第31話 狩人の日々

 とある日曜日の昼間。高く登った日の下で一組の若い男女がドライブを楽しんでいた。開いた窓から風が流れ込み、ゆったりと車を走らせながら街を歩く人々とすれ違う。

 女性は窓の外を眺めながら運転する男性に話し掛ける。


「ねえ、この後何処に行く?」


「そうだな。ちょっと早いけど、夕飯の買い物でもすしないか? 今夜は手料理だと嬉しいんだが」


「オッケー、任せて」


 他愛ない二人の会話。しかしデートを楽しむ彼らの間に何かが割り込む。


「!?」


 天井が凹みそうな、何かが落ちて来たような重々しい衝撃が車内に響く。


「何? 何なの?」


「カラスでも墜落したか? 勘弁してくれよ……」


 慌てふためく女性と違い、男性は少し冷静だ。だがその口調に苛立ちが見え、車も止まらず走り続けていた。


「よく落ち着いていられるわね」


「ああ。ガキの頃、似たような事があってな。ハトが天井に落ちてきて、血やら何やらで大変な事になったんだよ。汚れるわ傷が付くわでさ」


「…………そう、なんだ……」


「帰ったら掃除して、そんで傷があったら……ああ、面倒くせぇ」


 ぼやく男性と違い、いまいち釈然としない様子で女性は天井を見上げる。

 本当に鳥なのだろうか。それにしては衝撃が強過ぎる。もっと大きな、例えば人が落ちてきたような響きだと感じていた。

 女性はそっとサイドミラーに視線を移す。だがそこには何も不自然な点は無かった。

 この車が走ってきた道に異変は無い。空いているせいか、後ろに車の姿も見えなかった。


(……考え過ぎか)


 胸を撫で下ろし背もたれに身体を預けた。

 もし人のような大きさなら、走っている車にぶつかり下に転がり落ちているだろう。女性は気の迷いだと自分に言い聞かせる。

 ビルに遮断されていた日の光が右から入り、車の影が伸びる。その影が目に入った瞬間、女性は我が目を疑った。


「え?」


 自分達の乗る車の影に人影が重なっている。車の天井にしがみつく何者かの姿があったのだ。

 彼女の予想は当たっていた。だがそれは人間とは違う存在だ。車にしがみついていたのは白い毛並みのネコ。人間と同等の大きさのネコだ。

 ネコ型キャリアー。人の敵である怪人、キャリアーが乗っていたのだ。


「と、止めて!」


「は? え?」


 男性は思わず急停止させ、車体が大きく揺れる。物理法則……慣性の法則に従い二人は前に吹き飛ばされそうになるが、シートベルトが押さえ守った。

 そしてその力は上にいたキャリアーにも掛かる。

 だが彼女は耐えた。爪を車体に引っ掛け、全身を投げ出されそうな力に抗いしっかりとしがみつく。


「チッ……使えないなぁ」


 停車した車を見切り、キャリアーは飛び下りる。白い毛皮の背を見せ付けるように二本の足で着地し、背後の車……その中の二人を一睨みすると何処かへと四足歩行で走って行く。

 彼女の脇腹は緑色に変色し、そこから垂れた粘液が足跡のように残されていた。


「あれ、何なのよ……」


 女性は呆気にとられ呆然としていた。それは隣にいる男性もだ。

 だが二人の意識が現実に引き戻されるよりも先に、背後から走って来た影が更に混乱させた。


「この、待ちやがれ!」


 ネコを追い掛けるのは主婦とは限らない。

 風になびくマフラーのように生えた大きな葉。髑髏頭の木製人形にも見える植物怪人、藤岡卓也が走り去る。


「…………なぁ、俺達何を見ていたんだ?」


「さあ?」


 二人はただ目の前に起きた出来事に首を傾げるしかなかった。見た事も無い存在、理解の外にいる者。その姿が現実ではないと脳が否定していた。

 そして二人は後ろから来た車のクラクションが鳴るまで、思考を停止させていたのだ。





 一方ネコ型キャリアーを追う植物怪人、卓也は息を切らしながらも必死に走っていた。周りの人々は何事かと振り向き、その奇異の視線が息苦しい。


(あークソッ! やっぱすばしっこい奴は面倒だな。けど……)


