第十六幕 バジル・ジェレミ・マルセルム
ハイランド州、ライトリム県。ディアナとアーネストは現在そのライトリムの街に赴いていた。
この街は帝都ロージアンからも程近い場所にあり、比較的朝廷の影響が残っている街でもある。だがそれだけに太守を始めとした為政者の腐敗ぶりは強いと言われ、それを反映してか立派で絢爛な町並みとは対照的に道行く民には活気という物が無かった。
2人はそんな市街地を抜けて、将校や高官などが住む高級住宅街からは外れたやや寂れた区画に建つ一件の屋敷の前まで来ていた。それなりの大きさの立派な屋敷であったが、外装や庭園は全体的に暗く余計な装飾が無い実用一点張りの外観の屋敷であった。
「……着きました。この屋敷の主、バジル・ジェレミ・マルセルムという男が私の推薦する人物です」
「こ、ここが……。確かアーネスト様が一時期だけ勢力に所属されていた時の同僚、との事でしたよね? 一体どのようなお方なのですか?」
『不世出の軍師』という異名を持つアーネストだが、最初の頃は勢力に所属していた事もあったらしい。
彼は原因については詳しく話してくれなかったが、どうやらそこで色々と権力闘争というか権謀術数というか、とにかくそういった内部のゴタゴタに巻き込まれ、それに下らなさを感じて野に下ったという事らしい。
しかしその時期に同じ勢力に所属していたこのバジルという人物と知己になり、若くして頭角を現し実績を上げるバジルにアーネストも一目置いていたのだとか。
またバジルは当時から性格的に難があって、そうした権力闘争のゴタゴタからも外れた立ち位置にいたらしい。ただ逆にだからこそアーネストはバジルを信用していたという側面もあったようだ。
「……まあ一言で言えば、かなり傲慢で猜疑心の強い男でした。出世欲は人並み以上にあったのですが、逆にそれを前面に出し過ぎる余り周囲からは疎んじられていました。周囲は全て自分の出世を妨げる敵だと言わんばかりの態度でしたから無理からぬ事ですが。まあそんな環境にも関わらず実績を上げて、こんな屋敷に住める程度には出世したのですから大した物ですがね」
「そ、それは、確かに……中々強烈そうなお方ですね」
ディアナはゴクッと喉を鳴らす。要はかなりギラギラした人物という事か。しかしそうなると気になる事も……
「でも……そんな人が、まだ旗揚げもしていない私の元に来てくれる物でしょうか? 既にこんなお屋敷まで持っているというのに……」
ディアナの懸念に、しかしアーネストは苦笑してかぶりを振った。
「立派な屋敷を持っていたのはシュテファン殿やヘクトール殿も同じだったでしょう? しかし彼等はそんな待遇や立場を捨ててあなたの元に馳せ参じた」
「……!」
「今の待遇など関係ありません。私達のような人種にとって重要なのは、自らの能力を存分に活かして仕事ができる環境です。そしてその自分の仕事が
「…………」
優れた能力を持ちながら、それを活かす環境に恵まれず燻っている……。シュテファンやヘクトールも同じであった。彼等はディアナにそんな環境を変えてくれる何らかの可能性を見出したからこそ、同志として馳せ参じてくれたのだ。
ならばこのバジルも同じように説得する事が出来れば……。ディアナの目線に力が籠もる。そんな彼女の様子を見てアーネストが目を細める。
「さて……いつまでもここで長話していても仕方ありません。既に会う約束は取り付けてあります。それでは参りましょうか?」
「は、はい! 宜しくお願いします!」
頷いたディアナは、アーネストに促されて共に屋敷の敷地へと入っていった。
*****
アーネストが予め手配してくれていただけあって、面会まではスムーズに進んだ。応接室に通された2人は、やはり実用一点張りの長椅子に腰掛けながら屋敷の主が来るのを待っていた。
待っている間アーネストは落ち着いたものだが、ディアナはかなり緊張していた。そんな時間がしばらく過ぎた後……
――バタンッ!
やや無遠慮に応接間の扉が開かれ、1人の男が入って来た。
黒を基調とした仕立ての良い絹服に、後ろにきっちりと撫でつけたような隙の無い髪型。痩身で頬がこけて、やや落ち窪んだ目はまるでこちらが盗人か何かだとでも思っているかのような、睨み付けるような鋭い眼光を放っており、更に身体全体から不機嫌そうなオーラが立ち昇っている。
(こ、この人が……!)
