第八幕 世を憂う者
一方その頃ディアナは、ようやく痺れが取れて多少身体が動くようになってきたが、今から追いかけても最悪林の中で迷う危険性があるし、そもそも何が出来るとも思えない。
結果こうして焦燥に駆られながら、ただここで待っている以外に出来る事がなかった。
(な、情けない……推挙に伺ったお方に助けられるなんて……! でも……余り武芸が得意そうには見えなかったし、あの人数相手じゃ……)
特に敵の隊長はかなりの手練れだ。最悪の想像が頭を過る。折角『不世出の軍師』本人らしき人物に会えたというのに、その矢先に殺されてしまうような事があったら……
悪い想像を振り払いながら、自分が殺した兵士の死体を林の中に移動させ、後はまんじりともせずに待っていると、
「……っ!」
草木を踏み鳴らす音。誰かがこの場に近付いてきていた。足音は……1人のようだ。
「あ…………」
ディアナが呆然と見つめる先、姿を現したのは先程一瞬だけ見かけたのと同じ風体の、冷徹な雰囲気の若い男性。
『不世出の軍師』アーネストであった。
「やあ、お待たせして申し訳ありませんでした、お嬢さん。お怪我はありませんか?」
「え……あ……は、はい。お陰様で……。あの……あいつらは?」
余りにも平常通りの様子で現れて語り掛けてくるアーネストの姿に毒気を抜かれたディアナは、唖然としたまま問い掛ける。
殺気立った隊長や兵士達に追われていったはずだ。なのに彼の様子はまるでそんなトラブルなど最初から無かったかのようだ。アーネストの服にも一切返り血の類いは撥ねていない。まるで妖術で兵士達を消し去ってしまったような錯覚を覚える。
「ああ、奴等なら私が『処理』しましたので、もう大丈夫です。二度とあなたを煩わせる事はありませんよ」
「そ、そう……ですか。あ、ありがとうございます、アーネスト様。お陰で助かりました」
信じられないがやはり彼が何らかの方法で撃退したようだ。にっこりと微笑むアーネストの笑顔に何となく寒気を感じたディアナは、『処理』とやらの詳細は聞かない方が良いと判断した。
それはそれとして彼に助けられた事は事実なので、きちんと礼を述べておく。アーネストは若干目を見開いて、それから意外な程優し気な表情でかぶりを振った。
「いえいえ。あの連中の狙いは私でした。むしろ私の方こそ巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。さあ、ここで立ち話もなんですから、とりあえず中へ入りませんか? トランキア産の茶葉の買い置きがあるんです。まずは落ち着いて一息入れるとしましょう」
「あ……は、はい。ありがとうございます」
ここで変に遠慮するのは悪手だろう。それに確かに今までかなり慌ただしかったし、落ち着いた所で話をさせてもらえればありがたい。
ディアナは恐縮しつつもアーネストの誘いで、彼の庵に招かれる事にした。
*****
「さて……それでは、あなたのようなお嬢さんがこんな所までお1人で訪ねてこられた事情をお伺いしましょうか?」
庵の客間に向かい合って腰掛けるディアナとアーネスト。ディアナは温かいお茶を飲んで気持ちを落ち着けると本題を切り出した。
「……まずは正式に自己紹介させて下さい。私はスカンディナはアルヘイムのディアナ・レア・アールベックと申します」
「ほぅ……?」
ディアナの名前を聞いたアーネストが少し興味深そうに眉を上げる。帝国では一般的に、成人すると何らかの形でミドルネームが付くのが普通だ。親やその他親族などから授けられるのが最も一般的だが、中には仕事の師匠や上官、年長の友人からというケースもあり、更には自称というケースもある。
帝国ではミドルネームが付いて一人前という風潮がある。そう……
茱教の思想が根強い帝国においては、女性は永遠の未成年、被保護者として扱われるのが通常で、つまり女性はミドルネームを持たない者が殆どなのだ。
帝国の200年以上の歴史の中でミドルネームを名乗った女性は片手で数える程しかおらず、どれもが大きな武勲や功績を上げた女傑と言ってよい人物たちである。
してみるとミドルネームを自ら名乗るディアナは、それらの英傑たちに並び立つと自ら喧伝しているに等しい。
