第57話 助けに来たぜ

「大丈夫ですか院長先生!」


 破られた扉の先、そこにはキャリアーの姿へと変身した卓也が立っていた。彼の右腕からは緑色の蔦が伸び、ベクターに巻き付いている。


「卓也君! 助かったよ」


 現れた助けに博幸達の瞳に光が戻る。

 発症者への猛毒、抗体を持つ者。今この場でベクターを確実に倒せる存在がいる。それが何よりも心強い。


「ベクターが一体か。先生達も無事だし、速攻で終わらせる」


 蔦を勢いよく手繰り寄せると同時に卓也も駆け出す。


「だあ!」


 引き寄せられバランスを崩した所に左ストレートを繰り出す。頬に一撃、顎が軋み衝撃に歯が抜け落ちる。

 卓也の手は止まらず、よろけた隙に溝尾へ連続で拳を叩き込んだ。


「ゴ……」


 ベクターは堪らず後退る。いくら強靭な生命力を持とうが痛覚はあるのだ。

 しかし彼らには心が無い。痛みに怯んでも恐れる事は無いのだ。


「ギギ」


 その脳から出される命令は天敵の排除。自らの命以上に卓也への攻撃が優先されている。

 奇声と共に襲い掛かるも、そんな理性無き獣に遅れるような男ではない。

 振るわれた腕を難なく掴み、その腕を引っ張り背負い投げを繰り出す。


「甘い……んだよ!」


 次の瞬間、ベクターの視界が上下逆転。投げ飛ばされ床に衝突し、後頭部と背中に衝撃が走る。


「っし。ここなら……」


 立ち位置は変わった。先程まではベクターの背後に博幸達がいたが今は逆だ。

 卓也はチラリと背後を見る。


「近いしこっちの方が守り易いからな。よし、かかってこいベクター」


 拳を握りしめ意気込む。これ以上好きにはさせない、博幸達を必ず守ると。

 そんな卓也の背中に博幸が話し掛ける。


「卓也君……」


「院長先生、高岩は廊下にいた奴と戦ってます。後は俺達に任せてください」


「……ああ、出来るだけ速く、彼を楽にしてあげてくれ」


 重苦しい口調に卓也は思わず振り向く。


「え?」


「あのベクターはここの職員……だった。共にヴィラン・シンドロームと戦った仲だ。彼を……頼む」


 目の前に立ちはだかる巨大ネズミ、その正体に卓也の心は揺さぶられた。だが彼は覚悟を決めてこの場にいる。戦う事、命を奪う罪を受け止める事を。

 もう元には戻らない。だから拳を振るうのだ。


「わかりました……」


 真っ直ぐ前を向く琥珀のような目。人間のそれとは違い、無機質な光を反射している。だがそこには心があった。卓也の人の心が。


「だぁぁぁぁぁぁ!」


 駆け出し一気に距離を積めると、拳を真っ直ぐ振り抜く。拳はベクターの顔面へと吸い込まれ、鼻先を砕いた。


「ギ……」


 一瞬怯むも、ベクターは痛みを恐れない。

 反撃しようと爪をギラつかせるが、腕を振り上げるよりも速く卓也が両腕を掴み接近。ほぼ目と鼻の先、そんな近距離では殴る事はできないだろう。

 拳は使えない。だが足は自由だ。膝蹴りを溝尾に二度打ち込む。


「ゴフ」


 そのまま蹴り飛ばし距離を開ける。そしてゆっくりと息を吐き足に力を込めた。


「ごめんなさい、俺にはこんな形でしか止められない。きちんと助ける事が出来ない……」


 卓也の右足が琥珀色の光を纏い輝く。


「っ!」


 跳躍し右足から光に包まれた蔦が伸びる。そのまま身体を回転させ、跳び回し蹴りを繰り出した。


「眠ってくれ……!」


 蹴りの動きに合わせるように蔦が鞭のようにしなりベクターを捉える。その一撃はベクターの胸部を削り取った。

 蔦が剣のように切り裂いた……なんてものじゃない。一撃で、確実に仕止めるよう身体を深く抉る。

 傷口は緑色に変色し肉体を溶かしながら広がる。


「…………コフっ」


 血を吐きながらベクターは倒れると、身体は溶け緑色の水溜まりへと変貌した。そしてそこには一つのパスケースがもの悲しそうに取り残されている。

 卓也はそれを拾い上げ、IDカードを見る。知っている。この病院の医師だ。


「……すまないな卓也君。こんな事をさせて」


「大丈夫です。俺もやるって決めてますし。こうなったのは残念ですけど、やらなきゃもっと被害が広がってました」


 正直心苦しいとは思っている。だがそれも覚悟の内。共に戦う仲であろうと、感染し発症してしまえばどうなるか、勿論わかっている。

