第28話 終末医療:後編
静かに、そして力強く呟くと同時に駆け出す。そのまま地を踏みしめ、拳を握り一直線に突き出した。
「せい!」
「ぐっ……」
繰り出された正拳突きを腕で防ぐものの、卓也の拳はズシリとした重さとスピードがある。
今まで受けていた不良達のモノとは違う、ただの力任せではない真っ直ぐで鍛えられた一撃に驚きを隠せない。
「嘗めるなよ……食われるだけの底辺、食物連鎖の最下位のくせに!」
卓也の腕を払い退け、両手の爪を伸ばし振り下ろす。
「シャアァァァ……っ!?」
しかし手首を掴まれ止められてしまう。抜け出そうともがくが微動だにしない。
身体能力はキャリアーとなり格段に上がっている。だが元々の身体能力、更に同じくキャリアーとなった卓也の方が上だった。
「悪いけど俺……」
「ヒッ……」
松田の腕を捻る。関節が外れそうな痛みに必死に抵抗するも、卓也はその手を決して離しはしなかった。
「鍛えてるからなっ!」
「ガ……」
空いた腹を蹴り飛ばす。肉を、内臓を伝う衝撃に身体の中身を吐き出しそうになる。そんな容赦ない一撃に数メートル吹き飛び地面を転がる。
松田は身体の内側から来る痛みに耐えながらも立ち、卓也を睨む。
当然卓也も追撃の手を休めはしまいと走るが、それよりも速く松田は腹の痛みを我慢し大きく息を吸い込む。
「来るなぁ!」
口から衝撃波を放つ。それは半ばヤケクソだったが、卓也の不意を突いた衝撃波は直撃し、そのまま地面に倒れそうになるが踏みとどまった。
「痛……」
顔にヒビが入る。血は流れずとも痛みは感じられた。顔だけでなく身体にも小さな亀裂が走り、皮膚が裂けるような感覚がある。
そんな傷もむずむずするような痒さと同時にゆっくりと再生してゆく。
「死ねぇ!!!」
松田も完全に回復するのを黙って見ている訳がない。再び息を吸い、衝撃波を連続で放つ。
一発目を側転で避け、通過した衝撃波が先にあるドラム缶を破壊。更に連射された衝撃波を連続でバク転し離れながら避け、地面に着弾する度に爆発音と土煙が立ち上る。
(クソっ、翼が無事なら大技でぶっ飛ばせるのに)
射つのを止めて忌々しそうに右腕、そこから広がる穴の空いた皮膜に目を向ける。
融解は止まっているものの、抗体の傷は治り難い。この翼では衝撃波の収束も、飛ぶ事も不可能だろう。
衝撃波が止まり、距離を離した卓也は両手を地面に着ける。
「次はこっちだ」
一本の蔦が地面から生え、それぞれが蛇のように動き松田に襲い掛かる。
勿論松田も抵抗した。
衝撃波一発で蔦は破壊。たかが蔦一本でと内心嘲笑っている。
「はっ! そんなんで……」
「囮だよ」
大したことないと笑った次の瞬間には卓也は目の前にいた。
蔦は囮、一瞬だけでも視線を逸らせれば卓也には十分だ。気付いた時にはもう遅い。拳は松田の顔面、人中を捉えていた。
「ぶふっ!?」
続けて顎、喉、心臓、鳩尾……正中線上の急所を連続で殴る。一撃一撃が意識を刈り取るような激痛となり松田を襲う。
父から教えられた決して攻撃してはいけない場所、禁じられていた人間の急所を正確に殴る。
魅せる為の拳、暴力として振るってはいけないと学んできた。しかし今の卓也に躊躇する気配は無い。傷付ける為の暴力であろうと、この病を、怪物となった松田を止める為に後悔は無い。
「せいっ!」
大きく身体を回転させ、頭に回し蹴りを直撃させる。その衝撃に脳が揺さぶられ、二三歩ふらつくと倒れ伏す。
「ば……馬鹿な……」
血を吐きながら立ち上ろうとするも、脳震盪のせいで身体のコントロールがきかない。吐き気と目眩に頭が正常に機能していなかった。
「………………」
無言で見下ろす卓也。その威圧感に僅かに残った意識が恐怖に塗り潰され、ドッと冷や汗が流れる。
キャリアーの生命力ですぐに身体が動き始めるが、力が上手く入らず尻餅をついたまま後退る。
