第18話 夜に生きる者

 とあるマンションの一室に一人の少女が入ってきた。歳は十代半ば、高校生くらいだろう。彼女は風呂上がりで、濡れた髪をバスタオルで拭きながら自室のテーブルに置かれたスマホを取る。


「…………フフッ」


 画面を見て彼女は微笑む。スマホを抱きしめ、自らのベットに倒れ込んだ。

 何度も何度も画面を見て、その度に笑顔を浮かべる。


「先輩が私の彼氏か。やった……」


 嬉しさにニヤケ顔が止まらない。人生初の彼氏、しかもずっと恋い焦がれていた先輩と。そう思うだけで少女は嬉しさに顔が緩んでしまう。

 今日は人生最高の日だ。これから訪れる恋人との日常。甘酸っぱい青春の日々。そんな素敵な人生が送られる確信があった。

 彼女はそんな輝かしい未来を想像しながら愉悦に浸っている。


「ん?」


 不意に窓ガラスが叩かれたような音が聞こえた。


「…………何かぶつかった?」


 イタズラかと思ったがここはマンションの五階、地上から十メートルを超えている。そんな窓に物を投げられるはずがない。

 となると鳥だろうか。しかしこんな夜中に飛んでいる鳥がいようか? 疑問を感じながらも少女はカーテンと窓を開ける。

 外にはいつもの街が広がっている。星空が地上に落ちたような明かりが点在しているだけ。


「うーん、気のせいかな」


 涼しい夜風がとても心地良い。長時間当たっていては湯冷めしてしまうが、この風を少しだけ堪能したい。

 少女はそのまま窓を閉じようとするのを止めそっと目を閉じる。そして数秒間夜風に触れた後、ゆっくり目を開けた。


「え?」


 彼女の目の前にあるのは夜の街並みではなかった。黒い毛皮のコウモリの被り物を着けた骸骨が上下逆さまに少女を見つめていたのだ。


「へぇ……悪くないな」


 響くような、エコーが混じった声をしたコウモリの化け物…………そう、コウモリ型キャリアーは少女を見て舌舐りをする。

 自分のジャマ一枚の肢体を舐め回すような視線に、嫌悪感だけでなくもっと嫌な危機感にゾッとした。これが何なのかは理解出来ないが、関わって良い存在ではないのは直感的に感じる。


「ヒッ……」


 だが悲鳴を上げるよりも速く、彼女は窓から引き摺り出され宙を浮いていた。

 身体は上下逆さま、足を捕まれ宙吊りになりながら混乱に意識が滅茶苦茶になってゆく。


「な、何なの!? え? 誰か!」


 逃れようと踠くが、身体を動かす度に揺れて落ちそうになる。


「おっと」


 高く飛翔したかと思うと、キャリアーは少女を離す。すると彼女は頭からまっ逆さまに地面へと落ちてしまう。


「!」


 死を予感した瞬間、今度は腕を勢いよく引っ張られたような感覚と痛みが走る。地面に衝突するよりも速く、キャリアーが少女を捕まえたのだ。


「危ないじゃないか。落ちて潰れたらどうする」


「た……助けて……」


 頭が上手く動かない。ただ未知なる恐怖が少女の思考を支配していた。

 この怪物は何者なのか、どんな目的で自分を誘拐したのか。全く想像出来ない。


「フフフ、光栄に思えよ。君は僕の眼鏡にかなったんだ。ユルい女はごめんだから……ねぇ」


「い…………嫌……」


 下品な笑みに嫌な予感しかしなかった。命の危険よりも、別の危機感が強い。もしかしたら殺された方がましなのかもしれない。そんな予感が頭を過る。

 コウモリ型キャリアーは夜の街を飛び回る。その耳障りな響く笑い声を撒き散らしながら。

 そして少女は、これから起こるであろう災厄に絶望する事しか出来なかった。





 夜の街を駆け抜ける一台の車。その後部座席に卓也と美咲が並んでいた。

 美咲は腕を組みながら目を閉じている。瞑想しているように見えるが、何を考えているのかはわからない。ただ形容し難い覇気が彼女を被っていた。

 暫く経つと彼女はゆっくりと目をあけ、少しだけ睨むような視線を向ける。


「藤岡君……何で志願したの? 私がいる以上、藤岡君が出る必要性は無いのよ」


「それもそうだけどさ……」


 数秒考えるように口を閉ざす。

 美咲の言う事も最もだ。わざわざ危険に首を突っ込む必要も無いし、美咲が解決する仕事なのである。

 だが、卓也は何もしないのが嫌だった。


「俺も抗体がある。ただ研究に協力するだけでなく、少しでも力になりたいんだ」


 拳を握り見つめる。


「俺に力があるなら、それを正しく使わなきゃいけないと思う。だからこそ……戦わなきゃって」


 真っ直ぐとした瞳を美咲に向けた。曇り無い目が彼女を見つめ、美咲はそんな卓也に小さなため息をついた。


(甘いと言うか何と言うか……。大丈夫なのかなぁ?)