 何も感じていない訳ではない。受け入れているのだ。だから戦える、前に進められる。


「さてと、後は……」


 博幸達の安全はひとまず確保した。次はどうしようかと、博幸の指示を聞こうとした時だ。


「おお、美咲君」


 部屋に美咲が入ってきた。

 赤い装甲と白いコート、顔を隠すバイザー、アサルト・キュアを身に纏い手にした刀には緑色の粘液がべっとりと塗りたくられている。

 つい先程まで何をしていたか、想像するのは容易い。


「院長……良かった無事で」


「卓也君が危ない所で駆け付けてくれてね。君も……」


 博幸の視線が緑色に汚れた刀に移る。当然美咲もそれに気付いた。


「ベクターを一体。ですがまだ油断はできません。何体侵入してきたかわかりませんから」


 美咲はデスクに置かれたティッシュを鷲掴みにし刀身を拭く。鈍い鋼の刃が蛍光灯の光を反射し輝くが、直ぐに鞘に納められる。


「黄川田さんもこっちに来るとなると、私達は囮としてここで迎撃ですね」


「すまないな。奴らの習性を考えると、職員の安全を確保するにはこれが最善なんだ」


「そんな事を言わないでください。むしろこの方が周りを気にせず、全力で戦えます」


 バイザーの奥底で笑いながら卓也の方に振り向く。


「藤岡君もお願いね。私達に惹かれるはずだし、歩き回るだけで向こうから来るはず」


「おうさ。取り敢えず千夏が来るのを待つか」


 卓也の表情に変化はない。もし人間の姿であったら笑みを返していただろう。

 まだ完全に安全とは言えない。敵が院内に残っている可能性は高いのだ。確実に殲滅しなければならない。

 それでも博幸、特に部下の女性達の表情には安堵の色が見える。普通の人間である彼女達には敵を倒す武器、そして囮が同時に来たのだ。

 その考えが誉められたものではないのはわかっている。だがそう思わなければ安心感を得られなかった。


「いやはや、僕も年だねぇ。安心したら一気に疲労感が来たよ」


「こんな所で座り込まないでくださいよ。これから脱出してもらわないといけないんですか……ん?」


 美咲はふと開きっぱなしの扉へと視線を移す。足音だ。こちらに近づく足音が聞こえる。

 その音に卓也も気付いた。


「おっ、千夏が来たか」


 しかしその足音が近づくにつれ美咲の脳裏に疑問が浮かぶ。


「…………違う」


 足音が重いのだ。美咲よりも小柄な上、鳥類な事もあり変身しても彼女はかなり軽い。こんな響くような足音のはずがない。

 そしてこれはベクターでもない。ベクターは走る時は四足歩行をする。だから複数の足音が聞こえるはずだ。

 美咲は気付いた。


「藤岡君、キャリアーだ!」


「っ!」


 ズシンと重い足音が響く。千夏の足、鋭い爪が床をつつく音とは明らかに違う。


「ベクターが単独で私達を狙ったんじゃない。キャリアーが誘導したんだ!」


 足音が止まり、一体の怪人が部屋を覗き込む。

 二メートル近い巨体、額から伸びる長い角、黒光りする甲殻に身を包む怪物。その姿に卓也は思わず息を呑む。


「か……カブトムシ?」


 カブトムシ型キャリアー、そうマスターが現れた。彼は室内を見回すと溶けたベクターの亡骸を見る。


「ふむ……やはりベクター程度では相手にならんか。まぁ、準備運動にはなっただろう」


 部屋に足を踏み入れるのと同時に卓也は構え、美咲は柄に手を伸ばした。

 直感。何故かこのキャリアーがただ者ではないのを感じとる。


「ベクター……か。どうやらお前もこの病気の事を知ってるみたいだな」


「そうね。詳しく聞かせてもらおうじゃない」


 臨戦態勢をとる二人にマスターは余裕な態度を崩さない。


「ハハハ! 怖い怖い。そんなにワシから聞きたいか」


「当たり前でしょ。前回のブタとカニもそうだし、あんた達が他のキャリアーとは違うのは明確。自分の身体に起きた事を理解し、意図的に感染を広げている」


 美咲は抜刀し、刃の根本から光が伸び刀身全体が赤く輝く。


「ああ、答えてもらうぜカブトムシ野郎。お前が何故ヴィラン・シンドロームを知ってるか、何を企んでいるかな!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る