「ま、待て、落ち着け。どうだ、僕と組まないか? 藤岡は腕っぷしは悪くないが頭は僕に劣るからな。僕が参謀になろう。貧弱な人間を僕らで支配してやろうじゃないか」
必死に命乞いをしようとしているのか、早口な上に身体が震えている。
そんな姿を見ても卓也は何も言わない。ただ拳を握り構える。
「そ、そうだ! 降参する。僕の死は世界的損失だからな。な? もう何もしないし言う通りにする。だから命だけは……」
両手を上げ泣きそうな声に卓也の拳が僅かに緩む。
パッと見は降伏しているようにも見える。だが卓也は構えを解かない。
「…………本当だな?」
「ああ、僕の負けだ」
「そうか……」
卓也が構えを解き両手を下ろす。
一方松田はホッとため息をつきながら顔を伏せる。その口元は鼻に隠れ卓也には見えなかったが、笑っていたのだ。
降伏なんて嘘っぱち。ただ卓也の警戒心を解ければ良かった。
「なーんて言うかぶあぁぁぁか!」
卓也の背後に黒い影が鋭い爪を振り上げていたのだ。
「殺せ佐久間ぁ!」
背後に現れた黒い影、それは一体のベクター……クラスメートであった少女の成れの果て。心を持たぬ怪物が襲い掛かる。
(ざまあ見ろ。僕の策にまんまとかかりやがって。藤岡のような脳筋野郎が僕に勝てるはずがな……)
完璧な不意討ちだと心の中でガッツポーズをする。自分が優れている、劣る者の裏をかいたと鼻高々になっていた。
「へ?」
だがその期待は打ち砕かれる。
何よりも速く卓也の回し蹴りがベクターの横っ面を捉えたのだ。
「ギ…………」
「せいっ!」
よろけた所にもう一撃。跳び蹴りが左脇腹直撃し、鈍い音と何かが潰れる感触が足を伝う。蹴り飛ばされたベクターは地面を二転三転し動かなくなった。
「…………お前、読んでいたのか?」
まるで背後から来るのを知っていたようなカウンターに、松田は目を白黒させながら呆然としている。
「あのさ、あんな上から目線で言われたら信用しないだろ。背後から不意討ちだなんてありきたり過ぎ。んで……」
ため息をつくように肩を落とす。そして倒れたベクターの方を見た。
内臓に深刻なダメージを受けたのにも関わらず、血の塊を一度吐くとふらふらと立ち上がった。
「佐久間……か」
予想はしていた。キャリアーと化した松田が彼女を無視するとは思えない。恐らく他のイジメに参加していた者も無事ではないだろう。
一旦深呼吸をし構える。
「今助ける」
彼女とはクラスメートである事以外接点は無い。正直いけ好かない少女だと思っていたし、嫌いなタイプだ。
しかしこうなってしまった以上、その名の通り
「フッ!」
再生しきるよりも速く卓也が飛び出す。
相手の反応は遅い。卓也の拳を避けるのも、防ぐ事も出来ずに鳩尾に食い込む。
腕が琥珀色に光り、拳から生えた根がベクターの身体を貫く。それはまるで光の剣のようで、刺し口から流し込まれた抗体が身体を溶かす。
「う……あ……」
弱々しく卓也の腕にすがるように掴むも、その手は緑色に変色してゆく。
そこからものの数秒で全身が融解。卓也の腕から垂れ落ち、足元に水溜まりが広がる。
光が消え、根が腕の中に引き込まれた。
「逃げるのか?」
振り向き扉の方へと語り掛ける。そこにはドアノブに手を伸ばす松田の姿があった。
呼び止められた松田は震えながら歯を食い縛る。そして息を荒げ叫んだ。
「ち、違う! 僕はお前みたいな奴から逃げるもんか。そうだ……み、見逃してやってるんだ! ありがたく思え!」
今すぐこの場から立ち去ろうと、震える声で捨て台詞を吐きながら扉を押す。
しかし扉は全く動かない。ドアノブは回るもののびくともしなかった。
「チッ……ポンコツが!」
一歩下がり喉を鳴らすと衝撃波を放つ。古く木製の扉はその一撃で粉砕し、破片が周囲に飛び散った。
