第二章 闘争編
潜在せし脅威
第一幕 山賊討伐依頼
リベリア州。ゴルガの街と隣のぺリオーレの街を結ぶ街道を、比較的規模の大きな隊商が通っていた。
隊商の名はカルム商会。主としてフランカ州産の農産物を扱っている商会で、それを主にリベリア州の各県の食物商に卸す事で利益を得ている。それだけでなく、そうしてリベリアの各県を回った時にリベリア産の良質な武具を買い付けてそれを他州に売り捌く商いも行っている。
今も街道を進む隊商の荷台には、フランカ州の作物を売って得た金で買い付けた大量の武具が積まれていた。これを逆にフランカ州で高値で売るのだ。
今は戦乱の世であり武具や軍馬などの相場は上がる一方で、元からリベリア州内に太いパイプを持つカルム商会はこの戦乱を利用して相当の利益を上げていた。
フランカ州へと向かう隊商は、左右に小高い山が聳える谷間に差し掛かった。
しかしここを迂回するとなると相当の時間的ロスを被る事になり、それによる経費の倍増や機会損失も馬鹿にならない。その為商会の主の意向によって、リスクは高くてもこの街道を通るように隊商は指示されていた。
「……そろそろ危険地帯に差し掛かる。まあこの隊商の規模なら大丈夫だとは思うが……念の為警戒は怠るなよ」
この隊商を任されている責任者の商人が、護衛に雇っている傭兵達に念を押している。カルム商会はかなり利益を上げている商会なので護衛の数も質も充分だ。並みの山賊ならこの隊商の威容を見れば、そもそも襲撃を掛けようなどとは思わないだろう。山賊だって命は惜しいだろうし、無理に厄介な獲物を襲う理由はない。
谷間を通る隊商を見て商人がそう安心しかけた時……
――ワアァァァァァァ!!
「……っ!」
谷間に鬨の声が響き渡り、山道や山林に潜んでいたと思われる大勢の武装した男達が得物を振り上げながら斜面を駆け下りてくる。山賊の待ち伏せだ。
「馬鹿な! 本当に襲撃してくるとは……!」
こちらの護衛の数が見えないのか。見た所、山賊の数は200人程度だ。小さくはないが、そこまで大規模な山賊団という訳でもない。こちらも護衛は優に100人以上揃えており、そこまでの数の差はない。どう考えても山賊にとっては襲うには割に合わない相手だと解るはずだ。なのに山賊共の動きに躊躇いは見られない。
「くそ、何だこいつら!? ええい! 迎撃しろ! 積み荷を守れっ!」
商人が声を枯らす。この為に護衛共に高い金を払っているのだ。傭兵たちは練度に差はあるものの概ね賊よりは強い者が多く、装備の質も良い。この人数差であれば勝機は充分ある。ある程度被害を与えれば山賊達も諦めて逃げていくだろう。
そして襲ってきた山賊と護衛部隊がぶつかり合う。数は山賊の方が多いが、商人の予想通り練度は傭兵達の方が上で、何とか持ちこたえられていた。このまま行けば割に合わないと感じた山賊を撤退に追い込む事が出来るだろう。
商人は勝利を確信した。だが……
「おらおらおらおらおらぁっ!!」
大喝。そして唸りを上げて刃が振るわれる音。その度にこちらの傭兵達が吹き飛ばされ、切り刻まれ、血しぶきを上げて倒れ伏していく。それは一種の冗談のような光景だった。だが紛れもない現実だ。
「な、何だぁ、アイツは!?」
そこには明らかに他の山賊達から頭一つ以上抜けたとんでもない巨躯で、馬鹿みたいな大きさの幅広の刀を振り回す男がいた。
その巨漢が大刀を振り下ろす度に、こちら側の傭兵達が鎧や兜ごと身体を断ち割られて死んでいく。武器で受けたとしてもお構いなしに武器ごと両断される。その大刀の重量も加味されての事だろうが、そもそもそんな重量の武器を軽々と振り回せる事自体あり得ない程の剛力だ。
それはまるで災害のような物で、近付けば確実に死が訪れる暴威の竜巻であった。その圧倒的な武勇に明らかに味方の傭兵達が浮足立つ。
所詮金で雇われているだけの無頼者達だ。こんな
傭兵達の士気が落ちると、逆に山賊達は勢いづく。商人がマズいと思った時には、このままでは全滅すると悟った傭兵達が総崩れになる。
こうなるともう駄目だ。商人は積み荷を守る所か、自分自身の命を守る事に全力を注がねばならなくなった。
「くそ、何だ、あの化け物は!? こんな事になろうとは……! 撤収だ! 積み荷を置いて逃げろぉ!!」
