第48話 人ならざる者の憂鬱

 昼休みの学校で、卓也は珍しく一人で廊下にいた。いつも近くにいる井上兄妹は所用で不在だ。

 ミネラルウォーターをちびちびと飲みながら窓の外を眺める。何の変哲もない普通の、いつもの日常。それは何物にも代えられない平和だ。

 非日常に憧れる人はいる。卓也もそんな時があった。

 しかし実際にその世界に放り込まれると、やはり日常のありがたさを再認識させられる。

 人ならざる者へとなる病。その発症者との命懸けの戦い。今もその世界に足を踏み入れ、受け入れている自分が不思議だ。

 だからこそこの時間を大切にするべきだ。

 そんな平穏に浸っていると、誰かから声を掛けられる。


「藤岡君」


「ああ、黄川田さんか。どうしたの?」


 そこにいたのは千夏だった。長い三つ編みの髪をゆらしながら卓也の隣に立つ。


「その……藤岡君の家族ってどんなリアクションだったのかなって…………あの病気について」


「…………うちか」


 離

 離れてはいるが周りに人はいる。だから声を小さくし、聞かれても困らないようぼかした言葉を選ぼうとする。

 ヴィラン・シンドロームに彼女も巻き込まれた。異形となり、家族との向き合い方に悩んでいるのだろう。

 先人として何かアドバイスをしてあげられないか。悩むも上手い言葉が見付からない。


「まあ、うちはわりと受け入れてくれてるかな。本当に親には頭が上がらないよ……」


 だからこそ守りたい、大切な家族を。そうして戦う覚悟を決めたのだ。

 そう心の中で意気込む卓也と違い、千夏は暗く俯く。


「黄川田さんはあんまり上手くいってないのか?」


「ん~。両親はともかく、お姉ちゃんがね。私が……恐いって」


「恐い……か」


 解らなくはない。例え肉親であろうと、異形となってしまい嫌悪する者もいるだろう。そう考えれば自分は幸運な方だ。

 だがそれだからこそ余計に、彼女へどう声を掛けてあげれば良いか解らなかった。


「……うーん、その、何と言えば良いか。ごめん、俺にはどうしてあげられるか解からない」


「気にしないで。お姉ちゃんとはもっと話し合って……解ってもらえるようにするよ」


 苦々しい笑みを向けられ、何とも言えない申し訳なさに心が揺さぶられる。

 しかし千夏は気にしていないように話し続けた。


「あと、もう一つ聞きたいんだけど……藤岡君は初めて変身した時、どんな感じだった?」


「う…………」


 卓也はおもいっきり顔をしかめる。あの日の夜、偶然美咲に遭遇してしまい、危うく殺されそうになったのだ。

 当然事情を知っている今は彼女を批難は出来ない。美咲はあくまでキャリアーの対処の為に行ったのだ。それを否定するのは間違いだろう。


「まあ……実は高岩と遭遇してさ。ちょっとモメたからかな。かなり混乱して感想とか無いかな」


「高岩さんと?」


「ああ。あの時は普通のキャリアーって思われてたからな、斬り掛かられて本気で命の危機を感じたよ。まっ、仕方ない事なんだけどな」


「そうだったんだ。大変だったね」


 二人は笑みを浮かべるが、卓也としては笑い事ではなかった。何せ命懸けの状況だったからだ。

 だが千夏は表情を曇らせる。


「……私はね、楽しかったの」


「楽しかった?」


「うん……」


 重苦しそうに小さく頷く。


「キャリアーだよね? あれに会って、変身して、何でかわからないけど私は戦えた。そしてそれが楽しいって感じたの」


 眺める自分の手は微かに震えている。


「意識はあった、だけど頭の中がハイになったみたいで。……そう、まるでゲームのキャラクターを動かしているような感覚だった」


 声も暗く苦しそうだ。そこから彼女の怖れが痛いくらいに伝わってくる。


「病院でもそう。飛ぶのが楽しくて、感じた事の無い力が漲るのが……快感だった。ねえ、私っておかしくなってるのかな? お姉ちゃんも、そういう所が恐いって」


 不安に押し潰され俯く千夏。その隣で卓也は自嘲するように笑いながら答える。


「おかしくはないよ。ようはどう付き合っていくかだからだ」


「え?」


 驚いたように千夏は卓也を見上げた。

 彼の思い出も決して良いものではない。あの時の事は黒歴史と言えるレベルだ。


「俺もさ、ベクターと初めて戦った時、自分が本物のヒーローみたいだって舞い上がってさ。病気とも知らずに、ただ悪い怪人を倒したって子供みたいにはしゃいでさ。黄川田さんと変わんないさ。でも気付いたんだよ、この世界にはとんでもない危険がある事に」


