第60話 Beetle3
最初に感じたのは腹部の熱さ、体内が破壊される不快感だった。
「ゴフッ……」
千夏の口から血の塊が吹き出す。
痛い痛い痛い。今まで感じた事の無い激痛に意識がめちゃくちゃにされる。
幸い……いや、不幸な事だろう。この位で彼女は死なない、死ねない。キャリアーの生命力が彼女の命を繋ぎ止めているから。
そんな千夏の姿を黙って見ているような二人ではない。
「この虫野郎!」
怒気を込め卓也は飛び出す。
「あんたぁ!」
美咲も同じだ。骨をやられたのか左腕は動かせないが、そんな事を考えている余裕はない。
「「何してんだぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」
卓也の渾身の飛び回し蹴りが風を切り、美咲も刀を振るった。ほぼ同時に繰り出された一撃。
お互い相談した訳でもない。二人の意思は一致した。
千夏を助ける。そして二つの攻撃を同時に捌く事は出来まい。そう思っていた。
「あ……」
「こいつ……」
卓也の足は捕まれ、美咲の刀は殴り飛ばされた。刀はカランと乾いた音を響かせ虚しく落ちる。
「しまっ……あぐっ!?」
まずいと思った時には既に遅い。美咲の首を掴み持ち上げる。足は床から離れ必死に踠くもびくともしない。蹴ろうも軽く触れる程度にしか感じず、片手では振り払えないのだ。
少しずつ首を掴む手に力が入り、美咲の首を締め上げ息が出来なくなる。いや、それよりも骨をへし折られるのが先かもしれない。
美咲のピンチは卓也も察しているが、足を掴まれ身動きが取れない。
(くっそ、どんな握力だよ。けど、まだ手があるんだよ!)
上半身は自由だ、攻撃の手段はある。いざ腕から蔦を伸ばし首に絡めよう、そう考えた瞬間……
「は?」
卓也の身体が宙を舞った。なんと片手で卓也を持ち上げたのだ。
そしてそのまま振り下ろし床に打ち付ける。
「ガハっ!?」
背中から全身に衝撃が伝わり、一瞬意識が途絶えかける。なんとか痛みに耐えるも、彼が立ち上がるよりも早く踏み付けたのだ。
「グ……ガ……………」
三桁はあろう体重がのし掛かり、卓也の身体はメキメキと音を立てて軋み悲鳴を上げる。木の板を踏み砕くように。
「ハハハ! 切り刻んでも良かったが、ワシも返り血を浴びたくないのでな。……死ね」
卓也の身体が割れ始め、美咲も意識が朦朧としてくる。このままでは卓也がバラバラに砕け散るのが先か美咲の首が握り潰されるのが先かだ。
「グぅ……」
「ガ……ハ……」
身体に力が入らない、意識がゆっくりと霞のように薄れてゆく。二人の脳裏に浮かぶのは死の一文字だ。
こんな所で死ねない、負ける事は許されない。だが力が足りない。勝つ為の力が。
「ん?」
その時、マスターの背に何かが当たる。攻撃とは呼べない弱々しい音。振り向けば見覚えのある棒が転がっていた。
彼が使っていた薙刀だ。しかしその先端は失われ、緑色の粘液が付着している。
「……立ち上がる根性は評価しよう。ワシに挑む気合いもな。だがな小娘、今は逃げる方が賢いぞ。実に……愚かだ」
視線の先にいるのは、ふらつきながらも立つ千夏の姿があった。傷口はまだ完全に塞がっていないのか、腹部から血を流しつつその周りには緑色の粘液も垂れている。
これは彼女の肉体ではない。突き刺さっていた刃が千夏の血液に含まれる抗体により溶けたのだ。
刃が溶け自由にはなった。しかし痛みと再生の消耗は見逃せない。キャリアーだからこそ生きているがダメージは確実に千夏の身体に蓄積されている。
肩で息をしふらつきつつも柄だけとなった薙刀を投げた。二人を助ける為に。
