第六幕 活眼の智将(Ⅱ) ~アーネスト・レイ・ブラウニング

 場合によってはかなりの長丁場を覚悟したディアナだが、幸いにもその機会・・・・は彼女が思っていたよりも早く到来した。


 尤も、お世辞にも幸いとは言えない厄介なトラブル付きではあったが……



 シュテファンが先に帰ってから3日程が経過した日の日中の事。その間ディアナはいざ本人を前にした場合の説得の言葉を考えたり、単独で剣の自主鍛錬などをしながら過ごしていた。


(……今日も空振りかしら? この近辺で大きな戦が起こっているという話は聞いていなかったけど……もしかしたら遠方の州に赴いていらっしゃるのかしら)


 だとするとここで待っていても埒が明かない事になる。携行している食料も切り詰めているがそれ程長期間保つ訳ではない。


 残念に思いつつ、彼女が今後の方針を決め直そうとした時だった。



「ん…………?」


 彼女の耳が微かな音を捉えた。この静かな林の中、空耳や聞き間違いという事はあり得ない。しかもその音は徐々に大きくなってきていた。こちらに向かっているのだ。


(これは……足音? でも……)


 一瞬この庵の主が帰ってきたのかと思ったが、それにしては様子がおかしい。まずこの足音は明らかに1人ではない・・・・・・。複数の人間が踏み鳴らす足音。しかもやけの無遠慮で荒々しい感じの足音だ。


(何だろう、随分物々しいようだけど……)


 そう思っている内にその足音の主達が庵の敷地に姿を現した。そして……庵を取り囲むように『布陣』した!


(え……な、何、こいつら……山賊!? いや、でも……)


 ディアナは咄嗟に小屋の中に隠れるようにして様子を窺う。現れたのは10人以上はいると思われる武装した男達であった。誰もが殺気立った顔をしている。


 賊かと思ったディアナだが、よく見るとその男達は簡素とはいえ鎧兜を身に着けていた。賊というよりは……兵士・・に見える。


(な、何……? どこかの勢力の兵士かしら……?)


 ディアナが小屋の窓から覗いて思案している間にも事態は進む。



「隊長、どうやら奴は留守のようです。どうしますか?」


 庵を改めていた兵士の1人が、他の兵士より明らかに立派な鎧兜に身を包んだ兵士に報告している。どうやらあれがこの部隊?の指揮官であるようだ。


 報告を受けた隊長が鼻を鳴らす。


「ふん、留守か。運のいい奴だ。まあそれならそれで構わん。火を放ってこの庵を焼き尽くせ。そこの離れの小屋もだ。どこに証拠・・を隠し持っているか解らんからな」


(……っ! 冗談じゃないわ!)


 隊長の指示を聞いたディアナは顔を青ざめさせる。この狭い小屋で火など放たれたら逃げ場も無く、熱と煙で簡単に死ねる。



 選択の余地なくディアナは小屋の外へと飛び出した。広い敷地は遮蔽物もなく、当然彼女の姿はその場にいた兵士全員に気付かれた。


「んん? 隊長、何ですかね、この女は? 鎧なんか身に着けてますが……」


 ディアナが逃げる暇も無く、物見高く集まって来た兵士達に周囲を取り囲まれてしまう。


「奴の関係者か? この場に居合わせるとは運が無かったな。恨むなら奴を恨め」


「な……!?」

 明らかにディアナの抹殺を示唆する隊長の言葉に、彼女は絶句して慌てて剣を抜き放つ。するとそれを見た隊長含む兵士達が嗤い出す。


「ははは! この女、一丁前に剣なんか抜いてヤル気みたいだぜ!?」

「ヤルってあっちのヤルか?」

「お嬢ちゃん、剣じゃなくてもっといい物を抜いてくれよ!」


 兵士達は好き勝手な野次を飛ばす。


「ふん、生意気な……。しかしよく見るといい女だな。ふふふ、仕事の前の景気づけだ。おい、少し遊んでやれ。ただし殺すなよ? その前に楽しませてもらうからな」


 隊長がディアナの鎧から露出した腕や脚、そしてその美貌に好色な視線を這わせ唇を歪める。


(な、何なの、こいつら!? 本当に兵士!? まるでタチの悪い賊じゃない!)