 身軽なネコなだけあって逃げ足は速い。卓也には簡単に捕らえられない相手だ。

 しかし……


「逃がさないっての!」


「っ!」


 逃げるのは生物の基本的な防衛手段だ。いくら身体能力が常人より高くとも、相手の方が足は速い。

 だがチャンスはある。

 少し前に入れた一撃。仕止め損ねてしまったが、彼女の脇腹に撃ち込んだ抗体が確実に蝕んでいるのだ。


「しつこい男ね! キモいだけじゃなくてストーカーだっただなんて」


 逃げるキャリアー、追う卓也。彼に生理的嫌悪感を感じるせいか、彼女は忌々しそうにするも逃げる足を止めない。

 当然卓也もその位で諦めるなんてあり得なかった。


「誰がストーカーだ! そもそもお前から襲って来たんだろ!」


「あんたがキモいのが悪いでしょうが!」


 若干卓也も苛立ち、握る拳に力が入る。

 それは十数分前の出来事だ。本を買いに出掛けていた卓也を奇襲してきた。返り討ちにしたものの仕止め損ねたせいで逃走を許し、今の鬼ごっこ状態になってしまったのだ。


(やれやれ。仕方ないとはいえ、油断出来ないな)


 キャリアーは本能的に抗体を持つ者、グローバーや卓也を敵視し強い嫌悪感を抱いている。ただ偶然街中ですれ違った者に殺意を感じる程に。

 折角の日曜日を潰された事もあり、全力で追う卓也は少しずつ距離を積めてくる。無論キャリアーも捕まるものかと逃げる。

 電柱をよじ登り、民家の屋根を伝い走る。


「ったく……。まあ、飛ばれるよりかはマシか」


 腕から蔦を伸ばし、身体を手繰り寄せるように屋根へと飛び乗る。屋根から屋根へと跳ぶ姿を睨み、急いで走り出した。


「逃がさない。感染を広げる前に止めないと」


 卓也も追い掛けるが、足場が悪く思ったより走り難い。その距離は少しずつ離されていく。

 半ばノリでよじ登ったが、屋根だなんて不安定な場所を走った経験なんて皆無だ。落ちないようにバランスを取るのに必死で思った以上にスピードが出ない。


(ヤバ。下から走った方が良かったか?)


 後悔しながら飛び下りようかと考えていると、キャリアーは先に下り近くの鉄の門を飛び越えた。

 そこは小学校だった。おそらく校内に侵入し、卓也を撒くつもりなのだろう。そうなれば追跡は困難だ。

 焦りに卓也の鼓動が早くなった時、予想外の幸運が舞い込んで来た。


「グッ!?」


 キャリアーが転んだのだ。抗体により崩壊した肉体の痛みに耐えきれず、バランスを崩し転倒してしまったのだ。


「しめた!」


 チャンスとばかりに卓也も学校に駆け付ける。門を飛び越え校庭に足を踏み入れた瞬間、卓也は驚き立ち止まってしまう。


「……まじか」


 校庭には二十人程の子供達が野球をしていたのだ。おそらく近所の少年野球のチームだろう。

 彼らは急な来訪者に気づき始め、次第に校庭が騒がしくなる。それもそのはず、いきなりネコと木の怪物が現れたのだ。驚かぬ者はそういないだろう。

 すぐ目の前に怪物がいれば……思考も停止するかもしれない。現に一人の少年がそうなっているのだから。


「あ…………う……」


「まずい……!」


 少年は何が起きたのか解らずに立ちすくみ、卓也は彼の所へと急ぐ。

 そんな少年を、キャリアーはゆっくりと立ち上がると睨み付ける。


「何見てんのよガキ」


 静かな怒気を孕んだ声。細く鋭い瞳が少年を見つめ、髑髏のような口から息が漏れる。

 肉食動物特有の獰猛な殺意、獲物を狙う視線に足がすくんで動けない。


「誰の許可で……見てんだよぉ!」


 キャリアーの本能が、人間に対する攻撃性が彼女を押し、少年に向けて伸ばした爪を振り下ろす。

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