謀略の城塞

第六幕 軟禁と脱出 

 ゴルガの街の宮城。若く活力のある新しい君主が旗揚げし、内政や経済に造詣が深いバジルを内政担当に起用している事もあって街の治世は太守交代時の混乱も最小限に、滞りなく回っていた。 


 だがそんな本来なら祝賀ムードであるはずの宮城は現在、非常に物々しくともすれば殺気立った雰囲気にさえ包まれていた。



 その原因は全て、先日発生したゴルガ伯ディアナ暗殺未遂事件・・・・・・にあった。



 ヘクトールから事件の詳細について報告を受けた軍師のアーネストは、自分の与り知らぬ所であわやディアナが殺されかけたという事実に大きな衝撃を受けた。そして『ディアナの身の安全を確保する為』に、犯人達の正体や目的が判明するまではと、彼女を城の奥の一室に半ば軟禁状態としてしまったのだ。


 初めのうちこそディアナも敵の正体が不明である事や、自分が命を狙われて残虐に殺されかけた事などの不安から大人しく自粛していたが、日が経つにつれて次第に恐怖や不安よりも不満が大きくなり、鬱憤が溜まってくるようになっていた。



*****



「失礼いたします、ディアナ殿。お食事をお持ちしました。既に毒味は済ませてありますので、安心してお召し上がりください」


 現在ディアナが軟禁・・されている私室の扉が開いて、アーネストと数人の使用人が入ってきた。使用人達は食事や飲み物などの盆を両手に持っている。


「……私はいつ、ここから出られるのですか?」


 使用人達が卓の上にそれらの品を並べていく様を横目に、ディアナは恨めしげな視線でアーネストを睨む。だが彼は無情にも肩をすくめた。


「言ったはずです。あなたの命を狙う不遜な連中の正体と目的が判明するまではここで大人しくして頂きますと」


「……っ! いつなのですか、それは!?」


 ディアナは思わず椅子から立ち上がって声を張り上げる。使用人達が一様にギョッとして動きを止めてアーネストの方を仰ぎ見る。彼は手振りだけで使用人達に作業を続けるよう合図してからディアナに向き直る。


「今、私の情報網も駆使して総力を上げて敵の情報を探らせています。遅くとも後一月以内には結果が出る事でしょう」


「っ! もう充分です! 私はこれ以上逃げも隠れもしません! 今すぐ私をここから出して下さい!」


 後一月もこんな生活を続けるなど絶対に耐えられない。それならまだ正体不明の敵だろうと正面から受けて立った方がマシだ。あの時は油断していただけで、充分に警戒していれば……



「――なりませんっ!!」

「……っ!?」



 いきなり強い調子で怒鳴られてディアナはビクッと震える。驚いて見ると、アーネストは今まで見た事もないような怖い顔をしていた。


「ア、アーネスト様……?」


「あなたは殺されかけたんですよ!? それも我々の目の届かぬ所で!」


「……っ!」


「ヘクトール殿がいてくれたから辛うじて難は逃れたものの、もし一歩でも何か掛け違っていたらと思うと……」


 アーネストはその事態を想像したかのように自らもブルっと身体を震わせた。そして再び厳しい視線と表情に戻るとディアナから目を逸らした。 


「とにかくそういう訳なので、あなたには当面の間ここで安全にお過ごし頂きます。宜しいですね?」


「……! そ、そんな……お願いです! 私はこんな所で立ち止まっている訳には行かないのです!」


 ソンドリア郡を制圧し、リベリア州を統一し、そして更に勢力を伸ばして帝都に凱旋しなければならないのだ。こんな事で時間を無駄にするなど許容できない。


「……お話は以上です。これで失礼します」


「アーネスト様っ!!」


 だがディアナの必死の懇願にもアーネストは眉一つ動かさず冷徹に踵を返すと、使用人達を引き連れて退室していってしまった。そして部屋の扉が閉められ外から施錠される音が響く。



 ディアナは絶望の余り、その場に虚脱して座り込んでしまう。


「ふ、ふふ……私は君主のはずなのに……誰も私の言う事を聞いてくれない……」


 この勢力内における現在の自分の立ち位置が図らずも露呈してしまった。所詮今の自分は勢力を象徴しているだけのお飾り君主に過ぎないのだ。実務は全てアーネスト達が切り盛りしており、自分などいなくとも国は回る。


