確かな一歩

第三十幕 異国と火山

 帝国の南東に位置するリベリア州。ハイランド州からも距離があるこの辺境州の更に南東に行くと徐々に緑が少なくなっていき、風景は赤茶けた荒野に姿を変えていく。


 そこから更に下っていくとその先には、帝国人から死の砂漠と怖れられる『ザハラーゥ』の不毛の砂丘が延々と広がっている。


 余りの酷暑ぶりと永遠に続いているかと思える広大さに、有史以前にはその砂漠は地の果てと同義であり、その先には何もない無の世界が広がっていると考えられてきた。


 だがそれはこの世の中心を謳う帝国人達の大いなる思い上がりと言えた。何故なら……広大な砂漠の先にも人が住んでいる事が解ったから。


 いや、住んでいるどころか、下手をすればオウマ帝国に匹敵するような巨大国家までが存在している事が明らかになった。


 何故解ったのか? それは……侵略・・によってだ。


 帝国の長い歴史の中で、この砂漠を越えて異相の大軍勢が侵攻してきた事が何度かあった。文化も言語も異なるこの軍勢はその異質さと精強さを以って、帝国軍を大いに苦戦させた。


 捕虜などから苦心して得られた情報から、彼等は『パルージャ帝国』と呼ばれるもう一つの帝国が送り出した侵略軍である事が判明し、オウマ帝国に匹敵する巨大国家の存在は当時の帝国人達の心胆を寒からしめた。


 いずれの侵攻も最終的には撃退する事に成功したものの、その爪痕は大きく、帝国の国威を弱め現在の内乱に繋がる要因の一つとなった。


 そしてこのリベリア州はその立地上、常にパルージャとの戦争の舞台になってきた経緯があり、その影響から地域の経済は停滞し、治安は悪化し、帝都から距離がある事も相まって今では辺境と呼ばれるに至っていた。




「……と、そのような経緯から諸侯の注目度が比較的低い事、そしてパルージャ帝国の侵攻に備える為に頑健な砦や城壁を有する県が多い事、優秀な鍛造・鋳造技術を有した工房を多く抱える事、荒野に聳えるカリオネル火山は多くの鉱脈が存在する資源の塊である事、また火山から齎された火山灰は農業に適した肥沃な大地を作る事……。他にも細かい理由はいくつもありますが、大きな所ではその辺りが、リベリア州のこの……最東端のソンドリア郡を旗揚げの地に選んだ理由です」


 リベリア州のソンドリア郡ゴルガ県。ゴルガの街からは少し離れた場所に設営されたディアナ軍の『本陣』。その中央に張られた大きな天幕の中に、現在ディアナと4人の同志達全員が集っていた。現在のディアナ軍の首脳陣・・・だ。


 ディアナは軍師のアーネストより、この地を旗揚げの候補地として選んだ理由について改めて説明を受けていた。



「パルージャ帝国か……。中原とは戦闘様式から何まで違う軍隊らしいな。俺としちゃ一度はやり合ってみたい奴等だったが、これから国取りしようって時じゃそうも言ってられねぇな。こんな場所で大丈夫なのか? またいつ連中が攻めてくるかも知れないだろ」


 ヘクトールが今更ながらに疑問を呈する。それに対してアーネストではなくバジルが露骨に馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「やれやれ、これだから学も情報もない脳筋は……。今パルージャ帝国は大帝の後継者争いに端を発した内乱で揺れていて、とても砂漠を越えて中原に侵攻してくる余裕などない。少しは周囲の情勢というものに気を配れ」


「んだと、テメェ?」


 無駄に挑発的な物言いをするバジルにヘクトールが目を吊り上げるが……


「よさんか、2人共! だがバジルの言っている事自体は確かな情報だ。それに加えて『ザハラーゥ』を踏破できる『大精霊イフリート』自体が、100年の1人ほどしか出現しないらしいからな。直近の侵略が約40年前なので、どの道当面は奴等の心配はしなくて良いはずだ」


 シュテファンが2人を仲裁しつつ補足する。


 パルージャ帝国の皇室には稀に『精霊ジン』と呼ばれる、砂漠のオアシスの出現位置を正確に予測できる異能を持った者が生れてくる事があるらしい。その中でも広大な『ザハラーゥ』全体のオアシスの位置を把握できる程の能力を持った者は『大精霊イフリート』と呼ばれ、100年に1人ほどしか現れないらしい。


 その『大精霊』が誕生し長じた時期が、帝国への侵攻時期と重なってきたのだ。



「パルージャ帝国について心配がいらないのは解りましたけど……」


 ディアナにはこの地に来てからずっと気になっていた懸念事項があった。それは今この時も天幕の外を覗けば見える、とある光景にあった。



「あの……火山は本当に大丈夫なんでしょうか? もし噴火したりしたら……」



 ある意味ではこのリベリア州を象徴するとも言えるカリオネル火山。北にあるデュアディナム山脈の山々ほどではないが、それでもこのソンドリア郡のどこからでもその威容が目視できる程には巨大な火山。いや、州都のエトルリアからもはっきり見えるらしい。


