第66話 それぞれの目線

「……ごめん、ちょっとトイレ」


「行ってらー」


 美咲は思い出したかのように立ち上がり、急ぎ足で教室から出ていった。誰とも目を合わせずに。

 廊下に出ると、行き交う生徒達を避けながら足早に歩く。人目からのがれるように、一秒でも早くここから立ち去ろうと。

 女子トイレに駆け込むと誰もいない事を確認し、奥の個室に入る。そして蓋の上に座り大きなため息をついた。


「…………ダメだ。最近頭の中がおかしい。余計な事ばっかり考えちゃうなぁ」


 頭に過る違和感。心の靄が晴れない。暗く絡み付くような嫌な感覚だ。

 敢えて言うなら…………嫉妬だろう。これだけの感情を抱いた事があっただろうか。答えはNOだ。

 グローバーとして活動した二年間、自分よりも強い人は大勢いた。戦う術を教えてくれた先輩達だ。中には元警察官や格闘技選手のグローバーもいる。そんな経験も身体面でも優れた彼らが、十代の少女である美咲を上回っていて当たり前だ。

 新人だった頃に教えてくれた、導いてくれた。そんな頼もしい人々を尊敬している。

 しかし卓也と千夏は違う。二人とも数ヶ月前まで、ただの高校生だった。卓也は夢の為に鍛えている以上、多少は納得できる。素人より動けるだろう。

 しかし千夏は別だ。本当に彼女は普通の高校生、それも小柄な体格に見合った荒事とは無縁な少女だった。それなのに今はどうだろうか。キャリアーの力を得たばかりでトレーニングすら受けてないに、フクロウの……猛禽類の凶暴さだけでキャリアーと戦い討伐している。

 それだけキャリアーの能力が驚異的なのだ。

 自分はあれだけ必死に戦う術を学び、必死に生き抜いてきた。血反吐を吐きながら命懸けで戦った。

 こんな言い方をするのは心苦しいが、卓也の拳はあくまで演じる為のもの、魅せる事を目的とした芝居だ。二人とは自分とは違うと心の片隅で侮っていたのかもしれない。

 だが現実は違う、世界はとても不平等だ。圧倒的なまでの力、それをいとも簡単に手に入ている。二人の力は並のグローバーと同等、卓也に関してはそれ以上だ。

 抗体を持つキャリアー、その存在はあまりにも優位だ。キャリアーとしての力と対抗する能力の両立、まさにチートと言えるだろう。

 実力ではない、能力の差が大きい。


「…………頭では解ってるんだけどな。グローバーとキャリアーじゃ力差があるって。それでも……」


 強大であろうと、存在してはいけない敵だから諦めず立ち向かえた。力の差を埋める為に人々はアサルト・キュアを作り、自身の腕を磨いていた。そしてそれが自信になっていた。

 それなのに、その全てがひっくり返された、無下になってしまった。


「本当に……ズルいよ」


 うつむきながら呟くこの一言が頭に響く。

 常人を上回るグローバー、それを超える肉体を持つキャリアー。だが決して無敵の存在ではない、それは卓也達も同じだ。強いが最強ではない。

 それでも……必死になって鍛えた力を、作り上げた武具を、簡単に超えられてしまった。

 この感覚に美咲は覚えがあった。あれは深夜、たまたま観たテレビで放送されていたアニメだ。幼い頃から鍛練を積み重ねてきた女騎士を主人公がねじ伏せる、神様から貰った力で。自力で得た力ではない、貰い物の力をさも己の実力のように使い誇示する。

