第59話 Beetle2

「よく言った! ならば耐えてみせよ!」


 繰り返し叩き付けられる拳。一撃が鉄塊のように重く、その力を笑いながら振るっていた。

 長くはもたないのはあきらかだ。すぐにその拳は自分達の所に届くだろう。

 美咲はふと博幸達の方を見る。彼らも下手に動けずにいた。逃げようとしたせいでターゲットが動いたら、そう考えると動けなかったのだ。


(これは……まずいなぁ)


 ベクターだったら自分達がいれば博幸達には興味を示さない。しかしキャリアーは知性がある。優先順位があるとはいえ、彼らを完全に無視するとは限らない。

 美咲は少し考えた後、刀を握り卓也に話し掛ける。


「藤岡君、ここは私に任せて院長達を。あいつは普通じゃない、院長達がいつ狙われるかわからないの。みんなを連れて逃げて」


「そんな事は出来ない」


 卓也は即答した。そのはっきりした声に美咲も驚く。


「こいつが一人でどうにかできる奴じゃないって俺でもわかる。高岩を危険に晒したまま逃げられないって。それに、囮になるなら俺の方が適任だろ。俺の方が死に難いし、逃げ道も高岩の方が詳しい」


「けど……」


「それにさ」


 戸惑う見れると違い、卓也は真っ直ぐ正面を向く。何故だろうか、その背は逞しく見えた。


「女の子を置いて逃げるなんて、俺には絶対できない」


 開いた口が塞がらない。でも、悪い気はしなかった。


「…………あんた、格好つけてる場合じゃないでしょ」


「本心だよ。確かに高岩は強いさ。ずっとグローバーとして戦ってきたんだから。けど、ここで俺が逃げたら男が廃る。女の子一人守れなくて、何がヒーローになりたいだ」


 拳が盾を貫き穴を開ける。その開いた穴からマスターがこちらを睨んでいた。


「こんな所で負けてられるか! 自分の心に嘘をついて逃げたら、俺は本当に化け物になっちまう!」


「……!」


 その時だ。


「ん?」


 何かがマスターの背に当たり手を止める。乾いたカンっと短い音と共に、それは床に落ちた。一本の羽根。そう、千夏の羽根型の手裏剣だった。


「なんと……もう一匹いたのか」


 振り向いた先にいたのは大きく翼を拡げた灰色の巨大フクロウ。千夏だった。


「フーッ……アア……!」


 息を荒げ、真っ黒な眼球が一匹のカブトムシを映す。肉体が誘う殺意に身を任せつつも、残された彼女の心が意識を繋ぎ止めている。

 こっちだ、お前の敵はここにいる。二人から離れろ。言葉にはならずとも、全身がそう告げている。


「フフフ……まあ良い。一匹増えようと、ワシの株が上がるだけよ」


 千夏が来てもその余裕な態度は崩さない。何故なら彼女の攻撃が通用していなかったからだ。

 彼の足下に転がる手裏剣、それはベクターの身体を容易く貫き、体内に抗体を注射する必殺の武器。だがそれは刺さればの話。この分厚い甲殻を貫く事は出来なかった。


 それでもこの一撃には意味はあった。


「っ、!」


「応さ!」


 言葉は不要。何をすべきかは解っている。

 二人を守っていた盾はほどけ、無数の蔦が蛇のように襲い掛かる。


「ぬぅ」


 千夏に気を取られ一瞬遅れる。が、彼の反応は速い。迫り来る蔦を手刀で叩き落とし、掴み引き千切る。腕力にものを言わせ絡み付いても動きを止める事が出来ない。


「まだまだ!」


 それでも隙を作る事は可能だ。美咲が駆け出し首を落とそうと一直線に凪払う。


「くっ……」


 それでも、届かない。


「まだ甘い。小娘、お前さんじゃあワシには通じんよ」


 左手一本で受け止められる。そのまま手を切る事すら出来ず刀は微動だにしない。

 だがそれでもかまわない。本当の狙いは別にあるのだ。


「これならどうだ!」


 床を貫き伸びた蔦がマスターの足に絡み付いた。


「捕った!」


 床から更に蔦が生え、腕にも巻き付く。

 この堅い鎧を貫けずとも、動きを止める事は可能だ。ほんの少しで良い。時間を稼ぐ事が必要だった。


「院長、今の内に!」


 美咲が叫ぶ。そう、卓也がマスターを拘束したのは博幸達が逃げる隙を作る為だったのだ。


「院長、こっちです!」


「な……まだ逃げてなかったのか」


 そこには千夏を案内してきた女医、須賀がいた。

 博幸は一瞬ためらったが、今自分がすべき事は理解している。ここにいても足手まといになるだけ、兎に角逃げるのが最優先なのだ。


「…………美咲君、卓也君、後は頼んだぞ。全員、院内から脱出するぞ」


「は、はい!」


 皆が焦るように走りこの場から立ち去る。そんな彼らをマスターは一目見るが、興味無さそうにすぐに卓也達の方を振り向く。

 眼中に無かった。始めから目的は卓也達だからだ。


「ハッ、人間ごときを逃がすのに必死になりおって。実にくだらん」


「くだらなくない。俺達はお前とは違うんだよ!」


