第41話 鼻、殻、翼
卓也の背後から声が聞こえた。振り向くと眼鏡をかけた神経質そうな男が一人、こちらに歩いて来る。
彼はまず千夏、そして卓也を順に見る。
「少し盗み聞きさせてもらったが、どうやら君だね。噂の抗体持ちは」
「こいつ……」
眼鏡をいじりながら睨む視線に卓也はゾッとする。
抗体、その一言で察した。この男はヴィラン・シンドロームについて知識があると。
卓也は身構えるも、それだけでは終わらない。
「って事はさ、このチビは覚醒したての野良か。キモヲタも少しはやるじゃん」
「……フン」
今度は千夏の後ろから二人の男が姿を現す。中学生くらいの少年とオタクファッションの青年二人組。
青年は無表情だが少年は千夏の方を見ながら舌舐りをした。
「やりぃ。じゃあ俺が、あの女やるよ。生身のグローバーなら嬲り殺しし放題だからね。女の悲鳴も最高だし」
卓也の額から冷や汗が流れる。グローバー、抗体、この病を知るキャリアー達の存在に驚いた。
以前戦ったコウモリ型キャリアー、松田のようなキャリアーは珍しく、己が病気だと知らない個体が大半だと聞いている。
だからこそ嫌な予感がする。もしかしてこの病を知る医療関係者から出たのか、キャリアーに味方をする者がいたのか。そんな不安が頭の片隅に浮かぶ。
「冗談きついっての。けど……やんなきゃな」
三体もキャリアーが出現し焦る卓也。だが彼らの言葉に一つ疑問が生じる。
なぜ黄川田千夏にも敵意を向けている?
卓也は千夏がキャリアーだと思っている。しかしあの少年は千夏に狙いを定め、明確な殺意を発言しているのだ。
もしかしたらあのハムスターは幻覚だったのか、それとも千夏が飛び抜けた変人だったのか。
残念ながら、それを考える時間は無い。今はただ目の前の敵に集中しなければいけないのだ。
圧倒的不利な状況だが逃げる訳にはいかない。ここで倒さなければ、また新たな感染者が増えてしまう。
「やる気があるのは大いに結構。殺し合いなんだ……」
眼鏡の男の口から泡が溢れる。それは彼の身体を瞬時に包み、大きな球体を形成する。
「卑怯だと文句を言うなよ? ルールは存在しないのだからな」
泡が弾け飛び、その中から一体のキャリアーが姿を見せた。
紅白の甲殻、右腕の大きな鋏、キャリアー特有の髑髏のような口元。カニ型キャリアーだ。
「ヒッ……」
千夏が後ろで小さな悲鳴を漏らす。
卓也が振り向くと、もう二人の男達もキャリアーの姿に変身していた。
オタク風の男は二メートルはあろう大柄な体格と脂ぎっただらしない腹、蹄型の手甲を装備したブタ型キャリアーに。中学生の少年は…………何なのだろうか。見覚えの無い生き物となっていた。
背中からはコウモリのような皮膜の翼が、両腕には長い嘴が突撃槍のように伸び、頭には後ろ向きに長いトサカが生えている。
しかし落ち着いて彼の姿を見ると、とある生物を思い出した。
プテラノドン。
かつてこの地上に生息していた翼竜。何億年も前に滅んだ生物のキャリアーだ。
こんなキャリアーもいるのかと驚いて思考が一瞬停止してしまう。
「はっはぁ!」
卓也が立ち止まった瞬間を狙い、翼を広げこちらに飛んで来る。当然避けようとするが、彼は卓也を素通りし川の方へと飛んで行ってしまった。
何をしたのかと疑問が過るが、彼の狙いが千夏だった事を思い出す。
「黄川田さん!?」
彼は千夏を拐って行った。川を渡り、向こう岸へと飛んで行く。卓也は追い掛ける事も出来ず、ただ小さくなる千夏を見るしかなかった。
襲われる千夏、彼女の奇行。何故こんな事になっているのか、混乱しそうな頭が強引に現実へと引き戻される。
