第二幕 潜在せし脅威(Ⅱ) ~蛮骨の武

 ゴルガと隣県のペリオーレの県境付近にある山岳地帯。フレドリックによると、カルム商会を優先的に襲う件の山賊団は現在、この山岳を根城にしているらしいとの事。


 そしてディアナは300ほどの兵を引き連れて、この山賊団の討伐に赴いていた。余り大人数だと山賊団が戦闘を忌避して逃げられてしまう可能性が高いという事でこの兵数となった。


 フレドリックの件を聞いたアーネスト達からは山賊の討伐自体は賛成されたが、当然ディアナが直接討伐に出向く事には反対された。


 しかしそれを予期していたディアナは絶対に自分が行くと頑として言う事を聞かず、しまいには「君主命令」だと強権・・を発動して、強引に自分が親征する事を納得させた。


 あくまで反対するアーネストに対してシュテファンが間に立って、副官としてヘクトールを同行させるという条件を付ける事でようやく認められたのであった。



「なあ、ディアナ。実際に賊軍と戦う時はお前は後陣にいてくれりゃあいい。敵と直接矛を交えるのは俺達に任せとけ」


 随伴するヘクトールが心配げに声を掛けてくる。しかしディアナは半ば意固地になってかぶりを振った。


「ヘクトール様。それについてはもう何度も繰り返しているはずです。年若い女の太守という事でゴルガの民も不安に思っているはずです。この山賊討伐を成し遂げる事で、私が頼れる君主である事を民や兵らに知らしめねばなりません。それには私が直接敵と戦う必要があるのです」


 口では尤もらしい事を言うディアナだが、その内心は……


(何よ、皆で私を壊れ物か何かのように扱って……。私だって強くなってるのよ。戦でも充分戦えるって所を見せてやるわ! そうすれば兄上達だって私を見直すはずよ)


 山賊討伐で渋られているようでは、他の諸侯との戦になど絶対参加させてもらえないだろう。同志達が自分より優秀なのは彼女自身が誰よりも良く解っていることだが、だからと言って全てを人任せにして自分は安全な場所でのうのうとしている気など彼女には毛頭なかった。


 ゴルガの旗揚げ戦の時のようなもどかしい思いをするのはもう御免だった。




 やがて討伐軍は襲撃が頻発している渓谷地帯に差し掛かった。アーネストの提案で討伐軍はカルム商会の隊商に偽装していた。馬車には偽の積み荷を大量に詰め込み、それを運ぶ人工達も実際には変装したディアナ軍の兵士達である。彼等を囲う護衛の傭兵達も実際には変装した兵士達であり、その数は約半分の150人ほど。


 これもアーネストの見立てで、このくらいの数なら襲撃を警戒している隊商の防備体制として不自然は無いとの事。


 果たしてその偽装の効果は……



 ――ワアァァァァァァッ!!



「……っ!」

 岩場や山林の陰から次々と鬨の声を上げながら現れた武装集団が、谷間の斜面を駆け下りるようにして挟撃してくる。


「現れたわね! こいつらが件の山賊で間違いなさそうね! 偽装を解け! 迎撃用意!」


 ディアナの号令に従って偽装を解く兵士達。それで襲撃してきた山賊達も相手がいつものカルム商会ではないと気付いた様子だが、既に突撃中で今更反転して撤収する事は不可能だ。


「よし! 敵は浮足立っています! このまま攻勢を仕掛けて敵の頭目を討ち取ります! 私に続けっ!」


 ディアナは剣を掲げると、何と自分から率先して敵に対して斬り込んでいってしまう。慌てたのはヘクトールだ。


「お、おい、馬鹿! まだ早ぇ! ……くそ! 何を焦ってんだ、アイツは!?」


 彼は舌打ちしながらも、ディアナを守る為に慌ててその後を追いかけていく。そしてそのまま両軍がぶつかり合い、戦局はすぐに混乱の様相を呈する。



 当然ディアナの元にも敵が殺到してくるが、周囲には味方の兵士もいたのと彼女自身が極めて興奮状態にあるのとで、怖れを抱く事無く勇敢に剣を振るう。


「私はゴルガ伯ディアナ! 頭目はどこにいる! 出てきて尋常に立ち会えっ!」


 その甲高く良く通る美声を張り上げて敵を挑発するディアナ。敵味方合わせてこの場で唯一の女性である事と、その派手な容姿から敵の耳目を大いに集める。そして……


「何だぁ? 随分勇ましいお嬢ちゃんだなぁ。そういや新しいゴルガ伯は女だって噂は聞いてたが、まさか本当だったとはなぁ」


「……!」

 眼前に現れた男の姿を見てディアナは思わず息を呑んだ。


 デカい。それが第一印象だ。もしかしたらヘクトールよりも大きいかもしれない。体格や筋肉の厚み自体も相当なものだ。


 顎鬚と口髭に覆われた厳つい面貌は、如何にも荒くれ山賊の頭領といった風情だ。髪型は蒼っぽい頭巾のような物を被っているので解らない。


 そしてもう一つ目を惹くのが、男が持っている馬鹿げた大きさの蛮刀だ。長さも厚さも……そして重さも、通常の刀の倍以上はありそうな巨大刀であった。こんな物を振るわれたら、恐らくディアナにはまともに受ける事さえ出来ないだろう。