「ふ、ふざけるな! お前達の思い通りになどならないっ!」


 屈辱と怒りで恐怖を誤魔化したディアナは、自らを鼓舞するように剣を構え直して大声を張り上げた。だが当然そんな物に怯む者は誰もいなかった。むしろ楽しい余興だとばかりに笑い転げる。



「へ、へへへ……こりゃ思わぬ役得だぜ」


 隊長から指名された兵士が剣を抜いてディアナの前に進み出てきた。他の兵士達や隊長は周りを囲って彼女を逃がさないようにしている。それは丁度先日グラファスの森で盗賊達と戦った時と近い状況であった。


 絶望的な状況だが、それでも抗うしか彼女に選択肢はなかった。


「しゃあっ!」

「……っ!」


 兵士が気合の叫びと共に斬り掛かってきた。先日戦った賊よりはずっと速く精確な斬撃。だが辛うじて見切る事は出来た。


 ディアナは過日の反省から極力冷静さを保ちつつ、正面からはその斬撃を受けずに、刃を斜めに当てるようにして相手の攻撃をいなす。


「おっ……?」


 まさか受けられるとは思っていなかった兵士が僅かに体勢を崩す。そこにすかさず反撃の薙ぎ払いを仕掛ける。先日の賊相手ならこれで決まっていた。だが……


「ちっ!」

「……っ!?」


 兵士は舌打ちして素早く剣を引き戻すと、ディアナの薙ぎ払いを剣で受けた。膂力の差によって受けきられてしまう。


「こいつ……!」 


 今度は怒った兵士が反撃を繰り出してくる。ディアナは大きく飛び退ってその斬撃を躱す事に成功した。一瞬仕切り直しのような状況になる。


(く……やっぱり賊より手強い! でも……)


 流石に訓練されている兵士だけあって、頭領ほどではないが子分の賊達よりはずっと手強い。だがそれでもベカルタ流の免許皆伝を受けたディアナは、自分に勝てない相手ではないと判断した。



「う……おおぉぉぉっ!」


 気合を入れて自ら斬り掛かる。相手を一刀両断する心づもりで袈裟切りを仕掛ける。


「おわっ!?」


 ディアナの予想外の剣閃の鋭さに兵士は慌てて自らの剣を掲げて、その斬撃を受け止める。しかし初撃は受けられる事を想定していたディアナは焦ることなく剣を引き戻すと、今度は相手の喉元目掛けて躊躇いなく突きを繰り出した。


 ベカルタ流の小剣による素早い突きに兵士は対処できず、切っ先は狙い過たず兵士の喉元を刺し貫いた!


「……っ!? ……!!」


 兵士は信じられない物を見るように目を見開いた後、そのまま喉から血を噴き出しながら地に沈んだ。



「お……」


 周りを取り囲んでいた兵士達が一様に動揺する。隊長の目線が険しくなる。


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!! ふぅ……!」


 一方ディアナは強い緊張状態の反動で激しく息を切らせる。肉体的な疲労は勿論だが、精神的な疲労も色濃い。これで人を殺したのは2人目だが、まだまだこの感触に慣れる事は出来ないようだ。


 しかし彼女にはゆっくりと精神を落ち着けている余裕は与えられなかった。



「ふん、馬鹿が。小娘相手に俺の手を煩わせおって……」


 女に殺された部下に冷たい一瞥を投げかけた隊長は、自ら剣を抜いて前に進み出てきた。部下達では相手にならないと判断したらしい。


(……! こいつを倒せば……!)


 指揮官を失った残りの兵士達は烏合の衆と化して逃げ散るかも知れない。この目の前の男を倒せばディアナにも生き延びるチャンスが出てくる。彼女は剣を握る手に力を込め直した。