「なら……」


 その言葉を遮るように再びマスターの背に千夏が手裏剣を放つ。

 彼は呆れたように深いため息をついた。何度やろうと無駄。千夏では傷一つつけるのも不可能だと。手裏剣は弾かれ落ちるのみ。


「……良かろう。仲良くまとめて潰れろ」


 そう言うと腕を振るい、足を暴れさせ力任せに蔦を引き千切った。あまりにも軽い。いとも簡単にその身体に自由が戻る。


「なっ……キャ?」


 更に刀を掴んだまま美咲を持ち上げ、軽々と千夏めがけ投げたのだ。


「高岩さん……!」


 千夏は受け止めた。爪を床に引っ掛け、しっかりとその二本の足で踏みとどまったのだ。

 体重は明らかに武装している美咲の方が上。更に千夏は鳥類の身体だ、体重は見た目以上に軽い。それでも彼女は踏ん張り美咲を受け止める。彼女の心が、その身体に力を与えたのだ。


「大丈夫?」


「うん。ありがとう黄川田さん」


 幸いな事に怪我はない。千夏に感謝し立ち上がる。


「けど貴女も早く逃げて。ここは危ないから……」


 そう言葉を続けようとするが千夏の手が制止する。その手は微かに震えていた。


「私も力になりたい。私も戦う」


「本気?」


 ゆっくりと千夏は頷く。


「私は化け物じゃないから。人の為になりたいの」


 彼女の決意は固い。無理に止めようとしても無駄だろう。それに今はそんな事を問答している時間は無い。


「でりゃぁぁぁぁぁぁ!」


「ふん!」


 卓也とマスターの拳がぶつかり合う。


「っ……」


 一歩引き下がり拳の痛みに苦悶の声を漏らす。殴ってもこちらが傷つくだけ。手に小さなひびが入る。

 圧されている。単純な腕力は負け、頑丈な身体には傷一つ無い。更に相手は明らかに戦い馴れた特異な男。隙を狙い口の中に花粉を流し込むのも難しい。

 苦戦しているのは美咲も解っている。今の二人では勝つのは難しい。となれば手段を選んでいる場合ではない。


「…………二人で無理なら三人か。無理だけはしないで」


「うん!」


 力強く頷き、千夏は翼を広げ飛び立つ。翼が赤く発光し、巨大な剣となる。


「ほぅ、そうきた……か!」


 威力は段違い。これならば通用…………しなかった。

 腕で、止めたのだ。僅かだが甲殻を溶かし食い込むものの、軽傷の域を脱していない。


「少しはやるようだな。面白い!」


「よそ見してんな!」


 千夏に意識が向いたその隙。卓也の回し蹴りが腹に直撃する。


「ちぃ……」


 当たりはする。そう、当たるだけ。卓也の力ではこの鎧を砕けない。


「ハハハ! どうした、鳥のお嬢ちゃんより貧弱だな!」


 卓也を蹴り飛ばし、千夏も押し退ける。二人は床に打ち付けられるが、卓也は即座に立ち上がった。


「まだまだ! 俺はまだ動けるぞ。こっちはな、お前みたいに壊す為に戦うんじゃない、守らなきゃいけない人がいるんだ。こんなんでやられはしないんだよ!」


「威勢の良い事だ、嫌いではないぞ。だが………三人は少々面倒だな」


「せいっ!」


 背後から美咲が切り掛かる。今度こそ首を落とさんと横一閃に振るった。


「本気を出してやろう」


 その時、マスターの背中、外羽が開き血と共に何かが吐き出される。それを掴み美咲の一撃を防いだ。


「な……」


 出てきたのは薙刀だった。黒く背骨のような柄とカブトムシの角を彷彿とさせる刺股に似た薙刀。

 そんな凶悪な風貌の武器を体内から吐き出した。今まで見た事の無いキャリアーの行動に美咲も驚きを隠せない。


「ハッ!」


 刀を押し退け、バランスを崩した所で美咲を柄で殴る。


「カハ……」


 咄嗟にガードしたが、美咲の力では受け止めきれない。左腕の手甲は破壊され、腕ごと横面を殴る。バイザーも砕け視界が暗転する。

 そのまま美咲は倒れてしまった。


「まずは一人。死ねぃ!」


「させるか!」


 倒れた美咲を真っ二つにしようと振り上げられる刃。当然そんな事をさせる訳にはいかない。

 床を突き破り、無数の根が槍のように迫る。


「何度も通じるか!」


 だがそれも薙刀を大きく振るい、まとめて一撃で切り捨てられてしまう。

 攻撃の手を止めてはならない。そうなれば美咲が狙われる。


「っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 千夏が飛び掛かり爪を立てるも、表面を軽く引っ掻くだけ。それでもその煩わしさが意識を千夏の方に向けた。


「この……鳥ごときが!」


 しがみつく千夏を片手で引き剥がし壁に叩き付ける。背骨に激痛が走り、千夏を中心に壁に亀裂が広がる。


「喰う側かと思ったか!」


 そして彼女の腹に薙刀を突き刺し、壁に千夏を縫い付けた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る