 彼女の喉がゴクッと鳴る。山賊の頭目など精々があのアルヘイムで戦った頭領程度だと思っていたのだ。こんな化け物が出てくるのは想定外であった。



「ほれ、お望み通り出てきてやったぜ? どうするんだ?」


「……っ! 黙れ、悪しき山賊め! 罪もない商会を襲い民を苦しめる犯罪者など我が剣で成敗してくれる! そこに直りなさいっ!」


 まるきりこちらをおちょくった様子の頭目の態度にカッとなったディアナは、どの道後には退けない事もあって、その怒りを勇気に変えて頭目に挑みかかる。だがそれは勇気というより蛮勇と呼んで差し支えない行動であった。


 頭目が肩を竦めた。


「……何だかよく分からんが、やるってんなら相手になるぜ。掛かってきな」


「言われずとも! 行くぞっ!」


 ディアナは全力で斬り掛かる。相手は見るからに膂力自慢の巨漢という感じだ。武器も巨大でさぞ威力があるだろうが、反面速度には劣るかも知れない。逆に言うとディアナに勝機があるとしたらそこしかない。


 先手必勝で剣を薙ぎ払うディアナだったが……


「ふん……!」

「なっ!?」


 彼女は愕然とする。必勝を期した全霊の一撃はあっさりと防がれた。あれほど巨大な刀を彼女には殆ど見えないほどの速さで動かし、ディアナの斬撃を難なく受けてしまったのだ。


「んん? 何だ、もう終わりか?」


「く……うおぉぉぉぉっ!!」


 余裕の態度を崩さない頭目に対して激昂したディアナは、激情を力に変えて連撃を仕掛ける。だが無情にも全ての斬撃は悉く大刀に受け止められ、頭目には一太刀も届かなかった。



「そ、そんな……」


 非情な現実に、彼女は目の前が真っ暗になるような絶望に襲われた。


「気が済んだか? んじゃ今度はこっちから行かせてもらうぜ」


「……っ!」

 進み出る巨体の威圧感にディアナは思わず及び腰になってしまう。しかし頭目は容赦なく刀を振るう。


「そらっ!」


 風を薙ぐ轟音。巨大な蛮刀の刀身が見えなくなるくらいの速さで振り抜かれ、気付いた時にはディアナの持つ剣に恐ろしい程の衝撃が加わる。


「……っぁぁっ!!」


 圧倒的な衝撃にディアナは到底耐えきる事が出来ずに、剣を弾き飛ばされてしまう。


「ぐ……」


 彼女は衝撃に押されて、そのまま痺れた腕を庇いながら片膝を着いて呻く。やはり頭目の武は見せかけだけではなかった。ディアナでは恐らく何十回挑んだ所で結果は同じだろう。



(く、悔しい……。あんなに頑張って修行してきたのに……)


 アルヘイムやダラムで無様な敗北を喫して以来、ずっと強くなる為の修行を続けてきたのだ。実際に強くなったと思っていた。しかしそれはこうして本物の強者と相対すれば容易く手折られる程度のものでしかなかったのだ。