アーネストから事前にその人となりを聞いていたディアナは、紹介されるまでもなくこの人物がバジルなのだと一目で解った。
武人であるヘクトールとは全く種類の違う威圧感を纏うバジルの姿に、ディアナはやや気圧される物を感じた。
「まさかとは思っていたが……本当にお前か、アーネスト。今更この俺に何の用だ? あれだけ大口を叩いてこの国を出奔しておきながら、やはり宮仕えがいいから口利きしてくれと俺に泣きつきにでも来たか」
対面の椅子に乱暴に腰掛けたバジルがディアナの方など見もせずに、陰気な声の調子で鼻を鳴らす。挨拶もなく、かなり尊大で傲慢な態度だ。少なくとも久方ぶりに会う知人に対する態度ではない。
アーネストがかぶりを振って嘆息した。
「あれから数年経つが、やはり相変わらずのようだな、バジルよ。私がそんな用件で訪ねてきたように見えるか?」
「ふん……正直用件は見当もつかんな。その
初めてディアナの方に一瞥を向けたバジルは、そんな風にのたまう。いきなりの小娘呼ばわりと彼女の事を歯牙にも掛けていない態度に、ディアナは若干ムッとして睨み返した。
(な、何よ、偉そうに……。どれだけ優秀か知らないけど随分無礼な人だわ!)
バジルへの反感によって、いつしか最初に感じていた緊張や気後れは綺麗に無くなっていたが、ディアナ本人はその事に気付いていなかった。
「見合い、か。まあ、ある意味ではその通りとも言えるが……」
アーネストがそう言ってディアナの方に視線を向けて頷く。ここからは彼女が自分で喋れという事だろう。ディアナはここに来た目的を思い出して気を取り直すと、居住まいを正した。
そうだ。無礼でも人格的に問題があっても、そんな事くらいで優秀な人材を得られるチャンスを逃す訳には行かない。彼女の壮大な目標を叶える為なら個人的な反感など二の次だ。
「おほん! ……バジル・ジェレミ・マルセルム様ですね? お初にお目に掛かります。私はスカンディナはアルヘイムのディアナ・レア・アールベックと申します。女だてらにミドルネームを名乗っているのには訳があります」
ヘクトールの時と同じようにフルネームを名乗ったら妙な顔をされたので、そう前置きしておく。
「私は今ここにいるアーネスト様方を同志として、この中原に蔓延る戦乱の世を終わらせるべく『旗揚げ』を目指しています。勿論旗揚げするからには、狙うのは天下統一です。しかしそれが並大抵の努力では為せない難事なのは百も承知です。だからこそ志を同じくし、私に協力して頂ける同志の方々を集めているのです。アーネスト様から、バジル様が内政に明るく非常に優秀な能力をお持ちであると推薦を受けてこうして参った次第でございます」
「……!」
「お願いします、バジル様! どうか私にお力を貸しては頂けないでしょうか!? 今はまだ浪人の身ですが、旗揚げに成功した暁には必ずや今よりもご満足の行く、バジル様の能力を存分に活かして頂く環境をご用意できるはずです。私達と共に新しい国を作りましょう!」
一気に思いの丈を出し尽くしたディアナは、勢いよく頭を下げる。
「…………」
一瞬の沈黙がその場を支配した。そして……
「……ふ、くっくっく……」
「……?」
笑い声が……それも、多分に嘲弄と侮蔑を含んだ悪意ある笑い声が響いてきて、ディアナは思わず顔をあげた。すると声だけでなくその表情も悪意に歪められたバジルの顔が出迎えた。
「バ、バジル様……?」
「く、くふふふ……一体何事かと思えば……
「っ!!」
ディアナは目を見開いた。この
「こんな頭のおかしい小娘の
「な……!」
気狂いの妄言とまで扱き下ろされたディアナが、瞬間的に顔を真っ赤に染め上げる。だがバジルはそれを一顧だにする事無く、もう話は終わったとばかりにさっさと立ち上がって扉を指し示す。
「ま、待って下さい! 私は本気で――」
「――失せろと言ってるのが聞こえんのか! 出て行かんと人を呼んで強制的につまみ出すぞ!」
「……っ!」
完全に対話を遮断するバジルの態度に、ディアナはそれ以上切り込む糸口を見つけられずに、顔を赤くしたまま押し黙るしかなかった。その手が、身体が屈辱と怒りに震える。
「……行きましょう、ディアナ殿。これ以上は無駄です」
「……っ」
アーネストにまでそう促されては、大人しく引き下がる他なかった。涙を堪えるような表情で俯いて部屋を飛び出していくディアナ。
アーネストもバジルに軽く会釈だけしてから、ディアナの後を追うように扉に向かう。
「ふん……落ちたものだな、アーネストよ。あんな小娘の妄言に惑わされるとは大した軍師様だ。精々小娘と戯れながらおままごとに興じているがいい」
「……失礼する」
背中から嘲笑を浴びせかけられたアーネストは、しかし反論する事無くそれだけ告げて部屋を後にしていった。
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