第七幕 冷血の業火
アーネストの目が倒れているディアナの姿に向けられる。彼の目が細められた。
「ふむ……私を訪ねてきて巻き込まれたという所か? いずれにせよ無粋な連中はすぐに片付けるので少しだけ待っていてもらえますか? 用件はその後で伺います」
「え……」
10人近い武装した兵士と、それを率いる隊長を目の前にしてもアーネストに何ら慌てる様子はなく、事も無げにそう言ってのけた。ディアナはこんな場合ながら呆気に取られる。
アーネストは帯剣している様子もない。そもそも軍師が本職のはずなのでそこまで武芸達者という訳でもないはずだ。
同じ事を思ったのだろう、隊長が一時の動揺から立ち直って哄笑する。
「ふ、くく……馬鹿め、俺達を片付けるだと? そちらから出てきてくれてむしろ好都合だ。片付けられるのは貴様の方よ」
隊長が剣を向けると、麾下の兵士達もディアナを放ってアーネストに対して殺気立つ。
「ふ……」
しかしアーネストはやはり慌てる所か、兵士達を挑発するように鼻で笑うと、さっと身を翻して林の木立の中に逆戻りしていった。
つまりは……逃げたのである。
「な…………」
隊長も、兵士達も、そしてディアナも一様に呆気に取られたように固まる。まさかあれだけ自信満々に出てきていきなり逃げ出すとは誰が思おうか。
「……っ! 馬鹿め! 今更逃げても遅いわ! 追え! 追えぇっ! 奴を逃がすな! 今なら充分追いつけるぞ!」
虚仮にされたとでも感じたのか、隊長は目を吊り上げて怒鳴る。そして率先してアーネストを追って林の中に駆け込んでいく。勿論兵士達も慌ててその後を追って走り去っていく。
「…………」
後には……まだ衝撃で身体が痺れて思うように動けないディアナだけが残される事となった。
*****
林道からやや外れた林の中。木々が乱立する中に一際大きな岩壁が聳え立っている場所があった。
デュアディナム山脈は奥に行けば行くほど急激に険しくなっていくので、もうこの辺りから林を割るようにしていくつもの巨大な岩山が聳え立っている場所が点在していた。ここもそんな場所の一つだ。
そして現在、そんな岩の壁を背にしたアーネストと、彼と向き合う形で対峙する隊長と兵士達の姿があった。
アーネストは逃走の末に、しつこく追い縋ってくる兵士達によってこの岩壁に追い詰められてしまったのだ。逃げ場を失くした愚かな獲物を前にして隊長が凶悪に嗤う。
「く、くくく……追い詰めたぞ、アーネスト! 貴様はあの小娘のように遊んだりはせん。ここで確実に殺してくれるわ」
隊長も兵士達も皆殺気立って、臨戦態勢となっている。アーネストには万に一つも逃れる術はない。そう思えた。だが……
「ふ……度し難い愚か者共め。追い詰められたのは自分達の方だと気付きもせんか」
「何……?」
アーネストは口の端を僅かに吊り上げるのみ。流石に不審を感じた隊長が警戒を強めるが、それは些か遅きに失した。
アーネストがすぐ横の地面に刺さっている太い木の枝を引っこ抜いた。すると……
――ズザアァァァァッ!!
「な……!?」
「「うわ!? うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
隊長たちが立っている地面が丸ごと
「ぐあぁぁっ! い、痛ぇ! 痛ぇよぉ!! あ、足が、足が折れたぁっ!」
「ば、馬鹿な、これは……
落下の衝撃で怪我をした兵士達が無様に悲鳴を上げる中、重傷を負う事は避けた隊長が自らが陥った状況に愕然とする。
それは幅が5メートル、深さが3メートルはありそうな竪穴であった。落とし穴という事は理解できた隊長だが、自分達全員がそれに引っ掛かったというのが信じられなかった。
落とし穴は古典的な罠であり効果的だが、相手が複数いる場合全員を引っかける事は難しい。基本的には偽装した地面に踏み入った瞬間に発動する物なので、前列が引っ掛かってもそれを見た後列は停止して罠を回避できるからだ。
だがこの穴は自分達が全員乗っても発動せずに、アーネストが何か仕掛けを作動させる事によって発動した。
「……!」
しかし穴の壁面を見渡した隊長はすぐにその答えに行き着いた。
二枚の大きな木の板がそれぞれ穴の両側の壁面にぶら下がっていたのだ。あの木の板を蝶番のような物で留めておき、その上に土を被せて偽装しておく。そして敵がまんまと穴の範囲に入ったら、仕掛けを作動させる。恐らくあの太い木の枝を抜くと、二枚の木の板を繋いでいる蝶番が外れる仕組みだったのだろう。
仕掛けを理解した隊長だが、だからといってこの状況を脱せられる訳ではない。穴は深く、すぐには這い上がれそうにない。
「……私がこのような事態を想定していないとでも思ったか? お前達のような輩は大抵この手に引っ掛かる」
穴の縁に立って下を見下ろすアーネストの視線は、山脈の高所に降り積もる氷雪よりなお冷たかった。
「くそ、貴様……!」
「さて、私の命を狙った愚行を悔いながら煉獄へと旅立つがいい。幸い煉獄への入り口はこの山脈の頂上にあるらしいから移動の手間も省けるというもの」
アーネストはそう言い置いて、どうやって点けたのか種火から燃え移った枯れ木を手にしていた。
「因みにその穴の底には大量の油を埋設してある。これを投げ入れればどうなるか解るな?」
「っ!?」
隊長はギョッとして自らが立つ穴の底を見下ろした。そう言われれば微かに油のような臭いが漂っている。穴の壁にも油が染み込んでいて這い上がりを困難にしている。
「お、おい、待て! 俺達の
「既に見当なら付いている。安心して煉獄に旅立つがいい」
隊長の命乞いを文字通り一刀両断したアーネストは、一切躊躇う事なく燃え盛る枯れ木を穴に投げ入れた。壁面の油に引火した炎は、瞬く間に穴の底に仕込まれた油に燃え移る。
「うぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! あ、熱いいぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「助けてくれぇぇぇぇっ!!」
一瞬にして煉獄の業火に包まれた穴の底に、亡者達の阿鼻叫喚が響き渡った。
「うおぉぉぉぉぉっ!! アーネストォォォォォォォォッ!!!」
隊長の怨嗟の叫びもまた炎の中に飲み込まれていく。凄惨極まる光景にしかしアーネストは眉一つ動かす事は無かった。
「……終わったな。さて……それではあのお嬢さんの用件を聞きに戻るとするか」
既に彼の心は自らが死に追いやった者達にはなく、先程一目だけ見た美しくも激しい少女へと向けられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます