第四幕 潜在せし脅威(Ⅳ) ~凶獣ウルゴル

 その後フレドリック達に連れ去られたディアナは目を覚ますも、両手両足を縛られてどこかの屋敷と思われる広い一室に放り込まれていた。場所は判然としなかったが、どうやらゴルガにあった宴を催した屋敷とは別の隠れ家的な場所らしい。


 目を覚ました彼女は勿論必死にもがいたが、手足を拘束する縄は全く緩む気配がなかった。


 連れ去られ、拘束され、どことも知れぬ場所に監禁され助けもなく、明らかに害意を持った悪漢達に生殺与奪を握られている……。


(こ、怖い……。私、どうなるの? た、助けて……兄上ぇ……)


 恐怖と心細さに涙する彼女は、ゴルガ伯ではなくアルヘイムにいた1人の少女に戻っていた。



 ――バタンッ!



「……!」

 部屋の扉が無遠慮に開かれる音にディアナは身を竦ませる。入ってきたのはフレドリックであった。その顔には悪意だけでなく、一種の嗜虐心に歪んだ笑みが貼り付けられていた。


「ふふふ……ご気分は如何ですかな、ディアナさん? いい顔ですねぇ! これからあなたのその可憐な顔が苦痛に歪み、恐怖と絶望に泣き叫ぶ姿を想像するだけで楽しくなってきます!」


「……ひっ。な、何でこんな事を……? 私が一体何をしたと!?」


 フレドリックの混じりけのない悪意に晒されたディアナは恐怖に身体を震わせながら、再び問いかけていた。どう考えても理不尽だ。だがフレドリックは増々笑みを深くするばかりだ。


「ふふふ! 言ったでしょう!? あなたが知る必要は無いと! あなたはただ苦痛と絶望の内に悶死して『あのお方』をご満足させればそれで良いのです!」


「……っ!」

(また、『あのお方』……!! 一体誰なの……!?)


 フレドリックが彼自身の悪意は別として、誰かの意向によって動いているのは間違いないようだ。 


「ウルゴルッ!!」


 だがフレドリックが手を叩いて呼び寄せた恐ろしい巨漢の姿を見て、そんな思考などどこかに吹き飛んでしまった。


「ひっ……!?」


「ぎへ、お、お呼びですかぃ、旦那ぁ?」


 息を呑むディアナの姿を見て、その醜い面貌をむしろ喜悦に歪ませるウルゴル。フレドリックが頷いた。



「この女を好きなように痛めつけてから殺してしまいなさい。そして死体を切り刻んで生首と一緒にゴルガの連中に送りつけてやるのです」



「――っ!!」

 事も無げにそう言ってのけるフレドリックにディアナは心底から戦慄した。明らかに本気で言っている。ここまでの明確な悪意、害意をぶつけられたのは初めての経験であった。


 勿論これまでにも戦いで彼女を殺そうとしたり、乱暴しようとしたりする者はいた。だがそれらすら比較にならない圧倒的なまでの殺意に、ディアナは恐怖によって身体の震えが止まらなくなる。



「い、嫌……嫌ァァァッ!! 助けて、誰か……! 助けてぇぇぇぇっ!!」


 激烈な恐怖に駆られた彼女は恥も外聞もなく泣き叫ぶ。手足は縛られているので他には何も出来ない。だがそれはこの悪辣な嗜虐者達を悦ばせるだけだ。


「ふふふ、どれだけ叫んだ所で誰にも聞こえませんよ。しかし予想通りいい声で啼きますねぇ! この瞬間が最高なんですよ」


 フレドリックが嗤う。その台詞は彼が猟奇的な嗜虐趣味者であり、今までにもこうした事を繰り返してきている事実を示唆していた。


 近寄ってきたウルゴルがディアナの顎を掴んで引き寄せる。そしてもう片方の手に持った鉈のような刃物を、彼女に見せつけるように近づける。


「ひぃ……!」


「ぎへへ……じゃ、じゃあまずは、その可愛いお目々からくり抜いてやるか」


 ウルゴルが醜い笑みを浮かべながら鉈の先端を彼女の目に近づけていく。ディアナは身を捩って逃れようとするが、万力のような力で掴まれていて全く動かせない。容赦なく目に迫る凶刃。


「い、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 ディアナは絶望から叫喚し――



 ――バタンッ!!



