第十七幕 アーネストの思惑

「…………」


 ライトリムの大通りを歩くディアナは、悄然と俯いたままだった。バジルから浴びせられた心無い悪罵を思い出す度に、胸が抉られるような苦しみを覚え涙が込み上げそうになる。


 初めての経験だった。


 今まで彼女が夢を打ち明け協力を仰いだ相手を思い出す。義母や義兄のシュテファンら身内は勿論の事、アーネストやヘクトールも何だかんだ言いながら彼女の夢を否定する事は無かった。


 ヘクトールには彼女の覚悟を試す為の厳しい試練を課せられたが、それだって前提として彼女の夢を肯定した上での試練であった。



 だが……今回はそれとは根本的に性質の異なる、完全なる否定・・であった。自分の真剣な思いを目の前で悪しざまに嘲笑され、妄言と扱き下ろされ否定されたのだ。



 ディアナはその事に、自身の想像以上の心理的ダメージを負っていた。俯いたままフラフラと頼りない足取りで大通りを歩いていたディアナは、街の広場まで到達すると、そこに備え付けてあるベンチの一つに力なく腰掛けた。そしてそのまま何をするでもなく、ただ項垂れたまま座っていた。何もする気力が起きなかった。


 しかしそう時間を置かず、そんな彼女の元に近付いてくる足音が一つ。顔を上げると予想通りアーネストであった。


 彼がバジルとディアナを会わせる事を迷っていたという理由が解った。そして実際にその懸念通りとなってしまった。


 静かに自分を見下ろす彼の顔を見て再び先程の記憶を甦らせてしまい、涙が溢れそうになって慌てて俯く。


 アーネストは黙って彼女の隣に腰掛けた。そして口を開いた。



「……ディアナ殿。お辛いでしょうが、これが現実・・です。あなたは若い女性であり、しかもまだ何も為していないのですから、本来あれが普通の反応なのです」


「……っ!!」

 ディアナは思わず再び顔を上げた。アーネストは相変わらず冷徹な表情のままだ。


「そ、それは……でも……。じゃ、じゃあ、あれが普通だって仰るなら、何でアーネスト様達は……!?」


 普通ではない・・・・・・反応を返して、彼女の同志となってくれたのか。アーネストはかぶりを振った。


「私もただあなたが訪ねてきて、あなたの話だけを聞かされていたら、恐らくバジルに近い反応を返していた事でしょう。しかしそうはならなかった……」


「……!」


「私だけではありません。シュテファン殿もヘクトール殿も、恐らく私と同じ物・・・を見たはずです。ならば……バジルにもそれ・・を見せてやればいい」


「ア、アーネスト様……?」


 鋭い視線になって謎の気迫のようなものが立ち昇るアーネストの姿に、ディアナは目を丸くする。彼がディアナの方に向き直る。



「ディアナ殿。私がもう一度だけバジルを勧誘する機会を作ります。こうなったら何としても奴にあなたの事を認めさせてやりたいので」



 そこでディアナは気付いた。ディアナが悪しざまに罵られるという事は、彼女を認めたアーネスト達もまた間接的に罵られているという事だ。こうなると解ってはいても、悔しい思いをしたのは彼も同じだったのだ。


 それに気付いたディアナの中にも、闘志・・のような感情が湧き上がってきた。そうだ。悪しざまに否定されて……このままで終われるはずがない。アーネスト達の名誉の為にも、そして彼女自身の矜持の為にも。


 彼女の事を認めないというなら、何としても認めさせてやるまでだ。



「でも……機会を作るって、どうやって?」


 あの調子では確実に門前払いを喰らうだろう。そもそも会う事が出来なければ勧誘しようもない。だがアーネストは不敵な笑みを浮かべる。


「……実は私がこの街に来たのは、バジルの勧誘以外にももう一つ・・・・目的があったからです」


「え、もう一つ……?」


「ええ。……私達が最初に出会った時の、あの兵士達を覚えていますか?」


「……! は、はい、勿論です」


 アーネストの庵を焼き払って、彼自身の事も殺そうとしていた連中だ。ディアナはそれに巻き込まれて隊長格の男に敗北して乱暴されかけた。恐らくその後は殺されていただろう。


 そう言えばそもそも彼等が何者で、何故アーネストの命を狙っていたのかは解らずじまいだった。



「あの連中は、この街に住むとある有力者の私兵なのですよ。私はその人物にとって都合の悪い事実を知っていて証拠も握っていた為に、ああして狙われたのです」


「……!」


「尤も手酷く・・・返り討ちにしてやりましたから、それを警戒してしばらくは鳴りを潜めようとしているようですが……そうはいきません。身の程知らずにも私の命を狙った落とし前は必ず付けさせます」


 アーネストの笑みが冷酷さを帯びる。それが彼がこの街を訪れたもう一つの目的か。ディアナは絶対に彼を敵に回したくないと改めて思った。


「そいつは私がこの街に来たことを知って、手の者に私達の動向を監視させていました」


「ええ!?」

 ディアナはギョッとして思わず周囲を見渡していた。自分達が監視されていた事など全く気付かなかった。アーネストは苦笑した。


「今ここにはいませんよ。恐らく報告・・に戻っている最中でしょうから。さっきも言ったように奴は私の罠を警戒していて、直接こちらに仕掛けてくる度胸はありません。精々がこうして私達の動向を見張って、何か余計な事・・・・をしないか監視する程度です。そして……ここにバジルの勧誘を絡めます」


「……!!」

 バジルの名前が出てきて、これが自分にも関係のある話なのだと気付いたディアナは表情を引き締める。



「私が何故敢えて用件をぼかしたまま、バジルの屋敷を訪問したか解りますか? 正直すんなりと勧誘が成功するとは最初から思っていませんでした。あれは……一種の釣り針・・・なのです」


「つ、釣り針?」


「ええ。一両日中にはその効果・・が現れるでしょう。そしてその時、もう一度だけバジルを勧誘する機会が生じるはずです。ただしその機会をモノに出来るかどうかはあなた次第……。正直、命の危険・・・・もあります」


「……!」


「如何致しますか? 私がその釣り針を利用して報復するのは決定事項ですが……バジルの勧誘は無理にしなくとも問題ありません。ただこの機会を逃せばもう勧誘は不可能でしょう」


 それはつまり彼にディアナの事を認めさせるのも不可能になるという事だ。彼女は先程の屋敷での屈辱の一幕を思い返した。再び彼女の中に激情の炎が燃え盛った。



「……やります! やってみせますっ! リスクが大きいという事は、つまりそれだけリターンも大きいという事ですよね? ならば私は迷いません! 何事にも常に全力で臨むべし、です!!」



 この先、旗揚げして天下を相手取って戦うという究極のリスクを背負っていくのだ。この程度のリスクを乗り越えられなければどの道未来はない。


 ディアナの決意と覚悟を感じ取って、アーネストは神妙に頷いた。


「よく決断されました。素晴らしい気概です。では……釣り針に魚が掛かるのを待つとしましょうか。といっても恐らくそう待つ事も無いでしょうが」


 そして宿に帰ったディアナは、アーネストから具体的な策略……つまり『釣り針』の詳細な説明を受けるのであった……

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