第三幕 潜在せし脅威(Ⅲ) ~仮面の策士フレドリック

「ふ、ふ……踊れ、踊れ、愚か者共」


 切り立った崖の上に出来た広いスペース。谷間で戦うディアナ軍と山賊団を見下ろしながら悪意のある歪んだ笑みを浮かべるのはカルム商会の長、フレドリックである。


 歓迎の宴でディアナに見せていた柔和で人の好い雰囲気は微塵も無く、その表情は冷徹で冷酷で……邪悪とも言える喜悦に満たされていた。


 彼の後ろには何十人かの兵士達が控えている。今回の作戦・・・・・の為に連れてきた彼の私兵達だ。そしてその中に1人……


「旦那ぁ……じゅ、準備出来ましたぜ、ぎヘヘ……」


 他の兵士達より頭一つ……いや、軽く頭二つ以上は大きい馬鹿げた体躯の巨漢がいた。縦だけでなく横も相当の厚みだ。大木の幹と見紛う太さの胴体と、それに見合う肥大した筋肉に覆われた腕。


 極めつけにその男を特徴づけるのは体格だけでなく、その面貌にもあった。目や鼻、口といったパーツの位置が普通の人間よりもズレていて、まるで子供が泥遊びでこねくり回したような……奇怪極まりない面貌だったのである。


 頭は禿頭だったが、所々歪な位置に薄っすらと残った髪の毛がまた醜さに拍車を掛ける。そしてその異形の巨漢は、背中にそれこそ大木の幹でも一撃で切り落とせそうなサイズの肉厚の戦斧を背負っていた。


「ご苦労でした、ウルゴル。では私の合図と共に始めますよ」


 フレドリックが異形の巨漢――ウルゴルに頷くと、彼だけでなく他の私兵達も一斉に散開した。そこには複数の仕掛けによって支えられた大量の岩塊が積み上げられていた。仕掛けを支える縄を切ると、全ての岩が一斉に谷間に……ディアナ軍が戦っている谷間に降り注ぐ事になる。


 フレドリックは先日屋敷で談話した可憐な少女君主の姿を思い起こす。


「ディアナさん……。中々に愛くるしい女性でしたが……逆にそれが『あのお方』に気に障ってしまった。あなたも、ゾッド・・・も……どちらも『あのお方』にとって邪魔となる存在。ここで仲良く果てなさい」


 フレドリックは酷薄な笑みを浮かべると、振り上げた手を一気に下ろした。それを合図にウルゴルや他の私兵達が一斉に、それぞれの仕掛けの縄を切り落とした!




*****




 ――ゴゴゴゴゴゴゴッ!!


「……っ!?」


 最初は錯覚かと思った。だがそれは徐々に大きくなり、今や誰の耳にもはっきりと聞こえるようになっていた。


 両軍の兵士達が騒めいて戦いを中断している。


「何だぁっ!?」


 ヘクトールと頭目も一騎打ちを中断して思わず視線を巡らせた。そして一様にクワッと目を見開いた。


 崖の上から大量の岩塊が降り注いできたのだ。岩の雨は狭い谷間で逃げ場のない両軍の兵士達を情け容赦なく押し潰していく。忽ち谷間は阿鼻叫喚に包まれる。



「何だ、こりゃあ!? 一体何が起きてやがる!?」


 ヘクトールが毒づきながら混乱する。この岩の雨はどう考えても自然の崖崩れではなく人為的な物であったが、山賊達も一緒に押し潰されているので明らかに彼等の策略ではない。 


「こりゃまさか……。畜生! 嵌められたかっ!」

「おい、どういう事だ!? 説明しろ!」


 何かに気付いたように頭目が唸るのを見てヘクトールが詰め寄る。だが頭目はその手を振り払った。


「説明してる時間はねぇ! お前はとにかくその嬢ちゃんを逃がせっ!」


「……!!」

 ヘクトールはハッとなって慌ててディアナの姿を探し求める。幸いにもそれほど離れていない位置にいたのですぐ見つかったが、予想外の事態に混乱して硬直してしまっている様子だ。このままでは落石や混乱に巻き込まれて危ない。


