもりはない。大人しくしていれば殺しはせん」


「……っ! 舐めるな!」


 垣間見せられたユリアンの剣技に緊張を強いられていたディアナだが、女というだけで対等の相手と見做していないようなユリアンの態度に激昂した彼女は、怒りを力に変えて斬り掛かった。


 戦いを見た限りではユリアンは恐らく義兄と同じアロンダイト流の遣い手で、しかもその技量もシュテファンに比肩するレベルだ。


 そして義兄の薫陶を受けてきたディアナは誰よりも彼の腕前を知っていた。自分では例え10回挑んでも10回負けるだろう。目の前の男はそれと同レベルという事になる。しかしそれが分かっていても尚、ここで退く訳には行かなかった。



 彼女とていつまでも昔のままではない。これまで幾度となく手痛い敗北を喫し、その経験をバネにして修練に励んできた。その成果はかつてない程の鋭さの斬撃となって現れ、ユリアンの急所に迫る。


「……!」

 ユリアンの目が驚愕で僅かに見開かれる。しかし激しい金属音が鳴り響き、ディアナの斬撃は無情にもユリアンの剣によって受け止められた。


「くっ……!」


 だが彼女は些かも怯まずに息を吐かせぬ勢いで、そのまま連続攻撃を仕掛ける。その全てが並みの兵士であれば一撃で斬り伏せる事が可能な程の剣閃であった。


「むんっ!」


 しかしユリアンは並みの兵士とは比較にならない腕前。気合の声を発すると自らの剣と体捌きによって、ディアナの連撃を全て捌き切る事に成功した。


「……っ」


 ディアナは悔し気に顔を歪めて一旦距離を取る。ユリアンはすぐには追撃してこなかった。その目には先程までには無い感情が宿っているように見えた。



「ふ、ふふ……こんな女がいたとは。増々気に入ったぞ。どうだ、ディアナよ? 俺の伴侶・・とならんか? そうすればもう姉上に手は出させん。お前となら退屈せずに済みそうだ」



「な…………」


 ディアナはこんな時ながら唖然としてしまい、目の前の男の正気を疑った。ゾランやクリストフまで呆気に取られていた。


 ユリアンは真顔で、どう見ても冗談を言っているようには見えない。一瞬呆気に取られたディアナだがすぐに正気に戻った。


 こんな申し出を受けるはずがない。もし受けると思われているなら途轍もない侮辱だ。人を馬鹿にするにも程がある。



「ふ、ふざけるなぁっ!!」


 激昂したディアナはこれまで以上の剣速をもって斬り掛かった。ユリアンをして一瞬驚愕するほどの剣閃であったが、彼は驚異的な反射神経でその斬撃を受け止めた。激しい金属音が鳴り響き、2本の剣の刀身が押し合って震える。 


「ふ……結構本気だったがな!」

「……っ!」


 ユリアンが膂力の差で鍔迫り合いを制する。ユリアンの体当たりで大きく弾き飛ばされたディアナだが、すんでの所で堪えて転倒を免れた。


「それは残念だ!」


 しかし体勢を立て直す間もなくユリアンが反撃に転じて斬り掛かってきた。ディアナは咄嗟に剣を掲げてその斬撃を受け止めるが、その鋭く重い一撃の前に片膝を着いてしまう。


「ぐっ……」


「ふ、所詮は女。二度と男と剣を交えようなどと血迷わぬ・・・・ように、徹底的に調教して俺好みの女に変えてやろう」


「……!!」


 あくまで女というだけで対等の対戦相手と見ないユリアンの態度に、ディアナは屈辱と怒りから激しく心を燃え立たせる。これまで戦ってきた奴等も皆そうだった。男というだけでそんなに偉いのか。女が戦場で剣を取るのは血迷った行為・・・・・・だと言うのか。


(ふざけないで……そんなの、絶対に認めない……!)


「ぬ……おぉぉぉぉっ!!」

「何……!?」


 ディアナが気合と共に、片膝を着いた姿勢から……ユリアンの剣を押しのけて立ち上がった! ユリアンが僅かに瞠目した。


「……っりゃあぁぁぁぁっ!!」


 ディアナは立ち上がったその勢いのまま剣を振るう。彼女の気迫に若干気圧されていたユリアンは僅かに反応が遅れた。結果……



「ぬぐ……!?」


 受け損ねた斬撃がユリアンの身体を掠った。鎧の合間の衣服が裂けて鮮血が舞った。彼が素早く身を躱した事で深い傷には至らなかったが、軽傷とは言え傷をつけられたユリアンの顔が初めて怒りに歪む。


「貴様ぁぁぁっ!」

「……!」


 怒号を上げたユリアンが反撃の刃を煌めかせる。先程までより格段に速い斬撃にディアナは受けに回ったものの反応が完全には追い付かずに、鎧から露出した四肢の部分に受けきれなかった斬撃による裂傷が走る。


「ぐぅ……!! く……そぉ……!」


 ディアナは歯を食いしばって痛みに耐えると、傷口から流れ出る血もそのままに剣を振るって反撃する。その度に血の雫が舞い散る。





「そんな馬鹿な……。あのユリアン様に食い下がってる!?」


 男女2人の一騎打ちを少し離れた所から見ていたゾランが、その弛んだ細い目を驚きに見開く。ユリアンの実力を知っている彼からすれば、目の前の光景は信じがたい物であった。


 確かにユリアンは完全に本気を出している訳ではないが、少なくとも彼の表情や動きからは遊びの感情が消えているのは事実だった。ディアナがあくまで年若い少女である事を鑑みると、それだけでも充分驚嘆に値する。



「……何という凄まじい気迫だ。まさかこれ程の逸材であったとは……。だがそれも長くは保つまい」


 同じようにゾランとは2人を挟んで反対側からディアナの戦いを見ているクリストフは、彼女の想像以上の気迫と腕前に正直舌を巻いていた。明らかにただの女性の手慰みや護身術の域を超えている。また自身が傷を負っても強大な敵に立ち向かう気迫。


 彼女は紛う事無く、一人前の武将・・であった。クリストフは今、それを確信した。


 しかし残念ながらユリアンの方がより強いのは動かせない事実であり、今は勢いと気迫で何とか食らい付いているが、そう長くもたないのは明らかであった。このままでは彼女は確実に敗北する。


(……まだか? 手掛かりは残しておいた。お前なら・・・・この場所にたどり着けるはずだ)


 クリストフは恐らく・・・この場に全速力で向かってきているであろう人物の顔を思い浮かべてながら、一刻も早い援軍・・の到着を待ち望んでいた。


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