 悔しさの余り泣けてきた。彼女は今ほど自分が女である事を呪った事はなかった。


「お嬢ちゃんの腕じゃ俺には勝てねえよ。諦めな」

「……っ」


 そこに頭目の言葉が追い打ちとなって被せられる。彼女には歯噛みする事しか出来ない。



「さてと、とりあえず嬢ちゃんが大将だってんなら、あんたを捕えちまえば俺達の勝ちって事だよな?」


「……!!」

 頭目がディアナを捕えようと迫ってくる。彼女はまだ衝撃が抜けきっておらず立ち上がれない。頭目の巨大な腕が伸びてくる。ディアナは観念して思わず目を閉じ掛けて……


「――ディアナッ!!」

「……っ!?」


 先程の頭目の一撃にも劣らない凄まじい風切り音。頭目が慌てて飛び退いた。そのままディアナと頭目の間に割って入ったのは、赤い髪に堂々たる体躯の武人。


「悪ぃ、ディアナ! 遅くなっちまった!」

「へ、ヘクトール様……!」


 今回の討伐軍の副官・・として同行していたヘクトールであった。ディアナは思わずその頼もしい巨体を仰ぎ見る。


 だがヘクトールは厳しい表情で頭目のみを見据えていた。


「下がってろ、ディアナ。こいつの相手は俺がする」


「……っ! わ、私だってまだやれます……!」


 ディアナはまだ痺れの残る手で剣を拾い上げて強引に立ち上がった。こんな屈辱を受けて黙って引き下がるなど出来る訳がない。今度こそ何としてでも奴に一矢報いて――



「――馬鹿野郎っ!! 邪魔だっつってんだよ!!」



「ひっ!?」

 思ってもいなかった大喝を間近で浴びて、ディアナは情けなく悲鳴を上げて硬直してしまう。ヘクトールは相変わらず頭目から視線を外さないまま畳み掛けてくる。


「お前にどうにかなる相手じゃねぇって解らねぇのか!! いいからすっこんでろっ!!」


「う…………」


 ヘクトールが言っている事は紛れもない事実だ。反論できないディアナは唇を噛みしめて引き下がる以外に選択肢が無かった。


 ヘクトールはそれを確認してから目の前の頭目に闘気と殺気を向ける。



「よう、悪かったな。こっからは選手交代だ。俺が相手してやるよ」


「ほう……お前さん、かなりやりそうだな。こりゃあちっとは楽しめそうだな?」


 ヘクトールの闘気を受けた頭目の表情が変わる。そして自らもヘクトールのそれに劣らない程の闘気を発散させる。


「抜かせっ!」


 ヘクトールが先手を切る。巨大な戟が消えたと錯覚するほどの速さで突き出される。しかし頭目もやはりその巨大な蛮刀を高速で振るってヘクトールの突きを受ける。


 反撃に頭目の大刀が薙ぎ払われる。ディアナを相手にしていた時とは比較にならない鋭さ、重さの斬撃は、しかしヘクトールの戟によって受け止められた。


 互いの力は拮抗しているようで、一進一退の攻防がしばらく続いた。お互いが大きく得物を打ち合ってから一旦距離を取る。


「俺とここまで打ち合えるとは……。お前、ただの山賊じゃねぇな? 何でこんな所で賊なんざやってる?」


 ヘクトールが本気で感心したように問い掛ける。彼には自分とここまで打ち合える武将は、この中原全体でもそう多くはいないという自覚があった。この頭目の強さならいくらでも好待遇で勢力に仕える事ができるはずだ。


 頭目は肩を揺すって豪快に笑う。


「がははは! お褒めに預かって恐縮だが、こっちにも色々事情があってな。お前さんこそそれだけの強さがありながら、何であんな嬢ちゃんに従ってんだ?」


「はっ! そりゃお前、惚れた弱みってやつよ。俺はあいつを支えるって約束しちまったんでな」


 彼の返答を聞いた頭目は一瞬きょとんと目を丸くする。それから再び豪快に笑った。


「がはは! なるほど、それじゃ仕方ねぇ! 全く、男ってやつはどうしようもねぇな!」


 凶悪な山賊の頭目というには磊落で悪意のなさそうな挙動にヘクトールも一瞬毒気を抜かれるが、すぐにそんな場合ではないと気を引き締める。


「さあ、お喋りはここまでだ。俺の本気を見せてやるぜ」

「ぐはは! そりゃこっちの台詞だ!」


 そして2人の豪傑は再びぶつかり合う。常人なら近付いただけで巻き込まれて吹き飛ばされかねない、暴風が互いを飲み込もうと衝突し合う。周囲でも他の山賊達と兵士達の戦闘が続いているが、この2人の戦いは文字通り次元が違った。


 皆が戦いつつもこの超常の対決に巻き込まれないように無意識に距離を取っている。結果として二人の周囲は、戦場から切り離されてぽっかりと穴が空いたように無人の空間となっていた。


 だがそんな激闘をやや昏い瞳で見据えているのは……



(す、凄い……。ヘクトール様は勿論だけど、あの男もそれと互角に……。それに比べて私は……)


 ディアナだ。周囲の敵味方が2人の戦いを避けているせいで出来た一時的な安全地帯・・・・に彼女はいた。


(私は、弱い……! こんな事で私は本当に天下を相手に戦っていけるの……?)


 彼女は女だ。どうしても特に武芸面では男に劣ってしまう。仕方のない事だと頭では理解していても、感情は納得できない。自分がもし男に生まれていれば、あの頭目はもう少し自分に対して真剣に相手してきただろうか。


 もし自分が男ならヘクトールやアーネスト達は、自分を壊れ物のように扱っただろうか。


 勿論女であった事で得をしてきた部分、上手く行った部分もある事は解っている。だがそれを解っていても、特にこうした場面では自分が女である事を呪わずにはいられない。



 ディアナがそうして激しい悔しさと焦燥に駆られながら、ヘクトール達の一騎打ちを眺めている時、ふと彼女は微かな違和感を覚えた。


「…………?」


 何となくだが、誰かに見られているような……視線を感じるのだ。ヘクトールも頭目も戦いに夢中で気付いていない。周りの他の敵味方もだ。皆、戦いに集中しているからだ。


 だからこの場で唯一戦っていない彼女だけがその違和感に気付き……何となく視線を上に向けた。


(え……?)


 一瞬見間違いかと思った。両軍が戦矛を交える谷間を見下ろす切り立った崖の上に、複数の人影が見えたのだ。しかも彼女の見間違いでなければ、その人影の先頭に立ってこちらを見下ろしているのは……



(あ、あれは……フレドリック・・・・・・様……? な、何で……)



 それは今回の戦いの発端。ディアナにこの山賊討伐を依頼してきた豪商のフレドリックであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る