「ディアナ、来い! 逃げるぞっ!」

「へ、ヘクトール様……!」


 ディアナが何か言い掛けるのを構わず腕を掴んで強引に引っ張りながら、安全な場所を求めて走る。周囲は既に大混乱で味方の兵士達も容赦なく岩に押し潰されたり生き埋めになったりしていた。どうやら直接の落石だけでなく、それが刺激になって土砂崩れが発生したらしく、更に被害を拡大させていた。


 だが残念ながら助けている余裕はない。今はディアナの安全が最優先だ。降り注ぐ落石や土砂から彼女を庇いながらようやく谷間が途切れた開けた場所が見えてきたが……


「……!」

 何とそこにも上方から落石の罠を仕掛けて待ち構えている謎の兵士達がいた。同時にこれがやはり山賊達とも関係ない第三者の仕業である事が明確となった。しかし今は連中の正体を誰何している場合ではない。


 男達が落石の仕掛けを作動させる。大量の岩塊が2人の頭上に降り注ぐ。このまま走っていては間に合わない。そう判断したヘクトールは……


「ディアナッ! そのまま逃げろぉぉっ!!」

「え……きゃああぁ!?」


 ディアナの身体を持ち上げて、落石の効果範囲外に向かって強引に投げ飛ばした!


 怪力によって物凄い勢いで投げ飛ばされたディアナは、したたかに地面に身体を打ち付けて呻いたが、それによって辛くも落石に押し潰される事は免れた。だが……


「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 ヘクトール自身は脱出が間に合わず、咆哮と共に落石の雨に呑み込まれていった。




 ………………




 そして……全ての音が止んだ。落石や土砂崩れが終わったのだ。土砂や岩塊で埋まった谷間は静まり返っていた。兵士達も、山賊達も、ヘクトールも……皆、土砂に呑み込まれて消えてしまった。呻き声を発する者さえおらず……その場は先程までの混乱や喧騒が嘘のように静寂に包まれていた。


「…………ヘクトール、様?」


 静寂の中、弱々しい少女の声だけが虚しく響く。ディアナだ。ヘクトールの働きによって彼女だけは間一髪で難を逃れたのだ。だがそれ以外の人々は皆……


「ヘクトール様! ヘクトール様ぁっ!! へ、返事をしてください! ヘクトール様!!」


 何が起きたのか良く把握できていない彼女は、目の前の現実を拒絶するかのようにヘクトールの名を呼び続けた。だが彼の応えはなく、ただ谷間を埋め尽くす大量の土砂や岩礫の間を乾いた風が吹き抜ける音が聞こえるのみだ。


(な、何よ……何なのよ、これ……。一体、何が……)


 全てはあっという間だった。気付いたら崖の上から岩の雨が降ってきて、敵も味方も皆押し潰されて。そしてヘクトールに連れられて逃げ出して、あと一歩という所で彼もまた彼女を庇った為に……


「……っ!!」


 ディアナがいなければ、ヘクトール1人なら彼は助かっていたのだ。彼女を助ける為にヘクトールは身代わりになったような物だ。


「いや……駄目よ。駄目よ、そんなの……。こんなの、絶対に嘘よ。こんな事……現実のはずがないわ」


 夢遊病者のような足取りで谷間を埋め尽くす瓦礫に近付いていく。とにかくこの岩を退けなければならない。ヘクトールを助け出すのだ。こんな事で……しかも自分が原因で彼が死ぬなどあってはならない事なのだ。


 現実を受け入れられないディアナが巨大な岩塊の山を動かそうと、一心不乱に無駄な努力を続けていると……



 ――ザッザッザッ……



「……!」

 この場に近付いてくる複数の足音があった。ディアナは思わず身を固くして振り返った。するとそこには……


「おやおや、もしやとは思っていましたが、まさかこの罠を生き延びるとは。何とも悪運の強い方ですなぁ」 


 まるで彼女を取り囲むように2、30人程の武装した男達がいた。その中央から進み出てきたのは、今回の山賊討伐を依頼してきた豪商フレドリックであった。


 しかし以前に会った時と異なり、まるでこちらの苦境を嘲笑うようにニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていた。