商会の従業員達にも遁走を指示する商人。結局積み荷を守れず隊商自体が瓦解する事になってしまった。全てはあの山賊の頭目と思しき巨漢のせいだ。実質あの巨漢1人によって敗走したような物だ。
商人は遁走しながら歯軋りする。自身の責任は免れないが、ここで確実に命を落とすよりはマシだ。山賊達が勝利の雄叫びを上げて積み荷を接収しているのを尻目に、商人はひたすら街に向かって逃げ続けた。
そしてこれ以降もこの巨漢の山賊に率いられた山賊団は、度々カルム商会の隊商を襲うようになる。ゴルガの街に新しい勢力が……即ちディアナ軍が旗揚げしたのは、そんな時勢の最中であった。
*****
ゴルガの街。比較的富裕層が集まる高級住宅街の一角に建つ大きな屋敷。今この屋敷のホールでは盛大な宴が催されていた。
この戦乱の世でもこれほどの贅が尽くせるのかという美味珍味の料理が所狭しと並び、壁際にはこの宴の為に雇われた楽士達が、心を落ち着かせる雅な楽曲を奏でている。そして招待客の為に何人もの給仕達が控えており甲斐甲斐しく御用聞きを行う。
それらの全てが……
ゴルガの街で旗揚げを成功させ、皇帝から正式にゴルガ伯の辞令を受けたディアナ。彼女は名実共にゴルガ県の県令となったのだ。
そしてそれから間もなくの事。街に拠点を構える有力者の1人から、太守就任祝いという事で是非にと宴に招待されたのだ。
街の有力者と誼を通じておくのは何かとメリットがあり必要な事でもあると、アーネストからもバジルからもお墨付きをもらったディアナはその招待を受ける事となった。
アーネスト達やシュテファンはそれぞれの仕事が忙しくて参加できなかったが、万が一という事もあるので、ディアナの護衛を兼ねてヘクトールも宴に同席していた。
他には同じ街の有力者やその家族などが招待客として参加していた。
「おい、ディアナ! 食ってるか!? この料理、滅茶苦茶美味ぇぞ! こりゃ多分フランカ料理だな。それにこの酒はガルマニアの高級麦酒だ! まさかこのリベリアの田舎で故郷の、しかも極上の酒が飲めるたぁな!」
「へ、ヘクトール様……はしたないですよ!」
一応彼女の護衛という名目で宴に参加しているのを忘れているのか、料理や酒に舌鼓を打つヘクトールの姿にディアナは少し気恥ずかしくなってしまう。
しかし彼女は気付いていなかったが、ヘクトールが率先して騒ぎ、その姿を恥ずかしく思う事が自制に繋がり、彼女自身がお上りさん丸出しの雰囲気になって他の招待客に侮られる事態を予防できていた
結果としてディアナは、初めてこのような本格的な宴に参加する小娘とは思えない程に落ち着いた所作で、むしろはしたなく騒ぐ麾下の武官を嗜める主君という構図となり、周囲から侮りとは逆の感嘆の眼差しを受ける事になっていた。
「ディアナ様。我が宴は如何ですかな? お楽しみ頂けておりますでしょうか?」
そこに1人の男性が酒杯を片手に歩み寄ってきた。高価で仕立ての良い服に身を包んだ品の良さそうな男性で、柔和な雰囲気を醸し出している。
この屋敷の主であり、この宴にディアナを主賓として招待してくれた富豪のフレドリック・ヨルゲン・カルムだ。自身の名を冠したカルム商会という交易商を営んでいるやり手の豪商だ。
年の頃は40前後と思われ、名うての商会の長としては若いとも言え、彼の非凡さを物語っている。
ディアナは居住まいを正した。
「これは、フレドリック様。ええ、勿論です。この度はこのような盛大な宴にお招き頂きありがとうございます」
いつもの平服や鎧姿ではなくアーネストに見立てられた正装姿のディアナは、服の裾をつまんで貴人の礼を取った。この辺りの礼儀作法も、今後はこういう機会もあるだろうとアーネストやシュテファンに教え込まれたものだ。
その可憐な姿にフレドリックは目を細めた。他の招待客も感嘆した様子になる。
「それは何よりです。新たに朝廷からも承認を受けたこの街の太守様と誼を通じておきたいと考えるのは、この街で商売をしている者としては当然ですからな」
フレドリックはディアナの返答に満足そうに頷く。しかしすぐにその表情が憂いを帯びた暗い物に変わる。
「全く……この街に力強い新たな風が吹き込んだ目出度い時だと言うのに、私どもに降りかかる苦難は相変わらずなので余計に嘆きたくなります」