「ハァ、ハァ…………」
確かにこのまま一人で逃げ出せば自分の安全は確保出来るだろう。だけど千夏には出来なかった。二人を置いて逃げるだなんて絶対に嫌だ。
その選択をマスターは評価するも嘲笑う。無謀だと。
「文字通りこいつらを潰したら相手をしてやる。せいぜい死に方を考えてお……」
口が止まった。顔に伝う軽い衝撃、一瞬遅れて暴れ狂う激痛がマスターの脳を支配する。
「ヌオォォォ!?」
羽根が眼球に突き刺さっていた。鎧に守られていない露出した目、昆虫特有の複眼が溶け出し緑色の涙が流れる。
致命傷には届いていない。それでも充分だ。この痛みが卓也を踏む足と美咲を掴む手が緩む。
「くぅ……今だ!」
再生途中の腕から蔦が鞭のようにしなる。マスターは反応出来ず、美咲を叩き落とし黒い巨体を押し退けた。
「ゲホッ、ガハッ!」
喉に空気が通りむせる美咲。息苦しさから解放され、へたりこみながらも思考がクリアになってゆく。
身体が重い、力が入らない。
「く……そ……」
何とか立ち上がろうとした時、美咲の肩に手が置かれる。
「ダメだ、俺達がやる。そんなボロボロの身体じゃ危ない」
卓也だった。彼も身体中に痛々しく亀裂が入り、特に胸部にはくっきりと足跡が残っている。
単純なダメージは卓也と千夏の方が大きい。しかし二人はキャリアーだ。大きな怪我を負おうも、今この瞬間から再生されている。
「…………そう」
悔しかった。グローバーは常人よりも優れた身体能力を持っている。だが単純なスペックはキャリアーの方が上。腹を貫かれても立ち上がり、腕が千切れても新しく生える異形の存在、それがキャリアーだ。
羽根を乱射し足止めをする千夏、全身ボロボロになりながらも戦う力を残している卓也。
根本的な、生物としての格の違いを見せ付けられているようだ。情けない。そして苦しい。
そんな美咲の気持ちも知らず、卓也は彼女を庇うように前に立つ。ゆっくりと深呼吸をし、琥珀色の瞳が鈍く輝く。
頭の中に浮かぶのは溶けた薙刀だ。
「あいつの武器が溶けたって事は、キャリアーの細胞から作られている。そうだ、血が効くならまだやれる。花粉じゃない、あれなら当たる」
痛みに思考が薄れるも、自身を鼓舞し意識を奮い立たせる。
「どんだけ頑丈な鎧でも、あれは肉体の一部だ。なら……!」
再生途中である蔦状の右腕を左腕に絡ませる。そして掌が割れ、一輪の花が開花した。
直径二十センチはあろう赤い花。ドクン、ドクンと腕が脈動し、中心に光が灯る。
「千夏、飛べ!」
「!」
花を向け、卓也の合図と同時に千夏が飛び上がる。花の直線上にはマスターことカブトムシ型キャリアーだけだ。
全身から水分が吸い上げられるような感覚、奪われるような、腕の花に自身の力が集まるのが解る。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
花から溢れる琥珀色の液体。腕に掛かる圧力が一気に解放された。
それはまるで光線のようだった。真っ直ぐ放たれた琥珀色の液体は濁流のようにマスターへと襲いかかる。
「なっ!?」
直撃した水流が炸裂する。周囲に撒き散らされながらも巨大なカブトムシを丸呑みにした。
そのまま倒れ、水溜まりの中に埋もれる。しだいに琥珀色の液体は中心から緑色へと変色していった。
散らばった液体から漂う、鼻に絡み付くような甘い香りに美咲は気付いた。
「蜜……か。成る程、キャリアーにとって抗体を含むこれは猛毒の塊。硫酸を浴びせられたようなもんね」
花から発射されたのは蜜だった。