松田は安堵し外へと足を進めようとする。だがその足は一歩も動かなかった。
「嘘……だろ?」
扉は破壊した。だからその先は外へと繋がっているはずだった。しかし彼の目の前、扉の先は木の壁に塞がれていた。
こんな物は外になかった。ピンポイントで出入口を塞ぐように木が生えるなんて有り得ない。
「逃がさねぇよ」
「くっ……」
松田は顔を青ざめ走りだした。
出入口はここだけではない。古いせいか壁に穴がある部分だってある。
逃げなければ、生き延びなければ。死にたくないと心から思っていた。
だが身体は違う。卓也を殺せと、危険因子を排除せよと語り掛けてくる。
「何で……何故?」
相反する心と身体に、混乱のあまり泣きそうな声が漏れる。
「僕は選ばれた、人知を超えた力を手に入れた。なのに、どうして…………。佐久間達みたいに僕を苦しめる。あんなクズどもみたいに……」
全てを自由に出来るはずだった。イジメていた連中に復讐し、弱者を食い物にする真の強者となった。
自分にはその資格があると信じていた。
「今のお前がそのクズと同じ……いや、もしかしたらもっと最悪になっちやったからだ」
「なっ!」
卓也の脳裏には先日の少女の姿が浮かび上がる。
あんな事は許されない。何より、自分が正しいと豪語する松田が許せなかった。
「ずっと同じ事ばかり言っていたな。周りを見下して自分が上だと驕って……。挙句の果てには関係の無い人を傷付けて」
「違う! 僕の敵は悪、僕の行いは正義だ! 僕が法だ!」
「んな訳あるか! 俺はお前を止める。ここで、終わりにする!」
「ヒ……う……」
逃げたい。佐久間達にイジメられていた時のように。痛いのは嫌だ、誰かに相談し弱味を見せるのも嫌だ。
頼ってはいけない、下級民に借りを作ってはいけない、お前は上に立つ者だ。そんな父の教えが頭を過り、身体が、ウイルスが囁く。
こんな弱者から逃げるなんて屈辱だろう。何故上位者であるお前が負け犬のように怯えている。あれは害虫だ、毒を持つ災いだ。敵は殺せ。
そして人類を蹂躙せよ。
その言葉に頷く。
殺さなければならない。愚民が反抗するなんて許してはならない。裁きを下すのが自分の役目だと。
「その通りだ僕。ああ……殺そう」
「っ!」
ふらついたままブツブツと呟く。まるでもう一人の自分と語り合うように、不気味にこちらに振り向く。
(ウイルスが藤岡君の夢を汚すな! これ以上……藤岡君の身体を弄ばせはしない!)
初めて発症した夜、対峙した時に言っていた美咲の言葉が頭に浮かぶ。
そうだ、彼も被害者なのだ。元々の性格にも原因はあるが、彼がこんな凶行に走ったのはウイルスのせいである。
その病を……倒さねばならない。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
卓也に向かって走り出す松田。卓也も地面を殴ると跳躍する。
すると松田の足元から四本の蔦が生え、彼の両手両足を捕まえた。
「なっ!?」
松田の身体は空中に持ち上げられ、その場に拘束される。
「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
右足を真っ直ぐ突きだした跳び蹴り。足の先端からは根が伸び、琥珀色に輝いている。
そして自身を矢と化し、松田の腹を貫いた。
「!?!?!?」
勢いは止まらず身体を貫通。上半身と下半身が千切れ、そのまま融解し形を失う。
地面を滑るように着地した卓也の背後には緑色の雨が降り、ゆっくりと広がる毒々しい色の水溜まりに視線を向ける。
「…………」
勝利の喜びも無い、ただ複雑な気持ちだけが卓也の心にのし掛かる。
そして卓也は工場の外へと歩き出した。強く拳を握りしめながら。
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