第19話 悪意の意義

 暗い公園の中をゆっくりと歩く二人。月明かりと僅かな街灯を頼りに、足音を立てぬように進む。

 二人の間に言葉は無く、卓也には緊張による自分の動悸だけが脳に響いていた。しかし心臓の音は聞こえない。体液が身体を巡る感覚はあるものの、心臓の鼓動は存在していなかった。

 不思議な感覚だ。つい先程は人間の姿をし、今まで生きてきたのと同じ感覚の肉体だったが、この姿に変わった瞬間に全く別物に感じられる。それなのに自分の身体として意識し使も完璧に把握している。まるで生まれた時からこの身体だったかのような、本能的に理解していた。


「……………」


 美咲が卓也を静止し、近くの滑り台の影に隠れる。二人の視線の先、街灯の僅かな明かりの下に蠢く黒い塊があった。


(あれがキャリアー……ん?)


「ヒッ…………い……や…………」


 その黒い塊から伸びるナニかと小さな呻くような悲鳴。それは人の素足だった。よく見ると黒い生物が誰かに覆い被さっている状態だった。

 その様子に美咲は眉間に皺を寄せる。


「…………今なら不意討ちできる」


 柄を握り、数センチだけ現れた刃が赤く光を発する。美咲の身体に含まれる抗体が武器に流れたのだ。


「余程我慢出来なかったみたいね。こんなトコでお楽しみだなんて」


 静かながらその声に怒りが感じられる。


「私が先手を討つ。外した場合空に逃げる可能性が高いから、その時は藤岡君が追撃を」


「お、おう」


 報告では飛行可能な生物のキャリアー。飛んで回避や離脱を行う可能性は高い。そうなれば蔦や根で中距離を攻撃出来る卓也の出番だろう。

 勿論一撃で仕止めるのが最善だが、万が一を想定するのは大切だ。

 美咲は目を閉じて深呼吸をする。そして目を開けると同時に風のように飛び出した。


(背後から胴体を切り落とす!)


 抜刀した刃全体が赤く染まる。その切っ先がキャリアーを捉えるまで残り一メートルの距離まで縮む。


「!」


 だが美咲が斬るよりも早く、キャリアーは彼女の方に振り向いた。そして直ぐ様空へと飛び立ってしまう。

 その飛翔する姿に美咲は心の中で舌打ちした。


(コウモリ型……? 音で気付かれたみたいね)


 振り向いた頭にある大きな耳、皮膜で形成された大きな翼。巨大なコウモリが夜空に羽ばたいている。

 優れた聴覚の前には忍び足など無意味。不意討ちは失敗に終わってしまった。


「藤岡君!」


 気付かれたのなら遠慮はいらない。美咲の掛け声に卓也は両手を地面に当てる。


「行っけぇぇぇぇぇ!」


 土を貫き四本の蔦が生き物……その一本一本が蛇のように動きキャリアーへと伸びる。四方から迫る蔦、その先端が串刺しにしようと迫った。

 しかし空を飛び回る相手を狙うなんて経験は卓也に無い。フラフラと不規則な動きに狙いが定まらず、蔦の間を嘲笑うようにすり抜ける。


「ハハハハハハ!!! どうしたどうした!」


 頭に響くような金切り声に苛立ちそうになる。

 ゆっくりと羽ばたきながら街灯の上に立ち二人を見下ろす。


「お前達が大ハズレか」


 ニヤリと口角を歪める。


「我らのような選ばれし者と違い……何て醜いんだ。まるでハゲデブ中年オヤジみたいじゃないか」


「あら、以外ね。ただの獣に成り下がった下等生物が人間様の言葉を話すなんて。口臭が酷いから、黙っててくれない? それとも、そんな事も理解できないような知能指数なのかしら?」


