第58話 Beetle1

 意気込む卓也達をマスターは嘲笑う。完全に二人を見下しているように。


「そうさな、少しだけ教えてやる。ウイルスを作った者から直接説明を受けたやつがいてな。ワシはそいつから聞いたのだ。で……」


 指を鳴らしゆっくりと身構える。


「目的なぞ解りきっているだろう。この街のグローバー、そして噂の抗体持ちのキャリアー、敵の排除に決まっとる。ベクターを全滅させた程度で安心するな。ワシが貴様らの死だ」


 ゾッとするような気迫に二人は息を呑む。

 その立ち振舞い、威圧感、全てが今まで戦ってきたキャリアーとは別物だった。以前戦ったカニやブタのキャリアーとも違う雰囲気と殺意。ただ知識があるだけではない。もっと根本的な所で違うのだ。

 息苦しさすら感じる気迫に美咲の額に冷や汗が流れる。ただ対峙するだけでも押し潰されそうだ。


「場馴れしているわね。もしくは人間だった頃に……。藤岡君、こいつは今までのチンピラみたいな連中とは違う」


「ああ、解るよ。こいつの構えに隙が無い。だ」


 卓也もこの異常さを察していた。キャリアーは力を得ただけの一般人だと思っていた。だがこのカブトムシは違う。警察官や格闘技選手の類いが感染、発症したのだろう。そう、戦い方を知っているのだ。

