第47話 彼女を見る目
その日の夜、時刻は日付が変わる少し前、千夏は一人暗いリビングにいた。家族はもう寝静まっているだろう。静寂が室内を支配している。
いまいち寝付きが悪い。恐らくフクロウ……夜行性の生物だからだろう。夜の方が目が冴えている。
そんな眠れない夜を静かに過ごしていると、廊下の方から足音が聞こえた。その足音の主はゆっくりとドアを開け、明かりを点ける。
リビングに入ってきたのは千夏の姉、優花だった。彼女は明かりを点けた瞬間、一人部屋にいた千夏に気付く。
「まだ起きてたの? 明日学校でしょ」
「なんか寝れなくって。フクロウだからかな? 夜行性だし」
「…………そう」
少し素っ気ない態度に千夏の胸に針が刺さるようだ。
それもそのはず。あんな化け物の、キャリアーの姿を見せてしまったのだ。多少距離が開いてしまうのも仕方ない。
だが両親はこの病を治そうと励ましてくれている。きっと姉もだ。
「ねぇお姉ちゃん」
「何?」
グラスに水を注ぎながら応える。だが、彼女はこちらを振り向きはしない。
「私さ、結構力持ちなんだ。大人だって持ち上げられたんだよ。だからお姉ちゃんを担いで飛ぶのも簡単なんだ」
一息置くが胸が高鳴り興奮してくる。
千夏と同じく小柄な姉ならより簡単だ。だから彼女を担ぎ飛ぶのも容易だろう。
「でさ……ちょっと空の散歩に行かない? 飛ぶのすっごく楽しくて、お姉ちゃんも一緒に……」
「千夏」
少しだけ強い口調に千夏は口を閉じる。こんな姉の声を聞いた事が無い。いつも優しい優花とは別人のようだった。
「あんた、何でそんなに楽しそうなの?」
「え? だって飛べるようになったんだよ。そりゃあ不謹慎かもしれないけど、やっぱり憧れるし」
「…………ハァ」
優花は深いため息をつく。彼女が思い浮かべるのは千夏の姿、フクロウ人間となり楽しそうに空を飛ぶ光景だった。
躊躇うように頭を掻くが、意を決したようにグラスの水を一気に飲み干す。
「確かに自力で空を飛ぶのは憧れるよ。けど、千夏は自分の身体の事をわかってる? 病気とはいえ、あんたバケモノになってるのよ」
「……!」
バケモノ。その一言が千夏の心に、心臓を抉るように突き刺さった。
「私ね、今の千夏がとても恐い。あんな姿になっているのに笑っていて……むしろ今の状況を楽しんでいるみたいでさ。お姉ちゃんにはわかんないよ、理解できないよ」
目には涙を浮かばせ、声は更に荒くなる。
「一緒に飛ぼうって言われても……無理だよ、恐いよ。啄まれて襲われるんじゃないか、突き落とされるんじゃないかって疑っちゃう。フクロウって肉食じゃない」
「そんな事しないよ!」
誤解だと信じてと言いたい。しかし優花には伝わらない。
「そうね、私も信じたい。けど……恐いのよ」
恐い。その言葉に脳が握られたようだ。
「お父さん達と同じで私も千夏には治ってほしい、元に戻ってほしいって思っている。けど、今の私には千夏を信じきれない、怪物にしか見えないの」
「お姉ちゃん……」
何も言い返せない自分がもどかしい。
彼女の言う事も否定出来ないだろう。今の自分は誰がどう見たって普通ではない。翼を広げたその姿はまさに化け物。フクロウの怪物なのだから。
「病気の妹に対して最低な姉だって思っている。けど……ごめん。私は今の千夏を受け入れられない」
そう言うと顔を伏せリビングから足早に立ち去る。千夏は黙って見送るだけ。どう引き止めれば良いかわからなかった。
「ハァ……」
肩を落とし深いため息をつく。そしてうつむいたままベランダへと足を運んだ。
ドアを開け星空が落ちてきたような光に溢れた街を見下ろし、千夏は手すりに足を掛け……おもむろにその身を投げ出した。
人が見れば誰もが身投げ自殺と思っただろう。が、次の瞬間には翼を羽ばたかせキャリアーの姿に変身した千夏が飛翔する。
羽音一つ立てずに、千夏は上へ上へと飛んで行く。誰にも見られないよう、明かりの灯っていない窓の前を通りながら。
やがて屋上に辿り着いた千夏は柵の上にゆっくりと降り立つ。長い爪の伸びた足は手すりをがっちりと掴み、千夏は止まり木の上に立つフクロウのように翼を畳み街を静かに見回す。
「…………バケモノか。やっぱり、そう見えるんだよね」
人間ではない鋭い爪の生えた、鳥の足のような手を眺める。今さらと言われるかもしれないが、姉の言葉でやっと千夏は異形となった自分の身体を自覚し出した。
この姿を見た人は皆こう言うだろう。バケモノと。
初めて変身した時は無我夢中だった。本能のまま、獣のようにキャリアーと戦った。そして病院では己の変化を気にせず、ただ飛ぶ楽しさに魅了されていた。
異常、異端、そう言えるかもしれない。だがこんな漫画やアニメのような世界に足を踏み入れる事が出来た。そんな非現実的な環境に憧れる人は少なからずいるはず。
そうだ、その感情があるからこそ、自分は人の心を保っていると言い聞かせている。
「大丈夫。私は……まだ…………バケモノになりきっていない。私の心は人間なんだ」
そう呟きながらも黒い瞳から涙が溢れてくる。
もし人の心を失い完全な怪物になっていれば、こんな痛みも無かったのだろうか。人類の敵となれば苦しみも感じなかったのだろうか。そんな考えを振り払うように首を振る。
「違う。私が人じゃなくなったら、お父さんもお母さんも……お姉ちゃんも傷付けちゃう」
人の心を失えば、それこそ姉の言う通り家族を喰らっていたかもしれない。
「そうだ、私は私を失わない。これはただの病気なんだ……」
だが本当にそうなのだろうかと疑問が過る。キャリアーと戦ったあの時、本能に導かれるまま暴れた事に何も感じなかったのかと。
「違う……違う違う違う違う違う」
口では否定しつつも、身体はこう答える。
楽しかったと。
背筋が凍るような悪寒が走る。自分は何を考えていたのか。思い出すだけで怖くなる。
「……私は…………何者なの?」
空を見上げ月を背に立ち、大きく翼を広げる。灰色の羽毛が千夏の周囲を舞う。
そして千夏は静かに夜の街へと飛び立った。
ほんの少しの時間で良い。今はこの心にかかった靄を忘れる為、空中散歩へと出掛けたのだった。
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