 なまじ山脈のように連なっておらず単体の山だけに、その巨大さに圧倒されてしまう。こんな物がもし噴火したらと思うと気が気ではない。実際に過去の歴史の中で何度か噴火が記録されているのだ。


 尤も甚大な被害をもたらしたのは凡そ300年近く前、帝国成立以前の七国戦国時代の物だ。地震と膨大な量の火山灰だけでも相当な範囲の地域が被害に遭ったらしいが、本当に最悪だったのはその後に発生した凄まじい火砕流であり、当時のリベリア王国の首都トーランスはその殆どがこの火砕流に吞み込まれた。


 住民が逃げる間も無い程の速さで迫る火砕流によって生き埋めになり焼け死んだ人々の遺体が、当時の姿を象ったままトーランスの遺跡と共に今なお現存しているという。



 当時の戦国時代、リベリア王国は破竹の勢いで快進撃を続けており、そのまま行けば天下統一も夢ではなかったと言われている。


 リベリア王は噴火の際は遠征に出ており運よく無事であったが、一瞬で王都を失い国土の大半を火山灰に覆われた事で、その後急速に衰退と滅亡を余儀なくされた。


 その為カリオネル火山が噴火していなければ、中原には今とは全く別の王朝が立っていたのではと言われており、この時の大噴火は今のオウマ帝国成立に密接に関わった事象として、歴史書や学術書などに克明な記録が残されているのだ。


 なのでディアナもかつてシュテファンの屋敷で学問に励んでいる際に、カリオネル火山の噴火については何度も記述を目にしており、余計に気になったのだ。


 彼女としては自身が直接噴火に巻き込まれたらという心配は当然の事として、これから地盤を築いて天下に乗り出そうとするに当たって、リベリア州を本拠とするというのはかつてのリベリア王の軌跡を辿るようで、どうにも縁起が悪い気がして今一つ乗り気ではなかった。



「なるほど、なるほど……。ディアナ殿のご懸念は良く理解できます」


 アーネストはむしろディアナがそうして自分の意見を述べてくれた事を喜ぶように、何度も首を縦に振った。


「しかし私もかつて『傭兵軍師』として各地の戦に関わり中原の情勢を先読みするに当たって、当然このカリオネル火山の動向・・については関心を抱いていました。良くも悪くも中原の状況を大きく動かす要素ですからね。そこでかつて共に学んだ同門で地学に造詣の深い友人がいまして、その友人にこの火山の噴火の兆候についての調査を頼んでいたのです」


「……!」


 ディアナは話の内容もさる事ながら、アーネストの同門・・という言葉に若干興味を抱いた。そう言えば彼はどこでこれほどの軍略や学問を学んだのだろう。共に学んだ同門というからには、彼自身もそこで学んだという事になる。


 だがディアナの内心など知る由も無くアーネストは話を続ける。


「彼は調査隊を組織して、実に2年以上の歳月を掛けて綿密にあの火山について調べてくれました。そこで彼が調べられた範囲でも、かの『トーランス大噴火』に匹敵する規模の噴火が、それ以前にも少なくとも二度・・起きていた事を突き止めました」


「に、二度も!? それじゃあ余計に……」


「話は最後までお聞きください。『トーランス大噴火』より一つ前の大噴火は、それより更に500年前の出来事でした。つまり碌に記録も残っていない黎明時代の話ですね」


「……!」


「そして更にその前の大噴火は、そのまた500年前……。つまり『トーランス大噴火』の約1000年前という事になります。ここまで来ると結論が見えてきませんか?」


 アーネストはまた家庭教師の顔になってディアナに質問を返す。同じ話を聞いているバジルやシュテファンは既にアーネストの言いたい事を察している様子だったが、ヘクトールだけは首を傾げていた。


 このまま彼と同列に思われるのは避けたいディアナは必死に頭を巡らせる。そしてハッとして顔を上げた。



「周期……。街が呑み込まれる程の大噴火は500年に一度の周期でしか起こっていない……? つまり『トーランス大噴火』が300年前だから、次の大噴火まで少なくとも後200年はあるという事ですか!?」



 ディアナの答えにアーネストは満足げに頷く。


「そういう事です。200年あれば少なくとも天下の趨勢などとうに定まっている事でしょう。それでいて大噴火の火山灰の堆積は、この地に肥沃な恵みをもたらしてくれます。この火山の研究の事を思い出したのは僥倖でした。勿論英霊ならぬ身で、大噴火の可能性が完全にゼロと言い切る事は出来ませんが、限りなく可能性が低いのは確かです。肥沃な大地や多くの鉱脈を抱える立地を得られる対価としては充分お釣りが来るものと判断します」