「そうなんだ……」


「で、俺は気付いたんだ。この病気と戦う力が俺にはあるんだ。家族や友達を守る事が出来るんだって」


 拳を握り千夏の方を振り向く。


「始めは上手くいかないかもしれないけど、黄川田さんはこれから向き合っていけば良いんだよ。飛べて興奮するのだって解るし、お姉さんもさ……家族なんだから」


「…………そうだね」


 楽観的で根拠も無い。ただ家族の繋がりに縋るだけ。それでも何もせず俯いているのりマシだ。


「なんか偉そうな事言ってごめん。俺もけっこうがむしゃらにやってるから、何と言うか……」


「大丈夫。ありがとう」


 少しだけ、彼女の表情に笑顔が戻る。その様子に卓也もホッとした。


「ねえ、これからも相談してもいい? 同じ病気のよしみでさ」


「勿論、俺なんかで良ければ」



 そう笑い合う二人を遠目に見る二つの人影があった。一馬と二葉だ。


「なんか珍しいね、卓也と千夏ちゃんって。二人でいるなんて初めて見た」


「そうだな」


 物珍しそうに眺める二葉と違い、一馬はあまり興味がなさそうだ。そんな兄の態度にムッとする。


「あっれぇ~そんなんで良いの? 千夏ちゃん、けっこうタイプなんじゃない?」


「ハァ!?」


 想定外の台詞に、驚き声が裏返る。慌てる一馬の姿に二葉はニヤついていた。

 その時、二人の間に誰かが割り込む。


「へぇ、井上君って黄川田さんみたいな娘がタイプなんだ」


 美咲だった。


「うお!?」


「美咲ちゃん?」


 いつの間にか二人に気付かれず、気配も音も無く忍び寄る彼女に驚く。


「びっくりしたー。もう、驚かせないでよ」


「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんだけどね。けどまぁ……」


 百八十はあろう高身長なせいか、ほぼ真上になるような角度で美咲は一馬を見上げる。


「意外ね。勝手なんだけど、井上君ってもっとこう……黄川田さんとは真逆な人がってイメージがあったし」


「美咲ちゃんにはそう見えていたんだ。まっ、正確にはちっちゃい子が好きなの」


 二葉の言葉で美咲は前髪と眼鏡で見えにくくても解るレベルで顔をしかめる。

 確かに千夏は小柄で年下にも見える。ちっちゃいの範囲がどの程度なのかは知らないが、少しばかり一馬に不信感を感じた。


「あの…………異性の好みは人それぞれだけど、犯罪には走らないでね」


「ちょっと待った。誤解だし二葉もそんな言い方するなよ。いや、本当に高岩さんが想像しているようなのじゃないから」


 焦りながら一瞬二葉を睨む。二葉は相変わらずニヤニヤと笑ったままだ。そんな姿に一馬はため息をつく。


「あくまで俺は小柄な子がタイプなだけで、別に犯罪的な意味は無い。それに理由だってある」


「理由?」


「そう。一言で言うなら二葉のせいなんだ」


 一馬が二葉を指差し、彼女も笑いながら頭を掻く。美咲はそんな二人の様子を観察する。

 何故彼女がと疑問に感じたが、二葉を足元から頭まで眺めると理解した。


「成る程。妹が長身だから、逆に小柄な人がって事ね」


「そうなんだよ」


 二葉は美咲よりも背が高い。それ所か女性としては長身の方に分類されるだろう。

 親族と違うタイプの異性が魅力的となるのは不思議ではない。


「うち、父さんの方がでかい家系でさ、伯母さんや従姉妹もでかくてね。どうも背が高いと異性として見られなくて……」


「親族に似た人に惹かれる人もいるけど、井上君は逆って事ね」


「そうなんだよ」


 納得だ。千夏は小柄だし、その理屈なら好みと二葉が言っても間違いではないだろう。


「となると、これは二葉が悪いね。誤解するわよ、あんな言い方」


「アハハハ。ごめんごめん」


 相変わらず笑う二葉に一馬と美咲は苦笑いを浮かべる。悪意はなく、ちょっとした悪戯のつもりだったのだろう。それが解っているせいか呆れるしかく、軽く受け流すしかない。


「と、そうなると美咲ちゃんもどう? うちの兄貴はお買い得だよ。顔も頭も性格イケメンだし、妹フィルター通してもかなり素敵だと思うけど」


「お前は今度は何を言い出すんだ。ごめん高岩さん、聞き流してくれ」


 美咲は少し驚いたように眉を動かすが、表情は変えずに一馬を横目で見る。


「えー。美咲ちゃんは一馬の射程外?」


「そういう問題じゃないだろ」


「まあまあ、兄妹喧嘩しないで。確かに井上君は格好いいとは思うけど……。そもそも私は恋愛とか興味無いし」


 美咲は直ぐに笑みを顔に貼り付ける。

 そう、彼女にそんな余裕は無い。常に命の危機に晒される仕事、グローバーとして戦う美咲に恋色沙汰は無用だ。

 己の人生を賭けてでも為さねば成らない理由がある。最後まで諦めず、必ずヴィラン・シンドロームを滅ぼさねばならない。


 例え普通の少女としての人生を捨ててでも。

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