第36話 人間ではないのなら

 ある日の夕方。美咲は一人で病院の地下、その廊下を歩いていた。彼女はジャージ姿で、流れる汗を拭きながら乱れた息を調えている。

 学業だけではなく、日々の鍛練は欠かせない。キャリアーに勝つ為、その脅威から人々を守る為には己の技を、戦う術を磨かねばならないのだ。

 いくら抗体により優れた身体能力や必殺の猛毒を持ち、更にアサルト・キュアのような強力な武具を有していても、油断して良い相手ではない。

 基本的にグローバーよりキャリアーの方が戦闘能力は上。その為アサルト・キュアを持たない、覚醒したばかりのグローバーは太刀打ち出来ず、辛うじて逃げられるかどうかだ。

 だが彼女達にはキャリアーに勝る武器がある。

 人類が発展させた武術、戦術、それらを獲得出来る教育環境。抗体とそれを応用する為に開発されたアサルト・キュア。それらを全て組み合わせる事でグローバーはキャリアーに勝る力を、人類がヴィラン・シンドロームと戦える力を得られたのだ。

 実際、ベクターは只の獣でキャリアーは力を得ただけの一般人。鍛え上げられた技と装備、組織のバックアップがある美咲のようなグローバーなら、単純なスペックの差を覆すのも簡単。

 自分達は負けられない。グローバーが倒れれば誰かが傷付く。この病に勝つ為、美咲も毎日のトレーニングは欠かせない。


 そんな彼女も一人の人間だ。トレーニングを終え汗を流し、失った水分を身体は求めている。


(スポーツドリンク……いや、夕飯前だしミネラルウォーターにしておこう)


 その角を曲がった先、職員用の休憩スペースがある。そこの自販機で買って部屋に戻ろうと足を進めた。

 その時、不意に聞こえた声に歩みを止める。


「全く、院長もなんであんな化け物を置いておくんだか。いくら抗体を持っているからって…………俺には理解し難い」


「落ち着きなよ。少なくとも彼は貴重なサンプルかつ戦力だ。僕はこの判断を支持するね」


 男性職員達が話しをしている。卓也の事で揉めているようだ。

 影から少しだけ顔を出す。中年の男性が二人、頭髪の薄い細身の男性と太った男性がいる。


「ふん。価値の有無じゃない。安全面の、あんな化け物がその辺をうろついているのが嫌なんだ。人形の木だなんて、ファンタジーだけにしてほしいもんだ」


 どうやら細身の男性が卓也を嫌悪しているようだ。彼の声色には怒りと怯えが見え隠れしている。


「だけど、ヴィラン・シンドロームの研究に彼は必要だ。それに万が一の時の為に高岩君がいるじゃないか。あんな頑張ってる娘そういないぞ。うちの娘も見習って貰いたいもんだ」


 卓也を庇護しているようにも聞こえるが、彼は卓也を人として見ておらずあくまでサンプルとして扱っている。どちらが良いかは美咲には判断出来ないが、あまり良い気分ではない。

 だが細身の男性は彼の言葉に耳を傾けず、美咲にも敵意を向けてきた。


「俺からしたら高岩も化け物だよ」


「…………っ」


 美咲の表情が曇る。心が、心臓が締め上げられるような気分だ。


「十六、七の小娘が刀を振り回して化け物をぶった切る。そんでドロドロに溶かしちまうんだぞ。普通じゃねぇよ……」


 彼の言葉が美咲の胸に突き刺さる。

 確かにグローバーは普通の人間とは言い難い。キャリアーと同じく人間ではないと考える人も少なくはなかった。

 だが彼を非難する事はしない。逆の立場なら自分も同じ可能性があるからだ。

 そんな彼を太った男性は落ち着かせようとする。


「そう言うな。彼女のおかげでどれだけの人が助かったと思ってるんだ。先月の二体のキャリアーだって、あのまま潜伏されたら感染者はもっと増えたぞ」


「…………わかってるよ。けどな……」


 男性は顔をしかめながら椅子に座る。


「怖いんだ。電車に乗ってたら隣にいるやつが、立ちよったコンビニの店員が……。見た目だけじゃわからないからな。もしかしたらと思うと……な」


 見えないからこそ恐ろしい。自分以外の全てが疑わしく思ってしまうのは、この病を知る者だからこその恐怖だろう。

 人間と変わらない姿で、今までと同じ生活をしている。しかしその中身は別物。文字通り、人の皮を被った化け物なのだ。そんな存在がいると知れば、周りを疑うのも無理はない。


