第65話 昼休み 2

 それを言い訳にすのは良くないと思っている。自分で選び、決めた道なのだ。この成績は自分の責任、ここから巻き返せるようにしなければならない。

 当然この事を二人には言えない。ヴィラン・シンドロームの事を話せない。隠蔽されているのもあるが、自分の身体の状況を知られたくないのだ。

 家族と同じように受け入れてくれるか、それが怖い。


「いやー、二年になってから勉強も難しくなってさ。ちょっと考えないとな」


 頭を掻きながら苦笑いを浮かべる。


「とりあえず学校の授業と毎日の勉強。少しでも良いからコツコツとやれば違うから。そうすれば次はもっと良くなるよ。少なくとも、二葉は絶対やるべきだな」


「うー。そりゃあ私はあんまり成績良くないけど、勉強ができないんじゃなくてやらないだけ。私はまだ本気を出していないのだ! マジになったら凄いのだぞ!」


 えへんと大きく胸を張る二葉。どうどうとしているのか、それとも開き直っているのか。どちらなのかは誰にも解らない。

 そんな彼女の様子に、卓也と一馬はただ笑うだけ。これがいつもの事だからだ。去年と変わらない日常だった。

 しかし一人だけ別の視線を送る人物がいた。千夏だ。無意識ながらも、彼女はただ一点を凝視している。


「…………」


 千夏の目が捉えているもの、それは二葉の胸部だった。

 でかい、大盛、そんな単語が止まらずに流れてくる。彼女の容姿に同じ女性であろうと思わず見惚れてしまうくらいだ。

 女として圧倒的なプロポーションを二葉は持っている。凹凸のはっきりした体格、スラリと伸びた手足に見合う身長。グラビアアイドルなんか目じゃないくらい圧倒的だ。

 それに引き換え、自分はどうだろうか。

 百五十にも満たない身長。体格も比例するかのように凹凸が乏しい。中学生に……いや、下手すれば小学生にすら見間違えられるような有り様だ。

 羨ましいとは思うが、彼女を妬ましいとは思わない。この差の理由が解っているからだ。

 遺伝しか考えられない。小柄で背格好の似た母、彼女の遺伝子が原因だ。こんな事に文句を言っても仕方ない。それは母を侮辱する事だ。

 そして二葉も同じだろう。彼女の兄である一馬もスタイル抜群、これは疑いようがない。井上兄妹の規格外っぷりは笑うしかない程だ。


「…………ハァ。凄いなぁ二葉ちゃんは」


 つい声に出てしまう。羨望にも似た感情。自分には無いからこそ羨ましい。

 もう少し背が高ければ、と考えても無意味だ。


「二人とも、芸能事務所からスカウトとかされてそうだなぁ」


「ああ、された事あるらしいぞ二人とも。興味無いから断ったらしいが」


 卓也も千夏の声を聞き話し掛ける。


「へぇ、普通の高校生とは思えないや」


 そう呟いた瞬間、千夏は思わず笑ってしまった。


 そもそも自分は普通の高校生所か、ですらないのだ。


 腹に風穴を開けられようと生き延びる。そんな存在が人間だなんて言えようか。


「卓也君、普通って何だろう」


「…………少なくとも今、この瞬間は普通じゃないか?」


「そうだね……」


 井上兄妹、この二人は境界線だ。卓也、美咲、千夏にとって日常と言う世界と非現実との。

 ヴィラン・シンドロームを知らぬ一般人である事。三人をヒトとして見てくれている。

 知らなくて良い世界の裏側、そこに足を踏み入れてしまった自分達はもう元には戻れない。例えその身体が治ったとしても、知ってしまった事は覆らないだろう。

 今この時間が掛け替えの無い日常、それを失ってはならない。

 そんな事を考えていると、千夏の視線に二葉が気付いた。


「どーしたの千夏ちゃん、そんなにじろじろ見て。スケベー」


「え、そんなんじゃ……ヒャ!?」


 後ろから忍び寄り千夏を抱きしめた。制服の隙間に手を滑らせ、そのまま彼女の身体を撫で回す。

 くすぐったさに思わず変な声が漏れる。


「す、ストップ! くすぐったいよ!」


「いーじゃないの。照れちゃって可愛いなぁ」


 そう言いながら二葉は千夏の身体をまさぐり続ける。

 力ずくで引き剥がす事は千夏には容易い。二葉の腕を掴み投げ捨てる、彼女の身体能力なら簡単な事だ。

 しかし千夏は強く抵抗はしなった。いや、出来ないのだ。この力を感情のまま振るえば二葉を怪我させかねない。それに体格差があり、こんな小柄な自分が軽々と彼女を引き剥がすのは不自然だからだ。

