第二十幕 孤高の異才(Ⅶ) ~彼女の『仇討ち』


「は、はは……やりやがった。あいつ……やりやがった!」


 バジルは目の前で展開した光景が信じられなかった。年若い少女であるディアナが、明らかに戦いや殺しを生業としているだろう傭兵の男に一騎打ちで勝利したのだ。


 だが信じられなかろうがなんだろうが、彼女が勝ったのは現実だ。少女が成し遂げた奇跡・・を目の当たりにして、バジルは自身の中に名状しがたい熱い物が込み上げてくるのを感じた。



「ば、ば……馬鹿な……! あり得ん! こんな事が……こんな小娘がぁっ!?」


 一方完全に想定外の事態にホーキンズは動揺の極致にあるようで、言葉遣いが素に戻っていた。顔を青ざめさせてワナワナと震える。


「う……」

「お、おいっ!?」


 そして当のディアナはというと……気が抜けると同時に、一騎打ちで受けたダメージと、疲労、そして激しい精神的高揚と興奮が一気に反動となって襲い掛かり、その場に突っ伏すように倒れ込んでしまった。  


 バジルが慌てて側に寄るが、呼吸は規則正しく苦しげな様子もない。どうやら疲労で眠ってしまっただけのようだ。バジルはホッと息を吐いた。



「く、くそ、こうしてはおれん! 今の内に逃げねば……」


 ディアナが気絶したのを好機と見て取って、ホーキンズがこそこそとその場を逃げ出そうとする。


 暗殺が失敗に終わった以上この街に長居は出来ない。こうなれば官憲の手が回る前に、私財を持てるだけ持ってこの街から逃げ出すのが吉だ。そう思って動き出そうとしたホーキンズだが……



「どこへ行く? 貴様の行く先は牢獄以外にはないぞ?」

「……っ!?」


 突如聞こえてきた冷徹な声に、ホーキンズの足がギョッとして止まる。彼が逃げようとしていた路地の先に、いつの間にか複数の衛兵が立ち塞がっていた。その先頭にいるのは……


「き、貴様は……アーネスト!?」


「久しぶりだな、ホーキンズよ。先日は私の庵に楽しい客を寄こしてくれてありがとう。責任を持ってもてなしたよ」


「……っ!」

 アーネストの皮肉にホーキンズの顔が引き攣る。今は浪人に過ぎないアーネストが衛兵を引き連れている様子なのは、元々この街で働いていたという伝手と、何よりも証拠・・を持参して通報したからだろう。事前に計画して手配していたようだ。


 全てを理解したホーキンズが顔を歪めた。


「き、貴様……。よもやこれは全て貴様の謀か……!」


「私の命を狙ったりせねば、私は貴様など眼中になかったというのに……。貴様は自ら藪を突いて蛇を出したのだ」


「……!!」

 ホーキンズの身体が一際大きく震える。今更後悔しても手遅れだ。



「第一級の禁制品であるジャハンナム・・・・・・を売り捌くとは……。まあそれだけに利益も大きかったのだろうが……極刑は免れんと思え」



 オウマ帝国とは南東にある『死の砂漠』ザハラーゥを間に隔てた異国であるパルージャ帝国でしか作られていない麻薬ジャハンナム。強烈な依存性があり瞬く間に朝廷の高官達の間に蔓延した事から、時の皇帝によって第一級の禁制品に指定された。


 所持が発覚しただけでも厳罰。ましてやそれを売り捌いて蔓延させたとなれば……


 今は凋落し内乱が続く帝国だが、それでも諸侯達が帝国の臣であるという事実は変わらない。どれだけ内乱が続こうと、ここは『オウマ帝国』なのだ。



 呆然自失の抜け殻のような有様となったホーキンズが衛兵に連行されていく。その成り行きを見守っている内に落ち着きを取り戻したバジルが、佇んだままのアーネストを睨み上げる。


「まさか奴がジャハンナムなぞに手を染めていたとはな。だがアーネスト、貴様……俺を利用したな?」


 タイミングが余りにも出来過ぎている。最初からバジルを囮に使ってホーキンズを炙り出すのが目的だったのだ。果たしてアーネストは表情一つ変えずに肩を竦めた。


「否定はせん。だが……お前はあの時ディアナ殿の夢を悪しざまに嘲笑したな? これで貸し借り無しという事にしてやる」


「ぬ……!」

 痛い所を突かれたバジルは低く唸るだけで押し黙った。そう……痛い所・・・だと認識したのだ。その事実にバジルは自分自身で戸惑った。



 アーネストが倒れたまま気絶しているディアナに視線を移す。


「さて……ここは話をするのに適当な場所とは言えんし、ディアナ殿をこのままにもしておけん。今日は彼女を連れて一旦宿に帰るが、もし明日――」


「――ここから宿までは遠い。俺の屋敷に連れていけ。ここからならそこが一番近い」


 アーネストの言葉を遮るようにバジルが提案する。アーネストが興味深そうに眉を上げる。


「ほぅ……? ふむ……まあ良い。ではお言葉に甘えさせてもらおうか」


 バジルの心境の変化・・・・・を目敏く感じ取ったアーネストは、口元に笑みを浮かべながら彼の提案に頷いた。




*****




「ん……んん……! あ、あれ、私……?」


 目が覚めたディアナは、見知らぬ天井に戸惑った。視線を巡らして自分がどこかの部屋で寝台に寝かされている事は解ったが、そもそも誰の部屋で、自分がどこにいるのか解らなかった。


(確か……そうだ! バジル様を助けて、あの男と戦って……!)