「ああ、わかるよ。だけどね、僕達がこの病と戦わなければならない、他の人達にそんな怖い想いをさせてはいけない。だからこそ……」


「発症者処理戦力としてのグローバー、研究資料としての木人間のガキが必要か。フン…………まあ、高岩のやつも、モルモットが暴れないよう見張ってくれてるだけありがたいか」


 そうぼやきながら缶コーヒーを一気に飲み干す。

 頭では解っている、だが心は別だ。この世界を知っていながら、力が無い存在である自分が恨めしい。そして無力だからこそキャリアーが恐ろしい。

 そんなもどかしさに押し潰されそうだ。

 グローバーを好意的に受け入れる人は多い。ウイルスに打ち勝ったキャリアーやベクターの天敵、人類の救世主と言ってる者もいる位だ。だが逆の考えを持つ者も当然いる。

 美咲はそれを悪いとは思っていない。人間は自分と異なる者を恐れる、それが強い存在なら尚更だ。心に痛みはあるが、ごく自然な反応とこちらも受け入れられる。


「…………部屋に帰ろ」


 美咲はそんな彼らの前に姿を現さぬよう、静かにその場から立ち去ろうとする。


「あっ……」


「………………よっ」


 振り向いた瞬間、その場に一人の少年がいる事に気付く。それは卓也だった。先程の会話を聞いていたのだろうか、少しばかり気まずそうに頭を掻いている。

 美咲は一瞬頭が白くなるが、直ぐに状況を把握する。


「……こっち。静かにね」


 この場にいるのは精神衛生に良くない。美咲は小声で手招きし歩き出す。


「え、あ……おう」


 思わず狼狽するが、美咲の後を足音を立てぬように続く。


 どれだけ歩いただろうか。実際の時間は数分たらずだが、非常に長く卓也は感じた。先程の事もあるせいか、やたらと空気が重い。それもまた道が長く感じる原因だろう。

 そしていつも卓也が訪れる検査室から離れた地下施設の一角。場所としては隅の方だろう、人気の無い廊下にある部屋の前まで連れて来られた。

 美咲がドアの隣に設置された機械にカードをかざすと、ピッと小さな電子音が鳴りドアが開く。


「入って」


「ああ……」


 中は少し殺風景な部屋だった。白い壁に小さな冷蔵庫クローゼット、勉強用らしき机とベッドに教科書が並べられた本棚が一つ。簡素で一人暮らしの若者……お金の無い大学生や新社会人の部屋のような私物の少ない部屋だった。

 ただ一点。部屋の壁に一枚だけ貼られた男性アイドルグループのポスターが、簡素な空気に似合わない異常な存在感を放っている。

 おそらくここが美咲の部屋なのだろう。


「ここ、高岩の部屋?」


「ええ。生憎、茶菓子とか無いからおもてなしもできないけど。ごめんなさい、他に人が来たの久しぶりだから」


「気にしないでくれ。だいたい、俺菓子とかあんま食えないから」


「……それもそうだったね」


 植物だからだろうか、卓也はキャリアーとなってから物を食べなくなった。学校でも形だけ何かを食べるが、最近は水分しか口にしていない。その事は美咲も知っている。


(…………しっかしなぁ)


 卓也はもう一度部屋を見回す。まさか美咲の部屋に足を踏み入れる機会が来るなんて、全く予想していなかった。


「何? 女の子の部屋がそんなに珍しいの?」


 美咲は部屋の隅に転がる座布団を拾っていたが、意外そうに一瞬手を止める。


「珍しいね。井上家に行った時、二葉の部屋を少し見たくらいしか経験無いし」


「そう……まあ、取り敢えず……」


 美咲は座布団を並べると軽く咳払いをし卓也の方に真っ直ぐ振り向く。


「ようこそ、私の部屋へ」

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