「っ!」
目の前に迫る赤い鋏。カニ型キャリアーの一撃がすぐそこにあった。
咄嗟に身を逸らし避けるものの、頬を掠り皮膚を浅く切る。幸い血が流れるよりも早く再生能力が傷口を塞ぎ、跡形も無く消えた。
「危……」
間一髪。あと一瞬遅ければ鋏に頭を貫かれていただろう。ただ、それだけでは終わらなかった。
「フン!」
続けて振り下ろされた拳。もう一体の怪人、ブタ型キャリアーが殴りかかる。
「ちょ……」
拳を潜るように避け、その脇を通り抜けるように走る。そして数メートル距離を離し振り向いた。挟み撃ちにされては危ない。二体とも視界に入るよう立ち回る。
緊張感に息が上がり、額には冷や汗が伝う。
(二対一か。不利だろうとやるしかないか)
カニ型キャリアーが一歩前に立ち、卓也の方へとにじり寄る。二体ともガタイが良いせいか、妙な威圧感があった。
それでも怖じ気づいたりはしない。自分よりもデカかろうが、彼は怯みはしない。
「アク……」
変身しようと身体に力を込めたその時、卓也の背後から何かが飛来する。
「ブフっ!?」
その何かはカニ型キャリアーの顔面に直撃した。それは一瞬顔面に貼り付くが、すぐに地面に落ちてしまう。
茶色と白の物体、プラスチックのお碗に食欲を誘う醤油の匂い。
カニ型キャリアーは驚き顔にへばり付いたモノを拭い落とす。
「な、何だこれは? 牛丼?」
投げつけられたのは牛丼だった。よく見ると、お碗には近所の牛丼チェーン店のロゴが描かれている。
何故こんな物が? その疑問に答えるように背後から声が聞こえた。
「お昼台無しだけど、取り敢えず無事そうね」
振り向いた先には美咲がいた。ジーンズによれたシャツと、外出と言うより近所のコンビニに立ち寄るようなラフな格好だった。
彼女は空のビニール袋を投げ捨て、左腕に機械の腕輪を取り付ける。
「高岩! どうしてここに?」
「説明は後でする。とにかく今はキャリアーの処理をしましょ」
そしてジーンズのポケットから注射器を取り出した。自身の抗体を活性化させ、グローバーの装備、アサルト・キュアを使用する為の薬だ。
「……そうだな。向こう岸に拐われた黄川田さんも助けないといけないし」
千夏の名が出た瞬間、美咲は驚く。彼女がいた事は知らなかったようだ。
「は? 何で黄川田さんが?」
「さあな。こっちも知りたいよ」
卓也も理解しきれていないのだ。説明なんて無理に決まっている。
「ああ、もう! つまりキャリアーは三体、速攻で片付けないとヤバいって事ね」
彼女の表情は前髪に隠れて読めないが、少なくとも焦りが声色から見える。
「まあ……そういう事かな」
卓也もいまいち状況、特に千夏の事が不鮮明で理解しきれていない。しかし目の前の敵を優先するべきだ。
美咲は注射器を腕輪に刺し、卓也は両腕を交差させ、二人は同時に叫ぶ。
「「
ヴィラン・シンドロームと戦う誓い、己の身を薬とし病を滅ぼす意思の宣言。
地面から伸びた蔦が卓也の身体を球状に包み、美咲の左手を中心に彼女を囲むように赤い光の輪が広がる。卓也を包む球体が弾け、琥珀色の目をした木人間、キャリアーの姿に変身。美咲も集まった光が装甲を形成、白いコートた赤い鎧、アサルト・キュアに身を包んだ。
「うっし」
「さてと……」
状況は変わり、二対二。少なくも数は対等だ。
お互いが睨み合い、一歩でも動けば爆発する。そんな緊迫した空気が流れる。
卓也は拳を握り、美咲は腰の刀に手を伸ばす。
「「治療開始」」
二人の言葉が火蓋を切った。
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