「…………」


 隊長は流石に部下達とは違うようで、その構えも堂に入って隙が無い。もしかしたらあの盗賊頭領よりも強いかも知れない。ディアナの喉が緊張でゴクッと鳴る。


「……どうした、来ないのか? ならばこちらから行くぞ?」

「く……!」


 彼女の緊張を感じ取った隊長が口の端を吊り上げて挑発する。ディアナは歯噛みしながらも自分から攻勢に出た。相手に先手を打たせる訳には行かない。攻撃こそ最大の防御だ。


「おおおぉぉぉぉっ!!」


 気合の叫びを発しつつ、剣を引き絞って攻め掛かる。


「ふん!」


 しかし先程兵士を突き殺したのと同等の一撃は隊長の剣によって虚しく弾かれた。ディアナは怯む事無く剣を戻し、そのまま連続で斬り掛かる。


 白刃の煌きが何条も瞬き、その度に甲高い金属音が打ち鳴らされる。ディアナの連撃は悉く防がれてしまった。


「はぁ……! はぁ……! そ、そんな……」


「くくく……女にしてはよくやるものだ。部下達なら倒せただろうが、相手が悪かったな」


「……っ」


 全霊の攻撃が受けられ絶望の呻きを上げるディアナを隊長が嘲笑う。尤もその顔は言葉の内容ほどに余裕はなく若干引き攣ってはいたが、それは今のこの状況では何の慰めにもならない。


「今度はこちらの番だな、小娘!」

「……!」


 顔を凶悪に歪ませた隊長が斬り掛かってくる。その体捌きや剣閃の鋭さも兵士達とは比較にならない。


「ぐ……!」

 結果その斬撃をいなす事も出来ずに、まともに剣で受ける事になる。強烈な衝撃が刀身から柄を握る手にまで伝播する。


 辛うじて取り落とす事は堪えたが、そこに容赦なく隊長の追撃。必死に後ろに跳び退って躱すが、体勢を立て直すのが間に合わない。


「そらっ!」


 三度、隊長の剣が振るわれる。体勢が崩れたままのディアナは躱す事もできずに、再び剣で受ける羽目になる。だが最初に受けた衝撃がまだ残っており握力が低下していた所に再び衝撃が加えられた為、遂に剣を把持しておく事が出来ずに弾き飛ばされてしまった。


「あぅっ!」

 そして剣撃の威力に押されるようにして、そのまま地面に倒れ込んでしまう。周りの兵士達から喝采が上がる。


 ディアナは咄嗟に起き上がろうとするが、彼女の眼前に隊長の剣の切っ先が突き付けられて動けなくなる。



「勝負あったな」

「く……」


 悔し気に呻くディアナ。激闘の煽りで乱れた鎧から覗く剥き出しの腕や脚に、隊長の粘ついた視線が注がれる。


「ふふ、間近で改めてみると尚更いい女だ。無駄に手間を掛けさせられた分、たっぷりと楽しませてもらおうか」


「……っ!」


 下種な言葉と視線に、ディアナは恐怖よりも屈辱と悔しさ、そして怒りを覚えた。それは似たような状況で盗賊の頭領に屈服させられた時と同じ怒りだった。


(く、悔しい……悔しい! こんな、下種に……負けたくない! 絶対に……!)


 相手に対する怒り。力のない自分に対する怒り。そして例え力で強引に屈服させられても、心までは絶対に屈しないという強烈な意思。


 彼女の意思を叩きつけられた隊長が僅かに怯む。そしてすぐに気のせいだと言わんばかりにかぶりを振って、その口元を嫌らしく歪めた。


「く、くく……そんな目が出来るのも今の内だ。すぐに気持ちよくさせて――」




『……所用から戻ってみれば、私の家・・・の前で随分下世話な連中が騒いでいるものだな』




「……っ!?」

 突然その場に聞き覚えのない男の声が響く。兵士達や隊長があからさまに動揺する。


「な……ま、まさか、アーネスト・・・・・か!? くそ……いつの間に!?」


 隊長はディアナから離れて、慌てた様子で周囲を見渡す。兵士達も同様だ。ディアナも思わぬ事態に呆然と視線を巡らせた。


(え……私の家? それに今、アーネストって……。 ま、まさか……?)


「……いつの間に、か。たった1人の婦女子を取り囲んで悪趣味な遊興に夢中になっている連中に気付かれずに近付く事など酔っ払いでも可能な事」


「……っ!」

 騒めく男達の視線が集中した先……林の木立の中から姿を現したのは、長髪を緩く背中で束ねて仕立ての良いゆったりとした服に身を包んだ、整っているが冷徹そうな顔立ちの若い男性。



 即ち……『不世出の軍師』アーネスト・レイ・ブラウニングその人であった!

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