 自覚しているからこそ力を使えない。そのせいで、されるがままになってしまった。


「あうう……み、美咲ちゃん助けて」


 かと言ってこのまま悪戯されるのも嫌だ。千夏は事情を理解している美咲に助けを求める。そして卓也と一馬にも目で訴えた。


「ハァ……ったくもう」


 ため息をつきながらも、美咲は笑いながら立ち上がる。


「ほらほら、そのへんにしたら? セクハラもいい加減にしないと、男子二人が目のやり場に困ってるじゃない」


 二葉の腕を掴みゆっくりと千夏から引き離す。そうして悪戯をする者がいなくなり、千夏は苦笑しながら一歩離れる。


「むぅ、折角千夏ちゃんで楽しんでたのに。…………てか」


 残念そうに頬を膨らませるが、その目は美咲を頭から爪先まで舐め回すかのように見ている。


「何? 私がどうかした?」


「いやさ、こうして見ると美咲ちゃんもスタイル良いね。細いけどガリガリって訳じゃないし、ダイエットとか無縁そうだし」


「一応運動だけはしてるからね。てかスタイルうんぬんは二葉には言われたくないよ。グラビアかモデルみたいな凶悪な体つきしているくせに」


「うはははは。凶悪って」


 二葉と共に美咲は軽く笑いながら、千夏の方に視線を向ける。その目にお礼を言うように千夏も頷いた。

 しかし二葉はそこで話しが終わるような女ではない。ターゲットを美咲に変え、彼女の左腕に抱きついたのだ。


「美咲ちゃんだって凄いよ。ぶっちゃけ私よりウエスト細くない? 腕だって……あ」


 そこで彼女は気付いた。自分が抱きついている美咲の左腕、そこに包帯が巻かれている事に。


「ごめん、痛くなかった?」


 勿論二葉も美咲が怪我をしている事は知っている。慌てて手を離し謝罪する。いくら殆ど治っているとはいえ、骨折した腕に抱きつくのは褒められた行動ではない。


「大丈夫よ。そんなに気にしないで」


 美咲は笑いながら手を振る。何も問題無いと微笑むのだ。

 一応そこに嘘が無いとは言えない。抱きつかれた時に少しばかり痛みはあった。だがこの程度の痛みを表面に出すような柔な精神をしていない。

 そう……こんな骨折に比べ、もっと痛く苦しい経験をしている。だから平気だ。

 そんな心を隠すように美咲は自分の顔に笑顔を貼り付ける。


「でも少しは自重して。二葉のそういう所はまあ……好きだけど、TPOは考えなさいよ」


「う、うん。今回は反省してます……」


 流石に自業自得だ。がっくりと肩を落とす二葉の頭を一馬が撫でる。


「まっ、これに懲りたら少しはセクハラを控えろよ」


「と言うより一馬君が率先して止めるべきでしょ。やりにくいのは解るけど、兄なんだからしっかりして。ついでに卓也、あんたも少しは助けなさい」


「うぐ……」


「あ、ああ」


 男子二人も反論出来ず顔をしかめる。

 そんな彼らを他所に美咲は自分の席に戻り、卓也はそっと耳打ちをした。


「なあ、本当に大丈夫か?」


 大した事は無いと思うが、多少なり心配している。いくら普通の人間よりグローバーが頑丈かつ、怪我も治りかけてるとはいえ気になる。


「ちょっとだけ痛みはあったけど心配無用よ。言ったでしょ、もう治りかけてるって」


「そうか。順調に回復しているようで良かったよ」


 卓也は安堵するも、美咲はほんの僅かだが表情を曇らせる。彼女の目は卓也を見ていた。


「…………卓也や千夏はもう全快だもんね」


 酷く小さな声だ。その声が卓也には届いていない。


「骨折なんて数十秒。それ所か、私も酷い怪我でピンピンしているしね」


「?」


 美咲の様子に首を傾げていると、彼女は思い出したように声を大きくする。


「そういえば一馬君、チケットはどうやって探すの? 私としては凄くありがたいんだけど……」


「ああ、従兄弟からね。イベントマニアみたいな奴で、前も映画の試写会を譲ってもらってさ。まぁ持ってるかわかんないんだけど」


「そう……」


「メールはしているから返事待ちかな。もしダメだったらごめん」


「その時は素直に諦めるわ。探してくれるだけで感謝感激よ」


 二人のやり取りを聞いて卓也は思い出す。二葉が誘って来た日の事、そして美咲がFANGのファンだと教えた事。

 忘れはしない。美咲の嬉しそうな笑顔を。

 いつも周りを警戒し険しい目付きをしていら事が多い。そんな美咲が楽しそうに笑っている。それだけでこちらも嬉しくなる。

 だが卓也の心情とは裏腹に、美咲の心には影が掛かっていた。

 誰も気付いていない、誰にも見せていない日陰を。

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