 それを見てディアナは、やはりあの落石の前に見た彼の姿は見間違いではなかったのだと確信した。それと同時にこの災禍を引き起こしたのが紛れも無く彼の仕業である事も。


「な、何故……何故、こんな事を……?」


 当然の疑問が彼女の口から漏れ出る。全く訳が分からない状況だった。フレドリックがこんな事をする理由も動機も解らないだけに、彼女は不気味さを感じた。


 フレドリックは増々悪意の笑みを深くして両手を広げた。



「ふふふ……あなたが悪いのですよ、ディアナさん。あなたが『あのお方』に疎まれた事で抹殺命令・・・・が下ってしまったのです。これは全てあなたの存在が原因なのです!」



「あ、あのお方……?」


 ディアナは更なる困惑に陥る。フレドリックの今の言い方だと、彼にこの惨劇を引き起こすように命令した人物がいるという事になる。


(う、疎まれて……? 私が一体何をしたっていうのよ!?)


 ディアナには全く心当たりが無かった。もしかして旗揚げしたゴルガの前太守の関係者だろうか。だがそんな人物が、こんな大掛かりな罠を仕掛けられるフレドリックを従えられるとは思えない。


 それとも或いはあのサディアスの手先なのだろうか。だがあの男は何となくだが、こういう陰険な騙し討ちのような手段は使わずに正面から叩き潰してくるような印象があった。


 しかし彼女に思い当たるとしたらそれくらいしかなかった。



「おっと、喋り過ぎましたな。これ以上はあなたが知る必要はない事です。……生き残ったというのであれば精々利用させてもらいましょうか。あのヘクトールという男は始末出来ましたが、まだゴルガにはあなたの勢力が残っている訳ですしね」


「……っ! な、何をする気!? 私に近寄らないで!」


 フレドリックの言葉に不穏な物を察知したディアナは、慌てて剣を構えて敵を牽制する。フレドリックが哀れな物を見るような目つきになる。


「ふふふ、どうせ逃げられはしないというのに……。ウルゴル! 少し遊んであげなさい。ただし殺しては駄目ですよ?」


「……!」


 フレドリックの呼びかけに応じて、私兵達の中から一際巨大な影がのっそりと進み出てくるのを見てディアナは緊張する。


 実を言うとその巨漢は最初から目に付いてはいたのだ。それほどに目立つ外見をしていた。ヘクトールやあの山賊の頭目も上回るほどの縦にも横にも大きい巨体。そして禿頭の顔は恐らくは奇形と呼ばれる物だろう。目鼻口などの各パーツが普通の人間と大きくズレた位置に付いていた。



「ぎへへ……こいつは役得だなぁ」


 ウルゴルと呼ばれた巨漢は醜悪な笑みを浮かべながら、背後に背負った戦斧を抜き……放たなかった。両腕に装備している腕甲を打ち鳴らしながらのっそりと近づいてくる。どうやら得物も使わず素手で相手をする気のようだ。


「……っ」

 相手の異様な迫力に呑まれていたディアナだが、完全にこちらを舐め腐ったウルゴルの態度に瞬間的にカッとなる。


「舐め……るなぁぁっ!」


 激情を力に変えてこちらから斬りかかる。全身全霊の薙ぎ払い。だが……


「けっ……」

「っ!?」


 ウルゴルは容易く斬撃の軌道を見切って腕甲で弾いてしまう。鈍重そうな外見からは想像もつかないほどの素早い挙動であった。また相手は腕甲で受けただけなのに、余りの重量差からか斬りつけた方のディアナが体勢を崩してしまう。


 そこに今度はウルゴルがお返しとばかりに腕を薙ぎ払ってディアナの剣に腕甲を叩きつける。


「ぐぁ……!」


 たったそれだけで恐ろしいほどの衝撃が剣に加わり、彼女は到底剣を把持している事が出来ずに取り落してしまう。


「ぎひひ!」

「ぐふぅっ!!」


 ウルゴルが再び腕を振るう。巨大な拳がディアナの腹にめり込んだ。激痛と肺から全ての空気を絞り出されるような衝撃にディアナは一溜まりもなく、急速に意識が遠のいていく。


(ああ……やっぱり私は……弱い。申し訳ありません、ヘクトール様……)


 彼が命を懸けて助けてくれたのに、その献身すら無駄にしてしまい、こうして敵の手に落ちてしまった。


 ディアナは薄れゆく意識の中で自らの無力さを呪い、ひたすらヘクトールに謝罪し続けていた……

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