 あまつさえ女騎士を弟子にするだなんて、美咲には理解できない物語だった。

 あの女騎士と自分を重ねているのかもしれない。いや、正確には違う。卓也も千夏もあんなのとは似ても似つかない。

 そもそも二人は被害者の側だ。さらにこっちに協力してくれている。それは美咲も認めているが……


「ぐあー! イライラする! 性別とか経験とか、そんな問題じゃない。もっと根本的な部分で違うからなぁ」


 苛立ちのあまり激しく頭を掻き回す。


「どうれば強くなれる? 鍛えればどうにかなる問題じゃないし、能力は論外。となれば……」


 ブレザーのポケットから注射器を取り出す。アサルト・キュアの起動に必要な体内の抗体を活性化させる薬だ。


「武器……かな」


 そう小さく呟いた。まるで自分に言い聞かせるかのように。






 最近、夜の藤岡家はとても静かだ。卓也の父であり家主の光雄は仕事が忙しく帰りも遅い。そして何よりも、卓也が食卓に座らないのだ。

 しかし今日は少し違う。食事はせずとも、母と共に席に着いていた。


「で、一馬達がチケットはどうにかするって言ってさ。たぶん、夏休みは五人で行くと思う」


「そう、じゃあ泊まりになりそうね」


「うん。安い所を探してるとこ」


 テーブルを隔て向かい合う二人。卓也とその母、春菜が夕食を楽しんでいた。夕食時の他愛ない会話。その日の学校での出来事、日常の事。そんな至って普通の光景だ。

 ただ、をしているのは春菜一人だけだ。卓也の前には水の入ったグラスが一つ置かれている。

 今の藤岡家ではこれが日常だ。良かれと受け入れてはいないが、この状況にも慣れてきた。

 例え人ならざる肉体であろうとこれは病気。家族である事に変わりは無いからだ。


「最近どう? 体調とか」


「かなり……良いかも。徹夜しても平気だったしね」


 卓也は自覚している、自分はこの身体に馴染んできていると。漲る力に不安を抱きつつも、それを自然と感じる不気味さが拭えない。

 だが卓也はそれを顔には出さないようにしていた。家族に余計な心配をさせてしまうと思っているからだ。


「けどさ、やっぱり食欲が出ないんだよな。本当にごめん」


「気にしないで。お昼は毎日食べてくれるじゃない」


「まあ…………ね」


 そう、学校で持参した弁当は食べている。井上兄妹やクラスメートの目もあるからだ。正直食べたくないのが本心だが、捨てるなんて母の事を裏切る行為でしかない。

 良心と言えば良いのかはわからない、人間の心なのかも疑問だ。ただ、この行動は間違っていないと信じている。

 少しばかりの間。卓也は何と言おうか考えていると、玄関が開く音が聞こえる。


「あら、お父さん帰って来たみたいね」


 春菜が入り口の方へと振り向くと、光雄が疲れたように肩を落としリビングへ入った。


「おかえりなさい父さん」


「おかえりなさい。ご飯いる?」


「頼む。いやはや……」


 キッチンに向かう春菜を背に、小柄な男性、卓也の父光雄はバッグをソファに投げ席に着く。疲労困憊、そんな様子だ。

 そんな夫を労るように春菜はグラスと麦茶を先に出す。


「光雄さん、お疲れみたいね」


「いろいろとあってね。撮影スケジュールもカツカツだ」


 光雄はスーツアクターを生業としており、卓也が最も憧れる存在。父のようになりたい、彼こそが卓也の夢であり目標だ。

 そんな父の疲れた表情に少しだけ不安になる。


「父さん大丈夫なの? 忙しいみたいだけど。やっぱり次の役?」


 光雄は少し前までとある特撮ヒーロー番組で敵の幹部怪人を演じていたが、その怪人もヒーローに敗れてしまった。そこで次の仕事として手にした役が、別番組の追加戦士の役であった。

 最近劇中にも登場し、その活躍を卓也も見ている。


もかなりやる気があって、役作りにいろいろと相談されてね。まあヒーローは俳優と一緒に創るんだが、パワフル過ぎてこっちがまいるよ」


「父さんが振り回されてるなんて珍しいね」


「いやぁ、若いだけあって貪欲で勉強熱心だからね。彼女は良い女優になるぞ」


「へぇ」


 彼が得た役。それは女性戦士の役だった。

 光雄は小柄で細身なせいか、女形の仕事が多い。だがその事を快く思わない者はこの家にはいない。卓也も父の仕事を、活躍を見て育ってきた。彼の役者としての技、心構え、その全てを直接感じているのだ。父は立派な人だ、最も尊敬すべき憧れなのだと。


「そういえば卓也に話しがあったんだ」


「俺に?」


「ああ」


 光雄は麦茶を一口飲む。


「エキストラ、やってみないか?」

 

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