 ディアナはただ無力感と絶望感に打ちひしがれながら、乾いた笑いを上げ続けた。




*****




 その後も軟禁状態が解かれる事はなく、ディアナはただ失意と無為の日々を送る事になった。そんな最中のある日の事……


 ――コンッ、コンッ


 扉がノックされる音が響いた。椅子に座ってうなだれていたディアナは、力の籠もっていない目を扉に向けた。またアーネストが食事を持ってきたのだろうか。


『……失礼致す。ディアナ殿のお部屋ですな?』

「……っ!?」


 聞き覚えのない男性の声が扉の向こうから聞こえ、ディアナは目を見開くと共に僅かに身を固くする。フレドリックの声とは違うようだが、彼の仲間か誰かが自分を殺しに来たのだろうか。


「だ、誰、ですか……?」



『おっと、まず名乗るべきでしたな。私はガルマニアはハルシュタットのクリストフ・ヨハン・ダ・コスタ。アーネストとは同門・・で学んだ友人でございます』



 無意識に震え声になるディアナの問いに、扉の向こうの男性――クリストフが名乗った。ディアナは違う意味で瞠目した。


「ご、ご友人? アーネスト様の……?」


『左様。本日はあなたにお話があってやって参りました。部屋に入れて頂けませんかな? 少々内密のお話もあります故』


「…………」


 ディアナは壁に掛けられた剣の位置を確認する。だが同時に何となく、これが手の込んだ罠ではないという確信があった。


 そもそもここは宮城の奥にあり、衛兵やシュテファン達の目を盗んでここまで到達する事は極めて難しい。まず不審者が入り込んでいれば見つかって、今頃大騒ぎになっているだろう。だが耳を凝らしてもそんな様子は聞こえてこない。 


 それに今この部屋の扉は、中からは開けられず外からは簡単に開けられるようになっているのだ。逆であればともかく、暗殺目的ならこんなふうにわざわざ声をかけて警戒されるリスクを負う必要はない。



「……どうぞ。お入りになって下さい」


 結果としてディアナは、とりあえずこのクリストフなる人物を信用する事にして入室を許可した。


『失礼致す』


 声と共に部屋の扉が外から開いた。入ってきたのは理知的な雰囲気の男性であった。若干目元が垂れていてアーネストよりも穏やかそうな印象だ。


 彼がアーネストの同門だというクリストフという人物であるようだ。クリストフは部屋の扉を閉めると落ち着いた所作で一礼した。



「お初にお目にかかります。あなたの事は以前からアーネストより聞いておりました。こうして直にお会いできて嬉しく思います」


「アーネスト様から……?」


 どうせちょっとでも強く握ったらすぐに壊れてしまう脆い紙細工のような人間だとでも言ったのだろう。ディアナは自嘲気味に口の端を吊り上げた。


「……それで? この名ばかり君主である愚かな小娘に何の御用でしょうか? 内密なお話があるとの事でしたが……重要な案件なら私などではなく、それこそアーネスト様にお話されては如何ですか」


 多分に不貞腐れた感情を含んだディアナの問いかけに、クリストフは少し苦笑した様子だった。


「あなたの現状は聞き及んでおります。その上でアーネストではなく、あなたに・・・・お話があるのです」


「わ、私に……?」


 クリストフの態度にディアナは少し戸惑う。彼は再び頷いた。


「ええ。ただその前にあなたにお礼を申し上げねばなりません。旗揚げの地にこのリベリア州を選んで頂きありがとうございます。3年もの歳月を掛けてカリオネル火山について詳細に調査した・・・・・・・甲斐があったというものです」


「……! あ、あなたが……!?」


 ディアナは目を見開いた。あの時アーネストは火山の調査を同門の友人に頼んだと言っていたが、それはこのクリストフの事だったのだ。それは同時に確かに彼がアーネストの同門である事の証明ともなった。



