第40話 解離する普通

 日の光が街を照らす中、卓也は一人で走っている。とても気分が良い。身体を動かしている間は余計な事を考えずにすみ、日光は浴びれば浴びる程力が沸いてくる。

 真夏の炎天下、そんな所で走ったらさぞ気持ちよかろうと、少々危険な思想が頭を過る。

 本来なら熱中症を危惧し控えるべきだろう。だが今の卓也は人間と植物の中間のような存在。日光は彼にとって食事のようなものだ。何も問題は無い。

 問題が無い事が一番の問題だと忘れているが……。


 日曜日なだけあって、街は賑やかだった。車が走り、人々が行き交うコンクリートジャングル。そんないつもの光景に若干の嫌悪感を感じながらも卓也は走り続ける。

 アスファルトよりも土、電柱よりも木。自然が心地好く、人工物を嫌う。人の心が嫌悪感を中和しているのか、今の所は生活に支障が出るレベルではない。

 恐らく自分の身体、キャリアーの人間に強い敵意を抱く性質が原因かもしれない。否、もしかしたら植物だから、人工物を毛嫌いしているのだろうか。

 卓也は走りながらも自らの肉体に悪態をつく。


(こんなの考えてたら母さん達に顔向けできないだろ。信じてくれたのに……)


 幸いな事にこの感情は初めて感じた時から変化は無く、強くも弱くもならない。精々食べ物の好き嫌いと同等ですんでいる。だが、もしこの気持ちが大きくなれば……それが不安だった。


「ああ、くそ! 余計な事を考えるな俺!」


 首を振り雑念を振り払い、走るスピードを上げる。風が頬を撫でる感触が心地好い。

 無心になって走る。身体を思いっきり動かす。キャリアーとなってもこの爽快感は変わらない。

 人とすれ違い、建物の間を抜けら民家の横を通りすぎる。足を進める度に景色は移り変わり、街は万華鏡のように姿を変化させてゆく。

 この道を何回走っただろうか。時が進むに連れ、街は何度もその姿を変えた。建物が消えては建てられ、新しい物が次々と造られる。そんな街の変化をずっと見てきた。

 その中でも自分が一番変わってしまったかもしれない。勿論皮肉だ。


 以前ならばそろそろ息が上がり、一旦水分補給の為に立ち止まる頃だろう。だが卓也はまだまだ余裕だ。

 体力の成長が、と考えれば喜ばしい事だろう。しかし現実は違う。どう考えてもキャリアー化が原因だろう。

 正直、こんな変化は願い下げだ。もっと自分の努力で自身を高めたいと思うだろう。

 ただ、今はそれを忘れて走る事に集中しよう。考えれば考える程心が押し潰されてしまうから。


 住宅街を抜けると急に空気が冷え、湿った風が流れる。川原にたどり着いたのだ。

 土手を越え、川岸まで降りて走る。土の上を走るのは街中よりも気分が良い。

 やがて川を跨ぐ大きな橋が見えた。橋の上では車が行き交い、その震動が橋を小刻みに震わせている。


「ん?」


 その橋の下、影の中に一つの人影があった。後ろ姿だったが、その三つ編みの髪と小柄な体格に見覚えがある。


「あれ…………もしかして黄川田さんかな?」


 先日転校してきたクラスメート、黄川田千夏のようだ。彼女もこの街、井上兄妹と同じマンションに住んでいるのだから、ここで見かけても不思議ではない。

 千夏は上を向き何かをつまみ上げるような仕草をしているが、遠目では何をしているのか詳しくはわからない。

 どうせ通り道だ。クラスメートを見かけたのだから軽く挨拶くらいしておこう、と考え千夏に近づく。


「黄川田さん」


「!」


 背後から急に声をかけたせいか驚いたように身体を震わせ、少女はゆっくりとこちらに振り向く。

 間違いない、千夏だった。人違いではない事に卓也は安堵する。


(ん?)