「な、なるほど……」


「丁度大噴火の時期に当たってしまったリベリア王には天運が無かったのです。天下を握るには天運もまた重要。あなたに天の加護あらば、自然は必ずや味方してくれるでしょう。どうか自信と気概をお持ち下さい」


「……!」

 自信と気概。そうだ。これから天下に名乗りを上げて、最終的にはあのサディアスも下して帝都で待つルードの元に凱旋を果たすのだ。 


 天運をも味方に付けなければ到底達成する事は不可能な難事と言える。


「……そうですね。アーネスト様の仰る事も尤もです。カリオネル火山も味方に付けるくらいの気概が必要かも知れません。私も覚悟を決めました。この地を私達の出発の地とします!」


「ご英断です、ディアナ殿」


 ディアナの宣言に、アーネストは臣下の礼を取る。バジルやシュテファンも同様だ。



「……でもよ。後200年は安全だって解ってるなら、何でこの地はあんまり注目されてねぇんだ? 耕地や鉱脈に加えて、高品質な武具の産地だってのによ?」


 ヘクトールも礼は取りつつも自分の疑問を素直に述べる。するとよせばいいのに、またバジルが鼻を鳴らす。


「全く……少しは考えてから発言しろ。この火山に関しての詳細な調査が既に為されていれば、アーネストがわざわざ友人に頼んで調査隊など組織する必要はなかった。トーランスの遺跡が今でも禁忌の地とされている事から解るように、帝国はカリオネル火山に関して詳細に調べるよりは、距離を置いて関わらないという方針だったんだ。いわゆる『触らぬ霊に祟りなし』という奴だ」


「……一々勿体付けやがって、頭でっかち野郎が。それが何だってんだよ?」


 露骨に不快気な様子になるヘクトールだが、バジルは構わず嘆息する。


「ここまで言われても解らんのか? つまり殆どの帝国人にとって大噴火に周期がある事さえ知りようもない情報なのだ。戦国時代以前の黎明時代や、更にそれ以前の先史時代の噴火など、まともな記録さえ存在しないだろうからな」


「ん……?」


 ヘクトールがようやく何かに気付いたように片眉を上げる。そこでシュテファンが苦笑しながら引き継いだ。


「つまり基本的に帝国人にとってカリオネル火山は、文字通りいつ爆発するとも解らない火種という訳だ。それは先程のレアの態度からも明らかであろう? いくら土壌が肥沃ではあってもそんな所に好んで拠点を構えようという物好きは少ない。だからこの辺りの太守たちは皆、中央から追いやられて左遷された者が殆どだ。この州が辺境と呼ばれるのはパルージャ帝国だけでなくカリオネル火山も原因なのだ」


「あー……そういう事か。ようやく合点がいったぜ」


 ヘクトールが頭を掻きながら頷いている。バジルが挑発的な物言いをするので突っかかる事が多いが、基本的には素直な性格なのだ。



 アーネストが頷きながら再び発言する。


「そう……だからこそ、正しい知識さえ持っていれば宝の山であるこの地が狙い目なのです。ディアナ殿、準備は宜しいですか? 既にゴルガ県内に勝手に陣を張っている我等は、ゴルガの太守から睨まれている事でしょう。近い内に向こうから何らかのアプローチがあるはずです。そしてもう500人は揃っているので隊商と偽るのも限界です」


「解っています。つまり……いよいよという事ですね」


 アーネストの言いたい事を察したディアナは床几から立ち上がった。ここに至るまでの道中でも募兵を繰り返し、ディアナ軍は当初の目標であった500人に達していた。人数が増えれば戦力は増すが、その分維持費も馬鹿にならなくなる。どの道行動を起こす時期であった。既に覚悟は決まっている。


 シュテファンとヘクトールが号令を掛けて、私兵達を陣の中央広場に集める。そして誂えられた壇上に登るディアナ。両脇にはアーネストとバジルが控える。


 流石に500人も揃うと壮観だ。だがこれからもっと大人数に号令したり演説したりしなければならない機会も出てくるだろう。ディアナは緊張を飲み込んで力強く私兵達を睥睨した。



「皆さん! いよいよ行動を起こす時が来ました! これより私達はこのゴルガの地に自分達の勢力を打ち立てる戦に臨みます! その戦に勝利するには皆さんの協力が不可欠です! どうか私と……私達と共に戦って下さい! 我が優秀な同志達の指揮に従って頂ければ必ずや勝利できます! 私と一緒に……新しい国を作りましょうっ!!」

 


 ――ウオォォォォォォォォッ!!!



 ディアナが演説を締めくくると、私兵達から怒号にも等しい気勢が上がる。500人もいると中々の迫力であった。アーネストによると既に彼等はディアナの虜であり、死に物狂いで戦ってくれるだろうとの事。それを裏付けるような熱狂ぶりだ。



 ここに至り遂に、【戦乙女】ディアナの伝説の幕が上がった!

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