 再度扉が、今度は乱暴に蹴り開けられる音と共に、


「ディアナッ!!」


 聞き覚えのある大声が響き、部屋の中に大きな影が踊り込んできた。それは……


「え……へ、ヘクトール……様?」


 ディアナは自分の見ている光景が信じられずに一瞬呆然としてしまう。或いは自分の願望が作り出した幻覚かと思ったが、フレドリックやウルゴルも拷問を中断して向き直っていたので明らかに幻ではない。


 それは紛れもなく……あの谷間でフレドリックの罠に掛かって落石に押しつぶされたはずのヘクトールその人であった!




「ディアナ、無事か!?」

「へ、ヘクトール様……どうして?」


 状況が理解できずにまだ呆然としているディアナ。その横でフレドリックが舌打ちしている。


「まさかあの落石と崖崩れを生き延びるとは……呆れた生命力ですね。しかし流石に無傷とは行かなかったようですが」


 彼の言う通り、ヘクトールはその身体中の至る所に傷を負っていた。中にはかなり深い裂傷などもある。出血もそれなりの量のはずだが一切治療した様子もなく、最速でここまで駆けつけてきた事が窺える。


「てめぇ……こんなふざけた真似してくれやがって、覚悟は出来てんだろなぁ?」


 ヘクトールは自らの負傷など気にも掛けずに、凄まじい怒りと闘気を漲らせながら愛用の戟をフレドリックに向ける。


「ふん……そんな傷だらけで何が出来る。他の私兵は上手く掻い潜ったようですが、こやつはそうは行きませんよ? ウルゴル! この死に損ないを始末しなさい!」


 命令を受けたウルゴルがディアナを放り出してヘクトールに向き合う。そしてその背中に背負った巨大な戦斧を遂に抜き放った。



「いい所で邪魔してくれやがってぇ……。の、望み通りお前から殺してやるぜぇ……」


「けっ、化けもんが一丁前に人間様の言葉喋ってんじゃねぇぜ」


「……!! てめぇぇぇ、殺すぅっ!!」


 化け物呼ばわりされたウルゴルは瞬間的に激昂し、戦斧を振りかざして襲いかかった。ディアナの攻撃を捌いた時もそうだったが、その鈍重そうな巨体からは想像も出来ない程の素早い挙動。


 ヘクトールの目が一瞬驚愕に見開かれる。だが自らも卓越した戦士である彼は驚異的な反応速度で戟を掲げて、振り下ろされる処刑の刃を受け止めた。


「ぐぬっ……!!」


 そして堪らずその場に片膝を着いた。ウルゴルの攻撃の威力は、その見た目や武器の重量からしても相当の物だろう。それでも万全の状態のヘクトールなら受けきれたかも知れないが、今の彼は満身創痍と言っても過言ではない状態。


「ヘクトール様!?」


 ディアナが思わず悲鳴を上げる。ウルゴルは怪力で容赦なく戦斧を押し込んでくる。


「ぎへへ……そんな傷を負ってなけりゃ、もうちっとは勝負になったろうがなぁ……!」


「……っ。へ……確かにそうだな。だからこっちも……援軍・・を呼ばせてもらうぜ」


 ヘクトールが苦しげに呻きながらも、不敵に口の端を吊り上げる。それを聞いていたフレドリックの眉がピクッと上がった。


「援軍だと? まさか……。ウルゴル! 遊んでいないで、さっさとそいつを始末――」


 言い掛けた所に、部屋に再び何者かの影が乱入した。かなり大きな影だ。


「おりゃあぁっ!!」

「……っ!」


 その大きな人影がウルゴルに向けて巨大な蛮刀を振るう。風を切る轟音と共に迫る刃にウルゴルはやはり素早い挙動で飛び退って躱した。


(あ、あれは……山賊の!?)


 ディアナはその姿を見て更なる驚きに瞠目する。新たに乱入した人影……それは先だってディアナ達の『討伐対象』であったあの山賊の頭目であった。ヘクトールと同様にあちこち傷を負っているが、豪快な様子は変わっていなかった。

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