抗体を含んだ液体、例えばグローバーの血液はキャリアーにとっては劇物だ。美咲の言う通り硫酸にも等しい。いくら頑丈な鎧であろうと、直接破壊出来ないのなら搦め手に頼らざるをえない。ウイルスを死滅させ、肉体を瞬時に崩壊させる抗体には耐えられないのだ。
「ふぅ……。何か身体が乾くと言うか、貧血みたいな感覚がするな。もう動けねぇ」
卓也はその場に倒れる。当たり前だ。これだけの量の蜜を絞り出せば身体の負担は大きい。グローバーだったら体内の血液を吐き出したようなものだ。キャリアーだからこそ可能な荒業だろう。
そんな強引さに美咲は呆れるしかなかった。
「なんて滅茶苦茶な……ん?」
その時、彼女の耳に小さな音が聞こえた。
グチャ……と、粘着性のある不快音が。
「オ…………の……れェ。ガキ……がァ!」
角は溶け崩れ、全身が緑色に変色、失った甲殻の合間からは肉が見え、その肉も溶け始めている。まるで腐敗したゾンビのように。
マスターは生きていた。卓也の放った蜜の中から這い出し、全身が溶け出しつつもギリギリの所で命を繋ぎ止めている。
「わ……シが、こんナ所で死ねヌわぁ! 口惜しイがこコは撤退だ。次は貴様ラ全員、殺す!」
溶けかけた鞘翅を開き、ステンドグラスのような大きな翅を伸ばすと羽ばたき出す。そして蜜の中から浮かび上がり、全身から溶けた甲殻が緑色の汗のように流れる。
「嘘だろ……流石にもう動けないぞ」
もう卓也には指一本動かす力も残っていない。
このままでは飛んで逃げてしまう。そんな言葉が頭を過った時だ。
「……私が!」
美咲が立ち上がり、自分の左肩に何かを突き刺した。それは一本の注射器、抗体を活性化させ、アサルト・キュアの運用に使用する薬だ。本来は直接身体に射すような代物ではない。左手の手甲が壊れてしまってる以上、これしか薬を使う手段は無い。
薬が体内に流れ、一歩遅れて体温が上昇していくのが感じられる。体温が高ければ高い程、抗体は活性化されその力を増す。そして抗体が活性化すれば、生成されるエネルギーも増加しアサルト・キュアの出力も上昇する。
「オーバー……ドーズ!」
コートの裏に仕込まれたナイフを取り出す。今まで使っていた刀に比べると明らかに見劣りしているが、その刃に赤い光が通り抗体の力が宿っているのは確か。キャリアーには有効なのは間違いない。
「スゥ…………………やッ!」
身体の痛みは引いていない。左腕も動かせられない。それでも戦う意思は卓也に負けてはいない。
深呼吸をし美咲は駆け出す。
「あんたはここで終わりよ!」
タックルと同時に付き出したナイフは下腹部に突き刺さる。そう、刺さったのだ。万全な状態でもマスターの頑丈な身体に傷を負わせるのはほぼ不可能。しかし通じた、こんな刀よりも遥かに小さなナイフがだ。
甲殻が溶け脆くなっている。今ならばその鉄壁の防御力無い。
確かな手応えに美咲も叫ぶ。
「黄川田さん! 通る!」
「っ……あぁぁぁぁぁぁ!!!」
その意味を理解し千夏も飛び出す。翼をはためかせ、右手の爪が赤い光を灯した。
一瞬で詰め寄り、翅を開きがら空きの背中に突き立てる。
「…………ごふっ」
背中から貫き、胸から千夏の腕が生えた。その手には弱々しく脈動する心臓が握られ、爪が食い込んでいる。
貫けた。溶けて脆くなった鎧はもう無意味。彼女の爪から流れる抗体が心臓の表面を溶かしてゆく。
「私達の」
「勝ちだ」
心臓を握り潰し、緑色の液体となり床に散らばる。マスターの身体は下半身から一気に緑色に変色し、そのまま崩れ落ちるのだった。
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