「さて、ここからが本題ですが……私は現在、またアーネストに頼まれてとある調査を請け負っているのです」


「とある調査?」


「ええ。あなたのお命を狙う『あのお方』とやらの一味についての情報を調べている所です」


「……っ!」

 ディアナは少し身体を震わせる。その連中のせいでこんな事になっているのだが、自分が奴等に命を狙われている事を思い出したのだ。同時にあのフレドリックやウルゴルに殺されかけた恐怖も。


「かなり巧妙に身を隠しているらしく、残念ながら『あのお方』とやらを特定する事は出来ませんでした。しかし……恐らくはその一味・・と目される人物の目星をつける事が出来ました」


「え……!?」


 ディアナは顔を上げた。まさかフレドリックの事だろうか。いや、それならそうと言っているはずだ。


「しかし残念ながら明確な証拠を掴むまでには至りませんでした。これ以上調べた所で恐らく無駄でしょう。さりとて問い詰めた所で認める訳がありません」


「そ、そんな……。それじゃ何も出来ないのですか!?」


 ディアナが思わずといった感じで椅子から身を乗り出す。するとクリストフは解っているという風に手で制する。


「そこで……あなたに・・・・ご協力を頂けないかと思い、こうして伺ったのですよ」


「……私に何が出来ると?」


 正直アーネストやその同門のクリストフら知恵者が尻尾を掴めなかったような相手に、自分が何を出来るとも思えない。しかしクリストフは神妙な表情でかぶりを振る。



「こちらから見つけられないのであれば、向こうから・・・・・出てきてもらうまでです」



「え……?」


「あなたは奴等に命を狙われています。つまり……あなたが『囮』となれば、奴等は自分たちから姿を現さざるを得なくなります。そこを押さえます」


「っ!!」


 ディアナは愕然とした。確かにそれならある意味で確実に奴等を炙り出せるかも知れない。しかしまさか本人の目の前で公然と、あなたを囮にしますと言われるとは思わなかった。だがクリストフの表情は変わらない。


「如何ですかな? 確かに大きな危険は伴うかも知れません。しかしこのままただ消極的な調査だけ続けていても今の現状が延々と続くだけです。それはあなたも望む所ではないご様子とお見受けしましたが?」


「……!」

 まさにその通りであった。最初こそ残忍に殺されかけたショックで塞ぎ込んでいたものの、今では先の見えない軟禁生活に精神を消耗し、このままこの状態が続くくらいなら自分から打って出てやるくらいに思っていた所だったのだ。 


 それを考えるとクリストフの提案はディアナにとっては願ったり叶ったりという事になる。


「あなたの兄君からあなたの『座右の銘』については聞き及んでいます。……答えは既に出ているのではないですかな?」


「……!!」


 何事にも常に全力を以って臨むべし。彼女は決断した。


「……私はここで立ち止まっている訳には行きません。クリストフ様、あなたの計画をお聞かせ下さい」


 彼女の決意を受けてクリストフも頷いた。


「よくご決断なさいました。まずはその一味の者がいる街まで出向かねばなりませんが、当然ですがこの計画はアーネストにも話していません。彼に話せば断固反対されて、更に警戒が厳しくなってしまうでしょう。そうなればもう二度と機会はありません。なので……今夜、こっそりと宮城を抜け出しますよ?」


「え、ええ!? ぬ、抜け出す? 脱走するという事ですか!?」


 ディアナが素っ頓狂な声を上げると、クリストフは心配ないという風に手を挙げた。


「大丈夫です。無事に抜け出せるように私が予め手配しておきます。必要最低限の物資なども用意しておきます。あなたはご自分の準備だけ済ませておいて下さい」


 彼女が動揺したのは無事に抜け出せるかどうかではなく、夜逃げという行為そのものであったのだが、クリストフはそれに気づく事なく自信満々に請け負う。



 それを見てディアナも内心で嘆息しつつ、覚悟を決めた。どのみち今のままではいられないのだ。ならば選択の余地はない。


(申し訳ありません、兄上、アーネスト様……。私は自分の力で現状を変えてみせます……!)


「では、夜半に……」


 そう言って一礼して退室していくクリストフの背中を見据えながら、ディアナは悲壮とも言える表情で固く唇を噛み締めていた……

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