 バイザーの奥からもわかるくらいに美咲は鋭く睨み付ける。声もドスのきいた重々しくなり、刀を握る手に力が入る。

 そう睨み会う間、卓也はキャリアーの立つ街灯の下に気付いた。そこは先程まであのキャリアーがいた場所だ。


「あ……」


 卓也は見てしまった、震え僅かに動く犠牲者。服は引き裂かれ、ほぼ裸体に近い状態で放置された少女の姿を。

 思わず駆け寄ろうとするが、美咲が引き止めた。


「高岩、あの子を……」


「わかってる。けど藤岡君は見ないであげて。女の子としては最悪な事なんだから……。私が対応するから、あいつを引き離して」


「…………!」


 美咲の言葉に卓也は血の気が引くような感覚に陥る。、それが何なのかを理解してしまったからだ。

 血が凍りつくような嫌悪感が全身を走るが、すぐに煮えたぎるような怒りに震え出す。


「お前……その子に何やってんだよ!」


「あ? 何って…………ククッ。カスなお前には縁は無いよなぁ。チェリー君らしく喚いていな。それに……」


 翼を広げながら飛び降り、少女の頭を掴み持ち上げる。


「僕に選ばれた事を泣いて喜ぶべきなんだ。王の寵愛を受ける栄誉を与えてやったんだからなぁ」


 少女を卓也の方に投げ捨てる。その身体に残る痛々しい引っ掻き傷、そして目を反らしたくなるような姿に卓也の感情が爆発した。


「てめぇ!!!」


 弾丸のような勢いで飛び出し拳を振り上げる。怒りに身を任せ、全力で殴りかかった。

 キャリアーは空に逃げ、空振った拳が街灯を曲げた。


「ホラホラどうした? ん? 何処見てるんだい」


 再生能力があるとはいえ、当たれば骨を砕き大きなダメージとなっていただろう。しかし当たなければ無意味だ。


「まだまだ!」


 強く地面を踏みつけると、卓也の周囲から無数の蔦が生える。真っ直ぐ槍のように伸び、串刺しにしようと一斉に襲い掛かった。

 しかしキャリアーは卓也の攻撃を飛び回りながら避ける。

 挑発するような笑い声が響く。苛立ちが募り、少しづつ冷静さを失い攻撃が乱雑になる。

 焦る卓也にキャリアーが引き付けられている間に、美咲は少女に駆け寄る。



「…………やっぱり飛ぶってのは厄介ね。それに……」


 少女の方を一目見ると酷い身なりに目を背けてしまう。

 少女には最低最悪の出来事だっただろう。予め防ぐ事も、こうなる前に助ける事も出来なかったのが悔しい。


「感染している、けどまだ時間はあるか。なら……あっちが先ね」


 無意味かもしれないが破れた服装を整え、少女をその場にキャリアーの方を向く。


「五パーセント。期待は出来ないけど、祈るしかないか」


 刀を構え走り出す。眼前では緑色の蔦が暴れ回っていた。巨大コウモリと動く植物が暴れる様はモンスターパニック映画か、怪獣映画の撮影かと錯覚してしまいそうだ。


(結果はわからないけど、両方処理する可能性を踏まえて……)


 キャリアーの背後に回り、近くのジャングルジムを足場に跳躍。卓也を挑発する為か、地上数メートルをふらつくキャリアーに届くのは難しくない。


「速攻で斬る!」


 赤い切っ先が届こうとする。だが空は相手のテリトリー。身体を捻りまたしても避けられてしまった。

 しかし美咲の一閃はキャリアーの予測を超えたスピードだった。紙一重で避け嘲笑する事ばかり考えていた為か、浅くだが脇腹を斬りつけた。


「痛っ!」


 美咲が土埃を上げながら卓也の近くに着地。刀身にはうっすらと緑色の粘液が付着している。

 一方キャリアーの脇腹からは緑色の粘液が垂れる。


「糞っ! マジで治らないのかよ!?」


 刃から流れる抗体がウイルスを叩く。再生能力を阻害し、発症者の肉体を崩壊させる猛毒。それがグローバーの力、抗体の能力だ。


「落ち着いて藤岡君。協力すればやれない相手じゃない」


「……ごめん」


 美咲に叱咤され頭が冷めてゆく。がむしゃらに暴れても相手の思うつぼだ。


「さてと……」


 美咲は現状の戦力を整理する。

 抗体がある以上、卓也も美咲も致命傷を与えるのは容易だ。しかし空を飛んでいる相手には不利だ。

 自分の武器は刀と左腕に仕込まれたワイヤー。いちいち跳び跳ねて斬りつけなければ攻撃すら出来ないのだ。


(オーバードーズで……いや、外したら一気に不利になる。ワイヤーも狙い難いし)


 どうしようかと考えていると、卓也は美咲が足場にしたジャングルジムに気付く。


「高岩さん、足場があれば……どうにかなるか?」


「…………成る程。それね」


 頷きながらニヤリと笑みを浮かべた。


「連れて来てよかったって思わせてよ?」


「勿論だとも」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る