「ハイランドはダラムのアーネスト・レイ・ブラウニングです。女性の身でそのような出で立ちにミドルネーム……。そういえば剣も使うようですね。ふむ、興味深い……」
鎧姿のディアナを眺めながらアーネストは顎に手を当てる。
「……単刀直入に言います。私は今のこの戦乱の世を終わらせる為に戦っています。というよりその方法を模索して旅をしているのです」
「な……!?」
アーネストは目を剥いた。至極当然の反応だ。だが彼が何か言う前にディアナは言葉を重ねる。
「女の身で、しかもあんな兵士達にも勝てない程度の実力で何を大言壮語を、とお思いでしょうが、私は必ず今よりもっと強くなってみせます! でも例えどれだけ強くなったとしても、私だけでは戦乱を終わらせるなどという大きな目標を叶える事など到底不可能です! 私には
ディアナは全てをさらけ出して深々と頭を下げる。最初からあれこれ余計な作戦など立てず完全に直球勝負だ。果たしてアーネストの反応は……
「……正直驚いています。あなたのような年若い女性がそのように世を憂いて、戦乱を終わらせるなどという壮大な志を立てている事に」
「……!」
ディアナは顔を上げた。アーネストは意外なほど静かで思慮するような表情となっていた。
「私は闇軍師を気取って小さな戦果で満足し、そもそも今の世を変えようなどと思った事すらありませんでした。正直、目から鱗とはこういう事を言うのでしょうね」
「な……お、お笑いにならないのですか?」
ディアナのような少女が「戦乱を終わらせる」などと大言を吐いているのだ。間違いなく身の程知らず、世間知らずと評されて然るべきだし、アーネストのような能力のある人物から見れば正に妄言と謗られ笑われても仕方のない事だ。
しかしアーネストは至って真剣な表情でかぶりを振る。
「笑いなどしませんとも。あなたの覚悟が軽い気持ちやその場だけの思いつきではなく、真剣でそして激しい物である事は
彼は頷いてからゆっくりと立ち上がった。
「いいでしょう。どうせ放蕩で守るべき財産もないこの身。『傭兵軍師』の生活にも些か飽いていた所です。それよりはあなたの行く末を間近で見守る方が面白いかも知れません。このアーネスト、今よりあなたの同志となる事を誓いましょう」
そう言って彼は帝国式の礼を取った。ディアナは唖然としてしまった。確かに彼を推挙に来たのだが、まさかこんなに上手く行くとは思ってもみなかったのだ。場合によっては門前払いを食らって何度も説得に赴く覚悟をしていたくらいだ。
「え……あ……。アーネスト様? 私がこんな事を言うのも変ですが、本当に宜しいのですか? 私は女で、しかもただの浪人で……」
「構いませんよ。私が様々な勢力の推挙を蹴っていたのは、もしかしたらこういう機会を待っていたからかも知れません。そもそも私が同志となるのですから、あなたが只の浪人で終わる事など絶対にあり得ません」
自信に満ち溢れた断言。ディアナの目が丸くなる。どうやら『不世出の軍師』は想像以上に自信家でもあるらしい。しかしそれだけの態度に相応しい実績を上げている。
「まあ……! それは……ふふ、頼もしいですね」
ディアナが思わずといった感じでクスッと笑う。すると何故かアーネストは若干目を逸らして、小さな声で呟いた。
「後は、まあ……単純にあなたが気に入ったというのも理由ですが……」
「……え?」
よく聞き取れなかったディアナが顔を上げると、その時には既に彼は目線と表情を戻していた。
「おほん! ……とにかく、そういう訳でこれから宜しくお願い致します、ディアナ殿」
「あ……は、はい! こちらこそ、これから宜しくお願いします、アーネスト様!」
喜びのあまり立ち上がったディアナは、その勢いのままアーネストの手を握っていた。彼が再び動揺したように目が泳いだ事には気づかなかった……
こうして名の知れた傭兵軍師アーネストを同志とする事に成功したディアナ。明晰な『頭脳』を手に入れた彼女はここから急速に「戦乱を終わらせる」という目標に向かって指向性を得て進んでいく事になる。
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