第29話 次の患者へ

 翌日の夕方、卓也は病院の廊下を歩いていた。その一歩前には美咲の姿がある。二人とも学校帰りなのだろう、制服姿だ。

 卓也の顔色は決して良いものではない。少し影がありながらも、真っ直ぐと前を向いている。


「藤岡君は悪くないよ。松田君は…………」


「大丈夫」


 そんな卓也に気を遣ったのだろう。美咲が話し掛けるも卓也はそれを制止する。


「俺は後悔していない。命を奪った事に罪悪感が無いとは言えないけど、この病気の拡大をふせいで……家族や友達を守れたから」


「そう……」


 卓也の苦笑いに美咲も頬を緩める。


「高岩」


 足を止めて振り向く。


「何?」


「俺さ、これからも手伝っていいか?」


 真剣な眼差し。以前のような悩みや中途半端な気持ちは感じられない、強い意思を感じる。


「家族や友達だけじゃない。沢山の人がこの病気の危険と隣り合わせでなんだ。だから…………一人でも多くの人を守りたい」


「……そっか」


 卓也は答えが出たのだろう。心の底から告げられた本心だ。少しだけ、ほんの少しだけだが卓也が頼もしく見える。

 こういった真っ直ぐな気持ちは、美咲も嫌いじゃない。


(心配せずとも、なんか吹っ切れたみたいね)


 家族や友人、親しい人を守りたい。そう思うのは当然な事だ。こんな恐ろしい病が世界中に広がっているのを知れば。


「詳しい事は院長に相談ね。でも、私は心強い……ん?」


「何だ?」


 近くの部屋から男の怒鳴り声が聞こえた。その声に思わず足を止めてしまう。

 すると扉を勢い良く開け、細身の中年男性が姿を表す。更にその後ろを中年女性と中学生くらいの少年が続く。


「誰だあれ?」


 その三人に卓也は見覚えは無かった。服装から見て、少なくともこの病院のスタッフではない。


「ああ…………確か松田君のご家族ね」


「え?」


 心臓が大きく跳ねる。いくら事情があったとは言え、彼を殺めたのは自分だ。その責任、責められる事も覚悟している。それでもどう声を掛ければよいか解らず戸惑ってしまう。

 そうしていると部屋からもう一人白衣を着た男性が慌てた様子で出てきた。


「ちょっと待ってください松田さん。まだ検査が終わってないんですよ」


 この病院の医師であろう男性が必死に松田家の面々を引き止めようと腕を掴むが、松田の父は睨み付けながら腕を振りほどく。


「黙れ! 私の時間をこれ以上無駄に出来るか! 私と貴様の時間が同じ価値だと思ってるのか?」


「そうだよ。カス兄貴みたいに受験に失敗したらお前のせいだからな!」


 喚き散らす二人に黙り込む松田の母。その異様な姿に卓也と美咲は目が点になる。


「まったく、あのゴミはどれだけ面倒を掛けるんだ。死んでも私達の邪魔しかしないとはな。車にでも轢かれてれば慰謝料でプラスになったものの……」


 二人は耳を疑った。こんなの、実の父親が言う台詞ではない。不要な存在、あまつさえその死すら侮蔑しているのだ。

 軽くだが話しを聞いていた美咲も彼に怒りが込み上げてくる。


「しかも怪物になったせいで私達もこんな所に……。おい! お前があのクズを躾なかったせいだぞ!」


「…………」


 男は高圧的に叫び、その責任を自らの妻に押し付ける。その姿は松田と瓜二つだ。

 美咲の腕が震え、怒りに我慢が出来なかった。


「ちょっ!」


「……っ!」


 だが美咲よりも速く卓也が走る。


「っざけんな!」


「ぶっ!?」


 殴った。男の顔を全力で。

 男は殴られた勢いで回転しながら吹っ飛び、周りも何が起きたのか解らず目を白黒させている。


「怪物にしたのはお前だろ!」


 松田の性格には父が大きく関わっているのは確実で、彼の言動は驚く程松田と同じだ。子に愛情を持っていないのは誰の目にも明らか。

 もしかしたら違った未来があったかもしれない。あんな邪悪な怪物にならなかったかもしれない。

 勿論可能性の話しだ。ただの自己満足にも見える。

 しかし卓也は……美咲も彼の行いに黙ってられなかった。


「に、にゃんだきしゃまわ!」


 歯が欠け、痛そうに顔を押さえながら慌てふためく男に医師が駆け寄る。

 彼も状況を理解出来ずオロオロしていたが美咲に気付く。


「た、高岩か。ソレを速く持ってけ! 君の仕事だろ」


 美咲は一瞬ムッと顔をしかめるも、直ぐに卓也の肩を掴む。


「……行こう藤岡君。相手にしてると面倒になる」


「…………」


 美咲に連れられ急ぎ足でその場を立ち去る。背後では松田の父が何か騒いでいたが、卓也の耳には届いていない。


 そして少し歩いた先、自販機が置かれた休憩スペースで足を止める。彼らの姿はもう見えなかった。

 卓也は申し訳なさそうに頭を掻く。


「あー、すまん。ちょっと我慢出来なかった」


「気にしないで。もし藤岡君が何もしてなかったら、私が殴ってたし」


 美咲は卓也を責めはせず微笑む。彼女も同じ気持ちだったからだ。


「前にもそんな事なかったっけ?」


「そう? 取りあえずあのアホはほっときましょ」


 自販機のボタンを押しスマホを当てる。電子マネーを使ったのだろう、ピッと小さな電子音が鳴ると飲み物が落ちてくる。

 それを取り出すと卓也へと投げ付けた。


「奢り」


「あ、ありがと」


 投げられた缶コーヒーを軽く握る。もう一度自販機が鳴り、美咲は同じコーヒーを取り出した。

 彼女はそのまま飲み出すが、卓也は缶を開けずにいる。


「俺はあんな風にはならない。心まで同じになってたまるか」


 キャリアーとなった身体はもう人間ではない。姿は怪人であろうと、心だけは人であろうと呟く。

 その言葉は美咲の耳にも届いていた。


「…………大丈夫よ。藤岡君は」


「ありがとう。まあ、将来的には…………怪物やってるかもしれないけど」


「は?」


 卓也が何を言ってるのか解らず首を傾げる。ついさっき言っていた事と真逆なのだ。


「まずは怪人や怪獣とか、戦闘員とか。そこから下積みしないといけないし」


「…………なるほどね」


 彼が何を言いたいのか察し、美咲は小さく笑い出す。

 夢を捨てていない。諦めていない。その気持ちこそ、彼が本当の意味で人でまだある事を告げている。


「絶対元の身体に戻る。この病気、ヴィラン・シンドロームを治してな」


 コーヒーを開け一気に飲み干す。その味はいつもよりも苦いような気がした。

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