第二十九幕 いつか必ず

「陛下……このような街の外まで何用ですかな? ここは危のうございます。すぐにシャリーア宮にお戻り下され」


 サディアスが平伏したままそう促すのを聞いて、ディアナはあのルードが紛れもなくルナン帝であった事を知る。


(まさか……ルードが皇帝陛下だったなんて……。それは確かにあの場で素性を明かせないはずよね)


 ディアナがそんな事を考えている間にも事態は進む。



「お主は……サディアス中佐であったな? 何故この者達を攻撃しようとしている? いつから帝国軍は無辜の民を襲う賊軍に成り下がった?」


 その美声も紛れもなく聞き覚えのあるルード少年の声であった。だが今はあの時のような快活な調子は鳴りを潜めて、頑張って威厳を出そうとしているような堅苦しい声音であった。恐らくスラムで会った時の方が、あの少年本来の調子なのだろう。


「お言葉ですが陛下。この者達は無辜の民などではありませぬ。旗揚げと称して陛下の領地を奪い取り、いずれは朝廷にも牙を剥かんとする危険極まりない放浪軍なのです。陛下の治世にとっていずれ必ず脅威となる存在と判断しました故、討伐に踏み切りました」


 尤もらしいサディアスの説明にルード――ルナン帝は鼻を鳴らした。


「予の治世? お主の覇道・・の間違いではないのか?」


「……お戯れを。我が忠誠は常に陛下と帝国にのみ捧げられております」


 サディアスが一瞬の間を置いて、より深く平伏する。その姿に冷笑を返してからルナン帝はディアナ達の方に視線を向けた。



「サディアスはこう言っておるが……お主らは本当に、徒に世の治安を乱す放浪軍なのか?」


「……いえ、我らはあくまで林業を生業とする商人に過ぎません。政庁にも正式に届け出を行って認可されております。しかし隊商の人数が予定より増えた為に、軍人様の警戒を買ってしまったようなのです」


 アーネストが平伏したまま答える。ルナン帝は頷いて顎を撫でる。


「ふむ……この隊商はアールベック商会と言ったか? 代表は誰か?」


「あ……」

 ディアナは思わず名乗り出ようとして、しかし彼に対してどう接して良いのか解らず戸惑ったように固まってしまう。


 しかしそれはサディアス達は勿論、アーネストやシュテファン達の目にも、初めて皇帝に直に会った緊張によるものと判断され、不自然さ・・・・を感じる者は誰も居なかった。



「ふむ、お主か。……名は何と言う・・・・・・?」


「……!!」

 知っているはずなのに、さもこの場が初対面のように振る舞うルナン帝。それでディアナにもこの場で彼にどう対応すべきか理解できた。


「は、はい……。ディアナ・レア・アールベックと申します。陛下」



「そうか……。では、ディアナよ。お主は……自分の仕事と役目・・・・・・・・に常に忠実で、それに邁進・・できると誓えるか?」



「……っ!!」

 抽象的な問いかけにディアナは、その真意を図ろうとルナン帝の顔を見返す。そして目を見開いた。


 他の皆は平伏していてディアナだけがルナン帝の表情を見ている状態。彼は薄っすらと微笑んで、彼女に向かって小さく頷いたのだ。それでディアナも悟った。


 ルナン帝は……いや、ルード・・・は、ディアナの事を助けようとしてくれているのだと。そして自分の目的に向かって邁進しろと言っているのだ。


 ディアナが旗揚げをして最終的には朝廷に代わって天下統一を成し遂げる事を目標にしていると知りながら、その目的を果たせと言うのだ。



(いや……)


 ディアナは思った。何も帝位を簒奪して自分の王朝を打ち立てる事だけが天下統一ではない。彼女の目的はあくまで戦乱を終わらせる・・・・・・・・事だ。帝位など望んでいない。ならば他の諸侯を平定し天下に安寧を齎すのは、オウマ帝国・・・・・であっても構わないはずだ。


 簒奪や禅譲を目的とするのではなく、あくまで皇帝を立てて、帝国の臣・・・・という立場で天下平定を目指す。



 彼女は今、まるで天啓を得たかのように自分の進むべき道が見えた気がした。



 だがそれはこの帝都では……ハイランド州では不可能な事だ。ここは既にサディアスの領域といって良く、今の彼女にはまだサディアスと戦い勝利する力はない。


 力を蓄えなくてはならない。他の諸侯を平定し、サディアスに打ち勝ち、ルードを今の環境から救い出して本当の意味で皇帝にする為にも、今はサディアスの勢力圏外に逃れて自らの基盤を作らねばならない。


(ごめんなさい、ルード……。でも待っていて。私はいつか必ずここに戻ってくる。だからあなたも……負けないで!)



 決意した彼女もやはりルードに向かって小さく頷く。


「はい……誓えます! そして仕事を終えて……必ずここに戻ってきます!」

「……!」


 その言葉と表情だけで何となく彼女の意志が伝わったらしく、ルードは何かに納得したように目を細めた。そして再び口元を緩めた。


「ほぅ、そうか? では……その時・・・を楽しみにしている」


 ルードはそう言って再びサディアスに向き直った。



「サディアスよ。お前の決め付けだけで、具体的に何かした訳でもない善良な国民達・・・・・・に危害を加える事は予が許さん。速やかに部隊を撤収させて、この者達を通してやれ。これは命令だ」


「……っ! ……畏まりました」


 サディアスは身体を震わせ何かを堪えるように息を吐き出すと、不承不承命令に従った。いかに野心の強いサディアスでも、流石に表立って皇帝の命令に反抗する訳には行かない。だが余り無体な命令を下せば、サディアスはいつ暴発してもおかしくない。ルードとしてもこれが限界だろう。


 だが彼が介入してくれなければ義兄のシュテファンやヘクトールらを失う事態もあり得たのだ。ディアナ自身もどうなっていたか解らない。それを思えばルードの果たしてくれた役割は計り知れない程に大きい。


(本当にありがとう、ルード。この恩は絶対に返すわ。私がこの帝都に凱旋・・する事によって……!)



 アーネスト達は皇帝の気まぐれ・・・・が翻される前に、この場を急いで離れるべく私兵達を纏めて出立していく。当然ディアナも一緒だ。


 彼女は最後にもう一度だけルードと目を合わせた。彼は少し寂しげな微笑を浮かべながらも、次の瞬間には決然と頷いた。


 それは彼の意思表明であった。ディアナが再び帝都に戻ってくるまで、彼も彼なりに戦い抜く・・・・という意思表明だ。


 それを認めたディアナは後ろ髪を引かれつつも、仲間達と共に南へ向かって下っていった。ルード……皇帝は、彼女の後ろ姿が見えなくなるまでずっと見守り続けていた……





 こうして帝都での騒動は幕を下ろした。


 ディアナは自らの運命を変えたルードとの出会いを経て、自身の進むべき道を見出した。同時にその目標に対する最大の障害となるであろうサディアスとの邂逅。


 様々な思いを秘めて、彼女はより一層の強い決意を持って旗揚げの地を目指すのであった。

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