 あれからどうなったのか。相手の男を倒した所までは覚えているのだが、その後精神的な疲労を含めた色々な物が一気に押し寄せて、その場で気絶してしまったのだ。そして目が覚めたらこの見知らぬ広い部屋の中である。


 戸惑いながらも、とりあえず寝台から出ようと起き上がった時、部屋の扉が開いて誰かが入って来た。



「……! 目が覚めたのか。もういいのか?」

「あ……バ、バジル様! あ、あの、ここは……?」


 現れたのは気絶する前に彼女が助けたバジルであった。どうやら無事だったようだ。彼はそのまま歩いてくると、椅子を引いてきて彼女が乗る寝台の前に据えてそこに腰掛けた。


「ここは俺の屋敷だ。あそこからは一番近かったんでな」


「……! そ、そうとは知らずに失礼しました! す、すぐに……」


 驚いたディアナが慌てて寝台から降りようとするが、バジルは片手を挙げてそれを制した。


「ああ、いい! まだ本調子じゃあるまい。もうしばらく寝ていろ! いいなっ!?」


「……っ。は、はい!」

 何故か強い調子で念を押されて、ディアナは怯んだ様子で寝台に戻る。そのまま何となくお互いに喋らずに沈黙が訪れる。



「……あ、あの、バジル様。私……」


「一つだけ聞かせろ。何故そこまでする? 女の身で旗揚げなど……苦難しかあるまい。挙句にこのような無茶まで……。何がお前をそこまで駆り立てる?」


 バジルが妙に静かな口調で問い掛けてくる。じっと彼女を見つめる目には、今までは無かった真摯な光が宿っているようにも見え……それを感じ取ったディアナも居住まいを正した。



「別に……戦乱ではよくある、ありふれた話です。故郷の村が戦に巻き込まれて壊滅したんです。私は偶然その時村を留守にしていたんですが……父も母も、弟も友達も……村の知り合いも全員焼き殺されました」


「……!」


「残された私は以前から親交のあったお義母様の家に、養子として引き取られましたが……しかし私にはただ家族を失った事を嘆き悲しんで、戦乱に脅えて暮らす生活など真っ平でした」


「…………」


「私は戦乱が憎い! 戦乱を生み出した今の世が憎いっ! 兄上の元で剣や軍略を学んできたのも……全てはその憎き『戦乱終わらせる』為です。それが、私の『戦乱の世』に対する仇討ち・・・なんです!」


 大多数の人間はただ時代の情勢に流されて、その中で細々と生きていくだけだ。戦乱を嘆く事はあっても、自らがそれを終わらせようなどと思い立って行動を始める人間などそうはいないだろう。ましてや女の身であれば尚更の事だ。


 だが彼女は行動した。その原動力となった物が、今彼女が語った理由なのだろう。



「なるほど、『仇討ち』か……。世の為人の為だの大義の為だの言われるより、余程説得力があるな」


「バジル様……?」


 彼女の目指す世自体は平和な世であり、世の為人の為と言えるのかも知れないが、その動機が世間知らずの甘っちょろい理想論ではなく、自らの喪失や体験からくる私怨・・とも言える感情である。そして世の中に対する失望や怒りという感情は、バジルにとっても馴染み深い物であった。


 彼は一度目を閉じると大きく息を吐き出した。



「……いいだろう。気に入った。お前の『仇討ち』とやらに俺も手を貸してやろうじゃないか」



「え……」

 ディアナの大きな目が更に見開かれる。


「お前に命を助けられて、その覚悟も見せられ動機も聞いた。ここまでされて尚動かぬほど俺も愚かではないぞ?」


「……!」


「旗揚げして国を作って天下を相手取っていくにも、その土台を支える者は必要だろう。お前の足元は俺がきっちりと支えてやる。だからお前は安心して『仇討ち』に専念するがいい」


「あ……」

 一瞬何を言われたのか解らないという風に呆然とするディアナ。しかし意味が理解できるに連れて、その顔が喜びと興奮で満たされていく。


「あ、あ……ありがとうございます、バジル様! まだまだ未熟な若輩者ではありますが、皆様の薫陶を糧に精進していきます! どうかこれから宜しくお願いします!」


 本当に嬉しそうに感情を露わにして破顔するディアナの姿に、バジルは眩しい物を見たかのように目を逸らした。そして照れ隠しか、頬を掻きながら付け加える。


「ふん……この選択を後悔させるなよ?」


「は、はい! 頑張ります! 本当にありがとうございます、バジル様!」


 ディアナとしても一度手酷い拒絶を受けてからの勧誘承諾だけに、喜びも一入であった。感激の余りバジルの手を取らんばかりの勢いで喜ぶ彼女の目尻には、うっすらと光る物があった。





 こうして紆余曲折は経たものの、最終的には意中の人物であった優秀な官吏のバジルを同志とする事に成功したディアナ。


 彼の加入を持ってアーネストから言われていた条件を満たしたディアナは、いよいよ旗揚げに向けて具体的に動き出していく事になる……

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