 力があるからこそ責任があり、戦う事は義務だ。そんなまるで物語の主人公のような物言いに飽きれてしまう。これは現実なのだ。そんな甘い考えや浮かれた思想が通用する世界ではない。


「…………邪魔だけはしないでね」


 勝手にヒーローごっこをさせていれば良い。こちらの仕事に集中する事だけを考えるのだ。

 美咲はそっぽを向き、一人窓から見える景色に視線を移す。

 街灯の光が流星のように流れてゆく。まだ人目は多く、飲み屋から出てくるサラリーマンや、夜遊びをする若者の姿が目に入る。

 彼らは知らない。今この世界で何が起きているのか、恐ろしい病が浸蝕している事に。そしてこの日常を守るのが自分の仕事なのだ。


「なあ」


 不意に卓也が口を開く。


「高岩さんはさ、何で戦ってるんだ?」


 ちょっとした疑問だった。卓也は何処で感染したか、どうしてこんな身体になってしまったのか不明だ。

 しかし美咲は発症者に襲われたのかは知らないが、何らかの形で感染しグローバーとなった。そして十代の少女である彼女がこんな危険な世界に身を置くなんてまずあり得ない。きっと彼女にも大きな理由があるのだろう。


「…………私は」


 美咲はゆっくりと卓也の方を振り向く。


「この病気を滅ぼし、人類の脅威を根絶やしにする。その為に戦っている」


 自分自身を抱き締めながら、左脇腹を強く掴む。


「グローバーになった時、私はただの中学生だ。そして今も力があっても本質は高校生で出来る事は少ない。本当の治療法は医者や学者に任せれば良い。私がやれる事は……」


 身体を抱く手に、指が食い込むくらいに力が入る。


「発症者を処理し、感染源を断つ。感染拡大を阻止するのが私達グローバーの仕事。怪人退治だなんて、ヒーロー活動とは違う」


「…………そっか」


 それ以上は語らず、睨むような視線と強い口調に、これ以上踏み込んではいけないような気がした。

 美咲の本心、その心の奥を見抜けるような観察眼は生憎持ち合わせていない。今一質問に答えていないような気もするが、彼女は本気でヴィラン・シンドロームと戦っている。理由は見えないが、そこを探るのは薮蛇だろう。誰にだって触れられたくない事はある。特に親しくもない間柄なのだから尚更だ。

 卓也は口を閉ざし罰が悪そうに外を見る。

 そうしていると車が人気のない路地に止まった。


「すまないが、送れるのはここまでだ。後は任せるぞ高岩」


 運転手の男性がこちらに振り向く。


「ターゲットはこの先の公園に向かった。飛行生物だから気を付けろよ。逃げられたら、こちらの封鎖も無意味だからな」


「善処します」


「それと……どうやら女の子が拐われているらしい。宙吊りで連れてかれたようだ」


 その言葉と暗い声色にに美咲は表情を曇らせる。


「……状態により適切な対応をします」


「頼むぞ」


 車から降りる美咲と、彼女を追うように卓也も急ぐ。彼女の手にはあの注射器が既に握られていた。


変身アクティベーション


「ちょま……」


 注射器を腕輪に差し込むと同時に美咲が変身。卓也も続くように身体を蔦で被い、それが弾け飛ぶと彼の姿も変わっていた。

 実にアンバランスな光景だ。変身ヒーローその物な少女と木製人形……もとい、植物怪人のコンビ。今すぐにでもお互いに殴り合いそうな絵面に運転手の男性も思わず苦笑いしてしまう。


「さてと、行きましょう。しつこいようだけど、邪魔はしないでよ」


「わかってる。俺だって……やれるはずだ」


 二人は宵闇の中へと踏み出す。その中に何があるのか、知らずとも立ち向かうのだった。

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