 ただ力があるだけの獣とは違う。今まで対抗出来た戦う技術の差が埋まっている。もしかしたらこちらを上回っているかもしれない。

 どう攻めるか、どうやって博幸達を逃がすか。美咲は脳をフル回転させて考える。

 その沈黙を卓也が破った。


「高岩、あいつは俺が引き付ける。その内に院長達を」


「ちょ、藤岡君?」


 美咲の制止も振り切り、卓也は即座に殴り掛かる。

 考える暇は無い。とにかく自分が囮になり皆を逃がすのが先だと判断した。

 それは間違ってはいない。美咲より、キャリアーである卓也の方が生存力は圧倒的に高いからだ。


「いくぞカブトムシ野郎!」


 まっすぐ突き出す右ストレート。顔面を殴り飛ばそうと腕を伸ばした。


「っ!」


 だがその拳は届かなかった。卓也の拳を掴み軽々と受け止めたのだ。


「フフフ……。こんなものか、小僧」


 卓也の手を振り払い笑う。昆虫特有の複眼が、髑髏のような口が、形を変えずとも嘲笑しているのがわかる。


「ああ、くっそ! 頭にくるな。俺だって、こんな木じゃなくてカブトムシとかさ……」


 このくらいで止まりはしない。


「もうちょい格好いいやつが良かったっての!」


 次は左足を鞭のようにしならせ回し蹴りを繰り出す。狙うのはがら空きの脇腹。余裕な態度を後悔させてやる、そう思っていた。


「ふぅ……こんなものか。まぁ、ガキどもを倒せるとなると妥当かの」


 また受け止めた。どれだけ動かそうと、足を掴みびくともしない。

 単純な腕力に大きな差がある。力勝負では勝てない。


「が……緩いわ!」


 卓也の足を掴んだまま軽々と投げ飛ばす。壁に叩き付けられ、卓也の身体を中心に亀裂が走る。


「カハ……」


 床に崩れ落ち、そのまま倒れ伏す。

 全身に痛みが走り、頭もふらつくが意識は身体を鼓舞する。倒れてはいけない、立ち止まってはいけないと。

 即座に立ち上がるも状況は良くない。卓也の拳を受け止める反応速度と、身体を軽々と投げる腕力。どれも今までの素人とは違う。

 まずい、美咲もそう判断した。


「院長、離れててください!」


 彼女も駆け出した。卓也一人で相手するような敵ではない。

 横一閃、赤い軌跡を画きながら、美咲の刃は首を落とそうと背後から切り掛かる。


「ハッ!」


 甲殻に守られていない首を切り落とせば一撃だ。甲虫型のキャリアーを倒す定番の攻撃。

 しかしその動きを読んでいたかのように、刀は腕に阻まれる。


「危ない危ない……」


 流石はカブトムシと言った所だ。腕を包む甲殻は堅く刃が通らない。全身がこんな代物なら、ダメージを与えるのは困難だろう。


「ああ、もう! サソリの次はカニで、更にはカブトムシ? 堅い奴が続いて勘弁してほしいわ」


「ハハハ、残念だったなお嬢ちゃん。だが安心しろ、ここで終わりだからな」


「チッ!」


 そう言い終わった瞬間、巨木のような太い足が美咲に迫る。何の変哲もないただの後ろ蹴り。だがその巨体から繰り出されるそれは卓也のものとは桁違いの破壊力がある。

 既の所で防御しつつ後ろに跳んで衝撃を逃がす。だが全ての力を逃がすのは不可能だ。


「グッ……」


 床を転げすぐさま立ち上がる。しかし腕が痺れ、骨まで痛みが届いていた。

 もろに喰らえばどうなっていたか。骨が折れるだけではすまないだろう。

 冷や汗を流す美咲と違い、マスターは感心したように手を叩く。


「受け流すとは感心。そこの小僧も素人ではないのなら……あいつらが負けて当然か。全く、恥ずかしい連中よ」


「随分と薄情ね。仲間じゃなかったの?」


 あいつらとは先日戦ったキャリアー達だろう。


「一応はな。だが得た力に溺れ、己を磨く事を怠った輩にかける慈悲は無い」


 首を鳴らしながら美咲の方を振り向く。


「そしてワシは怠ける無能ではない。さあどうする?」


 圧倒的な自信に満ち溢れている。美咲も思わずたじろぐ程に。これははったりではないだろう。

 力を得た者がその力をコントロール出来るよう鍛えていたら? 勿論強いに決まっている。

 こんなキャリアーは見た事がない。キャリアーは殆どが得た獣の力に傲るものだ。だからこそ付け入る隙があり、その肉体の性能差を覆せていた。

 だが今回は違う。一筋縄ではいかないだろう。


「成る程ね。だけど私達も負ける訳にはいかないの。藤岡君!」


「ああ!」


 卓也も自身を鼓舞するように構え直す。

 どんなに相手が強かろうと諦める訳にはいかない。ヴィラン・シンドロームを拡げさせはしない。家族や友人にその毒牙を向けさせてはならない。


「どんだけ頑丈な鎧だってな、対処法はあるんだよ!」


 先日のカニ型キャリアーで学んでいる。いくら防御力が高くとも体内は柔いのだ。

 卓也の右手には一輪の赤い花が開化していた。


「これでも喰らえっ!」


 顔面、その口めがけ拳を振るう。殴る為ではない。敵の体内に直接抗体をふんだんに含んだ花粉を喰らわせてやる為だ。


「……遅い」


 だがそう上手くいくはずがなかった。腕を捕まれ拳の花は届かない。


「チッ。けどな、これで終わりと思う……」


 止められるのは想定の範囲内だ。だが、この距離なら直接花粉わや吹き掛けられる。吸い込めば喉が潰れ、肺が破壊されるだろう。

 そうなれば必ず隙が生まれる。そこを美咲が仕止めるのだ。

 花粉を吐き出そうとしたその瞬間……


「だから甘い」


 捕まれた腕が一瞬で引き千切られた。腕の感覚が失せ、そこにあるはずのものが消失している。

 肘から先にあるべき腕が無く、脳が状況を把握できていない。頭が理解しようとした瞬間、視界が回転した。


「え?」


 卓也の腹を蹴り、美咲の方へと突飛ばした。


「なっ!?」


 美咲はなんとか卓也を受け止めるも、バランスを崩し倒れこむ。


「くぅ……藤岡君、大丈夫?」


「……一応な」


 腕を失ったのだ、普通なら動くのも苦しいはず。しかし卓也はキャリアーだ。この位ではやられない上、既に傷口から蔦が生え腕の再生が始まっている。


「けど……少しまずいかな」


 確かに怪我をする事は問題無い。ただし時間があれば。

 当然マスターはそんな余裕を与えるつもりはない。腕を捨て、こちらに歩み寄る。


「フフフ。やはりワシらと同等の再生能力があるか。だが、その力は無限ではない。それに頭を潰せばおしまいよ、小娘もな」


 ゆっくりと、余裕たっぷりににじり寄る巨大カブトムシ。

 こいつの言う通り、キャリアーの再生能力はなく再生不能な即死レベルのダメージを受ければ無意味だ。

 そしてグローバーである美咲はもっと脆い。人間よりも肉体面で優れていても、キャリアーより圧倒的に劣る。再生能力もなく耐久性は人間と殆ど変わらない。


「さてと……。そろそろ力量もわかった。では…………死ね」


 床を踏み砕くように一気に駆け出し拳を振るう。頭に当たれば一撃でスイカのようにかち割れるだろう。

 だが卓也に避ける選択肢は無い。そんな事をすれば後ろの美咲に当たってしまうからだ。


「このっ……やられるか!」


 避けるか受けるか。考える時間は無い。卓也が選択したのは防ぐ事だ。

 床に腕を突き立てると、卓也達を守るように絡み合った蔦が盾となった。


「ほぅ、そうくるか」


 こんな即興の盾で完全に防げるのだろうか。ただでさえ今の一撃でも崩れそうになっている。


「どの位耐えられるかな? その薄っぺらい盾でなぁ」


「上等だ! 負けてやる理由なんか無いんだよ!」


 卓也の心は折れていない。まだ戦う力は、その拳に残っているのだから。

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