「苦難……ですか?」
何の事だろうとディアナは首を傾げる。こんな盛大な宴を開けるくらいに財力のある彼が、何らかの苦難を受けているようには見えない。フレドリックは自嘲気味に苦笑する。
「いえ、実はこの宴もそれなりに苦労して催しているのです。まあ一種の見栄とでも言いましょうか」
そこで彼は少し声を潜める様子になる。
「実は……こうして太守様をお招きしたのは、
随分深刻そうな調子だ。兼ねてというより、こちらが
とりあえず話だけは聞いてみて、判断が難しい案件であれば改めて義兄やアーネスト達に相談すればいい。そう決めたディアナは頷いた。
「解りました。民の陳情を聞くのも太守の仕事です。お伺いしましょう」
「ありがとうございます、ディアナ様。ではこちらで……」
フレドリックは会場の奥まった場所にある一角にディアナを誘った。そこには小さめの卓を挟んで長椅子が二つ置かれた個別席が設けられていた。
ディアナと彼女の護衛として控えているヘクトールが促されるまま長椅子の一つに腰掛けると、フレドリックも対面に座った。
「さて、それではお話を伺いましょうか」
「はい、実はですね……」
フレドリックが、彼の言う所の『苦難』の説明を始めた。
*****
「……なんと、この近辺にそのような凶悪な山賊が?」
フレドリックの話を聞いたディアナが瞠目する。
彼によるとカルム商会は交易を生業としているのだが、その交易品を狙ったタチの悪い山賊団に目を付けられてしまったらしい。
何故かカルム商会の隊商だけを狙い、他の商会の積み荷は襲わないのだとか。
「はい。あの連中にはほとほと困り果てております。護衛を増やしたり隊を分けたりというのも、費用を考えると限界がありまして……」
当然今までにも経費の許す限りで様々な対策はしてきたのだろう。しかしそれらはどれも功を奏しなかった。
「そもそも何故カルム商会だけが狙われるのですか? 他の商会は襲われていないのですよね?」
「皆目見当が付きません。勿論商売人の常として誰かから恨みを買っているという事は考えられますが、少なくともあんな連中に恨まれる憶えはありません。私どもを蹴落とそうと考える別の商会に雇われていると考えたほうがまだ納得できます」
「なるほど……」
確かに考えられるのはそんな所だろう。だがフレドリックもそうして言及するからには、当然調査済みのはずだ。それでも『犯人』を見つける事は出来なかったのだ。
「奴等には手を焼かされっぱなしで、このままでは商売もままなりません。そこでこの度ゴルガで軍を興されたディアナ様にお助け頂けないかと」
「……!」
フレドリックから嘆願されたディアナは、不謹慎かも知れないが若干
何というか……すごく為政者
胸に込み上げる物があったディアナは勢い込んで頷いていた。
「お任せ下さい、フレドリック様! 民の安寧を図るのも為政者の務め! 民に仇名す凶悪な山賊は私が必ず討伐してみせましょう!」
するとそれまで黙っていたヘクトールが身を乗り出す。
「ディアナ。賊なんぞにわざわざお前が出る事もない。俺に任せとけ」
「ヘクトール様、お気遣いありがとうございます。でもこれは私がフレドリック様より直接頼まれた事。賊を討伐する事で私が頼れる太守だと皆に知ってもらう為にも、ここは私が行きます!」
ディアナの決意は固く、彼女はある種の使命感に燃えていた。恐らく義兄やアーネストにも反対されるだろうが、絶対に引き下がる気はなかった。
フレドリックが喜色を浮かべてその場で頭を下げた。
「おお! 流石はその若さで、しかも女人の身で旗揚げを為された御方! 素晴らしい気概でいらっしゃいます! 討伐に成功した暁には、勿論相応の謝礼をさせて頂く所存にございます。どうぞ何卒良しなにお願い致します」
「勿論です、フレドリック様! この私が必ずや山賊を討伐致します! 吉報をお待ちください!」
そこまで大きくはない胸を叩いて自信満々に請け負うディアナ。その姿を眺めながらヘクトールが彼にしてはやや憂慮の表情を浮かべていたが、ディアナがそれに気付く事はなかった。
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