 そして千夏の顔を見ると、彼女の様子がおかしい事に気付く。頬を大きく膨らませ、慌てたように目が泳いでいる。

 卓也はその閉じた口にピンときた。


「あー、もしかして食事中だったかな?」


「…………!」


 千夏は大袈裟に首を縦に振る。

 口の中に物が入っている、だから頬が膨らんでいるのだろう。やはりなと卓也は一瞬納得しかける。


(…………ちょっとまてよ?)


 何故だろう、その答えに違和感があった。何かおかしい、そう心の片隅で囁きが聞こえる。歯車が噛み合っていないような、奇妙なチグハグさを感じた。

 卓也は千夏の姿を落ち着いて調べると、その違和感の正体は直ぐに解った。

 彼女の持ち物だ。

 千夏の持ち物はたった一つ。細かく刻んだ新聞紙が敷き詰められた小さなプラスチックケース。虫のような小さな生き物の飼育に使うような代物。

 そう、それだけなのだ。何か食べていたのなら、その包みといったゴミがあるだろう。勿論その辺に投げ捨てた形跡も無い。

 そして何より、彼女は口を動かさずにいるのだ。普通なら急いで咀嚼して飲み込み、挨拶を返すのが礼儀だろう。

 食事をしていた、と言うには不可思議な荷物。卓也には解らなかったが、その違和感、不信感に脳が警告を鳴らす。

 卓也の目付きが険しくなる。


「黄川田さん……何をしてるの?」


 少しだけ圧をかけるように声を低くする。端から見れば女の子を威圧しているようにも見えるだろう。

 だが、この世界の裏を知る卓也は彼女の違和感に警戒し。千夏も卓也の圧に冷や汗が頬を伝う。

 その時だ。


「あ……」


 千夏の頬の中で何かがうごめき、口をこじ開けそこから顔を出す。


(は……ハムスター?)


 一匹のハムスターだ。何故そんな物が彼女の口の中に? 手に持っているケースの中にいるのなら納得できる。少女とハムスターだなんて絵になるだろう。

 しかし卓也は気付いた。そのハムスターのつぶらな瞳、その目は訴えていた。助けてと。喰われる。その恐怖と生への執着心が痛い程に伝わってくる。


「ん!」


 口から何が出ているか。それに気付いた千夏の行動は速い。急いで口の中に押し込み、そのハムスターを一気に

 卓也は我が目を疑う。クラスメートの少女がハムスターを丸飲みにした、そんな衝撃的な光景を目にしたのだ。

 だがこれが疑念を確信に変える。


「えっとね、藤岡君……これは、その……」


「なあ、黄川田さん」


「?」


 卓也の拳が握られ構える。一歩でも動けば即座に殴り掛かる体制だ。


「一馬と二葉には手を出してないだろうな」


「井上さん達が? 何の事?」


 慌てているのか息が荒く声も裏返っている。自分が何を口にしていたのか、見られて焦るのは当たり前。

 そして卓也も内心穏やかではない。千夏に近い井上兄妹が襲われていないか、感染していないか。想像するだけで心臓が握り潰されそうだ。


「……まっ、唾着ければわかるしな。それよりも」


 鋭く、刺し貫くような目で千夏を睨む。


「俺が化け物に見えるんじゃないか? 遠慮はいらないぞ。こい……!」


 キャリアーなら抗体を持つ卓也は純然たる敵、生理的嫌悪感すら感じさせる悪魔なのだ。本来なら今直ぐにでも殺したいはずだろう。


(ハムスターとかネズミ喰うのは……またネコか? キツネみたいな小型肉食動物だろうな)


 構えつつ何時でも変身できるように臨戦態勢となる。だがそんな殺気立つ卓也と違い、千夏は慌てたままだ。


「だから何なの、何を言ってるの? その、さっきのは誤解と言うか何と言うか……だから落ち着いて話そうよ」


「?」


 おかしい。何故か敵意が見えない。キャリアーなら自分を消したいはずなのに。そんな疑問が頭を過る。

 だがハムスターを丸飲みするだなんて人間の所業じゃない。その一点が卓也は千夏がキャリアーと確信させている。


「まあいい。転校してきたばかりで悪いけど、ここで終わらせる」


 変身しようと全身に力を込める、その瞬間。


「そうだな。ここで死んでもらいたいね」

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