第十八幕 釣られた魚
ライトリムは中原でも北に位置する県である為、夜も早い。戦乱や愚政の煽りを受けた不景気も手伝って、道行く人々や店を構える商人なども陽が陰り始めると早々に帰路に付く。
そんな人通りが殆ど絶えた寂しい路地を、1人の男が歩いていた。闇に溶け込むような黒い服に陰気そうな目付きの悪い顔立ちの男。バジルだ。
本来自分の仕事だけならもっと早くに終わっているはずなのに、他の官吏共から余計な仕事を押し付けらたせいですっかり遅くなってしまった。
「あの馬鹿どもめ……。定められた規則を前例通りに運用するしか能のない無能の癖に、他人に阿って仕事を押し付ける能力だけは一人前だな」
バジルは1人愚痴る。自分が他の者より優秀だという自覚はある。それだけの努力をしてきたし、実績も上げてきた。だが性格的に処世術という物が下手で、派閥を作れるような友人もいない。
その為にそういう仕事以外の部分で熱心で要領だけはいい連中ばかりが出世していき、結果としてバジルは能力だけはあって仕事を押し付けてもすぐに片付けてくれる便利屋のような扱いを受けていた。
しかもそうして片付けた仕事は、何もしないで押し付けただけの連中の手柄になるのだ。ここ数年はずっとこんな状況が続いていた。
(俺はこんな事をする為に、これまで必死に努力して官吏にまで登り詰めたのか……?)
時々堪えようも無く虚しさを感じる事がある。いや、最近はしょっちゅうだ。
(……そういえばアーネストの奴、あれから音沙汰がないな)
現状から目を逸らしたかったのもあってか、彼はふと、数日前に久しぶりに会った冷徹な雰囲気の軍師の顔を思い出した。
彼がその能力面においても認めていた数少ない人物だが、やはりバジルと同じで他人と協調していく術を知らない、もしくはその価値を認めていなかったのか、周囲の凡才共に疎まれて足を引っ張られ、それを厭うて出奔してしまった。
こんな事になるのなら、彼もアーネストのように野に下ってしまえば良かったのかも知れない。
しかし仮にこの街を辞して他の勢力に移った所で、どこも似たような状況だろう。それなら中途転籍のハンデを背負うよりはまだこの街に留まった方がいい。
(……いっその事、誰か新しい勢力でも立ち上げてくれないものか。今なら喜んで移ってやるぞ)
新興勢力なら中途転籍のハンデもない。それどころか創立から関わる事が出来れば自らが中枢として、無能な上役に邪魔される事無く自分のやり方で自分の思い描く内政に打ち込めるだろう。まさに夢のような環境だ。
そこまで考えた時、アーネストが連れてきた女の事を思い出した。確かディアナとか言ったか。外見的にはかなり人目を惹く少女だった。実の所、部屋に入った時から気になってはいたのだ。
だがその可憐な口から発せられた台詞は……
(あんな少女が旗揚げだと!? 馬鹿馬鹿しい! 世の中を舐めるにも程があるっ! 頭がおかしいとしか思えん。アーネストはあの外見に惑わされ篭絡されたのか。所詮はその程度の男だったという事か。失望したぞ)
心の中でブツブツと呟きながら、腐った気持ちでバジルが夜の路地を歩いていると……
「――おやおや、バジルさん。今ようやく帰りですか? こんな遅くまで精が出ることですねぇ!」
「……!」
道の先に、まるでバジルを待ち構えるかのように立っている1人の男がいた。バジルはその男を見て眉を上げた。男が誰か解らなかったからではない。この男が何故こんな時間にこんな場所にいるのか解らなかったからだ。
「ホーキンズ? お前、何故こんな所に……?」
それはバジルの同僚の1人で、よく彼に仕事を押し付けて、自分は美味しい所だけを掠め取っていく常連のような男であった。
その為間違ってもこんな時刻まで働いているような男ではないし、その屋敷もこの寂れた区画からは離れた一等地にあるはずだ。この男がここにいる理由が解らない。
ホーキンズは何故か嫌らしい笑みを浮かべてバジルに近寄ってくる。
「いえいえ、ちょっとバジルさんにお聞きしたい事がありましてねぇ。余り人に聞かれたくない話なのでここで待たせて頂きました」
「俺に聞きたい事だと?」
仕事の話だろうか。この男が仕事に興味を持つとは思えなかったが、他に心当たりもない。
「ええ……。数日前に
「何だと? 何故お前がそんな事を知っている? 別に……大した用事ではない。久しぶりに
まさか頭のおかしい少女から旗揚げの同志に勧誘されたなどと言う訳にも行かず、若干間を開けて当たり障りのない返答をする。しかし僅かに言い淀んだ彼の様子に、ホーキンズはスッと目を細める。
「なるほどなるほど、旧交ですか……。あなたは喰えないお人だ。アーネストから全て聞いていて、裏で
「お前……さっきから何を言っている? 告発だと? 何の話だ?」
「まだ解りませんか? 要するに……あなたに死んで頂きたいんですよ!」
「……っ!?」
ホーキンズの笑い声と共に、彼の後ろに新たな人影が出現した。どうやら今まで建物の陰に隠れていたらしい。
黒っぽい軽鎧を身に着け顔の下半分を覆面で隠し、手には短槍を所持している見るからに怪しげな男で、鋭い目線でこちらを睨みつけたかと思うと、何の前触れも無く短槍を突き出してきた。
「うおっ!?」
バジルは驚愕して思わず後ずさりするが、咄嗟の事だった為にバランスを崩してその場に尻餅を着いてしまう。
「ふふふ……僅かでも
ホーキンズが笑いながら、男に指示を出す。どうやら奴が個人的に雇っている傭兵か何からしい。
「……殺す」
殺気を漲らせて近付いてくる傭兵の男。この辺りは丁度人が住んでいない区画で、この時間帯ともなると人通り自体もほぼ無い。だからこそホーキンズはこの場所で待ち構えていたのだ。最初からバジルを殺すつもりで。
(ば、馬鹿な……俺は死ぬのか? こんな訳の分からん状況で……!)
理不尽な状況に彼は混乱しつつも、自らに迫る死の気配を濃厚に感じ取った。ホーキンズも傭兵の男も、どう見ても本気だ。
貧しい生まれから豪商の家に奉公する機会に恵まれ、そのチャンスを物にするべく必死で勉学に励み、遂には官僚になる事に成功した。
だが待っていたのは能力や実績が正当に評価されず、おべっか使いや賄賂だけが取り柄の無能な連中だけが得して出世していく腐った社会であった。
そんな中でも必死に足掻いてきた挙句に、訳の分からない濡れ衣を着せられて理不尽に殺されるのか。
バジルは驚きや怒りを通り越して笑い出したい気持ちになった。同時にもう何もかもどうでもいいという捨て鉢な心境となる。こんな腐った下らない世の中しかないのなら、死んで煉獄にでも行った方がまだマシかも知れない。
(煉獄が実力主義の世の中ならいいな……)
目の前で短槍を引き絞る男の姿を見上げながら、バジルはそんな事を考えた。そして男が今度こそバジルを殺すべく槍を突き出す。観念して目を閉じるバジル。だがその時……!
「――バジル様っ!!」
――ガキィィィンッ!!!
「……っ!?」
甲高い
「ば、馬鹿な……お前は……!」
「ご無事ですか、バジル様!」
傭兵の槍を剣で受けて、バジルを庇うように間に立ち塞がるのは……女性用に改造した鎧を身に着けた1人の少女。
それは先日アーネストと一緒に屋敷を訪れ、気が違ったとしか思えない大言壮語をぶちまけたあの美しい少女、ディアナ・レア・アールベックであった!
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