第1話 日常の始まり

 季節は春、四月の半ば。進学、新学期、就職、新しい生活が始まり少し過ぎた頃、一人の少年がマンションから現れる。

 紺のブレザーを来た男子高校生だった。身長は中肉中背、髪を染めてる訳でもなく、悪く言えば特徴の無いごくごく普通の少年だ。

 いや、一つだけ特徴があった。少年のカバンにはキーホルダーが着いている。古く色褪せ傷だらけのキーホルダー。それは顔を被うマスクと一体化したボディースーツ、所謂特撮ヒーローのキーホルダーである。しかしそれは彼のような高校生が持っているのには少し不思議な物だった。

 昨今は小さな子供だけでなく、大人も楽しめるよう作られた特撮番組は多く、俳優目当てに見る人も少なくない。それを考慮しても少し珍しい物……彼がカバンに着けていたのはピンク、女性ヒーローのキーホルダーだった。


「行くか……」


 彼の名は藤岡卓也、この街に住む高校生である。

 両親共に健在の一人っ子。毎朝起こしに来る幼なじみの女の子も、血の繋がらない妹もいない本当に普通の少年だ。

 そんな普通を彼は好んでいた。漫画やアニメのような展開が嫌いな訳ではない。あくまで娯楽と現実を分け隔てているだけだ。


「ふぁ……」


 大きく欠伸をし歩き出した。少年の目的地は勿論学校だ。

 街は静かに何時もの変わらぬ日常を映し出す。会社へと向かうサラリーマン、集団登校する小学生達。そんな平凡な毎日に身を置きながら学校へと向かう。

 家を出て数分は過ぎただろう。大きな交差点に差し掛かった所で信号の先にある二つの人影に気付く。

 楽しそうに談笑している卓也と同じ制服を着た男女の高校生二人は、遠目から見れば仲の良いカップルにも見えるだろう。しかし二人との距離が近づくにつれ、その考えを抱く者はいなくなるはずだ。


「おう、卓也」


「おはよー」


 信号を渡った所でその男女が卓也に歩み寄る。

 二人が恋人同士ではない理由は、二人の容姿を見れば一目瞭然。二人の顔が非常に似ている。身長や体格は性別の違いはあるが、癖毛の髪や顔立ちは血縁を確信させた。


「おはよう一馬、二葉」


 井上一馬と井上二葉。二人は双子の兄妹なのだ。

 一馬は卓也以上の身長、二葉は卓也に劣るも女性としては長身。そんなスタイルの良い二人ならモデルにスカウトされるのでは? そう思った事は何度もあるような兄妹だ。


「んじゃあ行こう。ほら一馬に卓也も急ぐ!」


 合流し二葉に手を引かれ三人で学校に向かう。女の子に手を取られるのは悪い気はしない。しかし彼女を友人として抱く親愛がときめきや年頃の嬉しさを失わせている。

 二人との関係は中学からだった。たまたま同じクラスになり、友人となっただけだ。卓也には大切な友人、それ以上でもそれ以下でもない存在。

 三人でいるこんな毎日が一番の幸福なのかもしれない。

 春の温かな気温に眠気を誘われ、再び欠伸が出る。そんな様子に一馬も気付いた。


「眠そうだな卓也」


「まあな」


 目を擦りながら短く変事をする。


「夜更かしでもしてたかな? 現国の宿題徹夜でとか」


「んなの直ぐに終わらせてるっての」


「だとすると……」


 一馬は歩きながら少し考えると、ふと卓也のカバンが目に入った。そこにぶら下げられているキーホルダーに。


「もしかしていつものトレーニングか?」


「いや。最近物騒なせいか、母さんに夜のランニング禁止されててさ。少しは人目のある早朝くらいしか時間が無いんだよ」


 物騒。その言葉に一馬もなるほどと頷き、二葉が振り向く。


「そうだよね。夜遊びに行けないって子も多いし。彼氏に送迎お願いするってのもいたなー」


「本当、はた迷惑だよな。猟奇殺人とか行方不明事件とか。そのせいでランニングすら出来ないし」


 卓也は不満と怒りが入り交じったような暗い声でぼやく。

 最近、都心部で猟奇殺人事件や行方不明事件が増加していた。バラバラにされた死体、何ヵ月も行方を眩ます者。こんな事件がひっそりと日本で起きていたのだ。まだ解決していない現状に、警察への不満を漏らす者も多い。

 当然そんな事件が起これば、人々は不安になり警戒する。夜の街に一人で……だなんて、保護者が許すはずがない。


「まあ、心配してくれるまともな親って考えれば良いか。そっちは?」


「私達の方も似たような感じかな」


「特にうちは二葉がいるからね。女の子がいると、親も一層心配するよ」


 なるほどと頷く。確かに女子の親ならば当然の反応だ。


「けどさ、どっちにしろ一馬と二葉は一緒に行動する事多いんだし、そこは安全と言うか、親も安心なんじゃないか?」


 二人は行動を共にする事が多い。今日のような通学は卓也を含め三人で行くのが大半。家でも似たようなものだろう。


「そうだけどねー。私も双子の兄貴より、イケメンな彼氏の方が……」


「俺も。もっとちっちゃくて可愛らしい彼女なら、やる気も桁違いなんだけど」


 しかし、等の二人はいまいち乗り気ではなさそうだ。高校生なら親族よりも恋人に夢中になりたいと思うのもあり得る。当然卓也も理解しているし、恋人の存在に多少は憧れてもいる。


「んじゃあ一緒に行くの止めたら?」


「まさか。こんなご時世、流石に二葉を心配するって」


 こんな事を言いながらも、兄妹として心配し想っているのがわかる。二人の間には卓也の知らない絆があるのだろう。一人っ子の卓也には羨ましい事だ。


「いやはや、持つべきは優しい兄と友だね」


 二葉は二人の間に入り、腕を自分に寄せた。強く、しっかりと掴んだ手に力が入る。そんな彼女に卓也達に微笑むのだった。

 しかし。


「で、さっきの話しで思い出したんだけど…………宿題写させて」


 空気が凍り付く。今良い話しをしていた空気を出していたのに、状況を読まない一声に思考が停止する。

 確かに宿題の話しはしていた。しかし今言う事かと心の中でツッコミを入れてしまう。


「台無し」


「だな」


「えー酷くない? これも一大事だよ」


 不満そうにふてくされる二葉にため息しか出ない。


「何が一大事だ、俺は断るぞ。優しいお兄さんに頼めばどうだ?」


「そんなぁ」


 肩を落としターゲットを一馬に変える。


「……お兄ちゃん、可愛い妹からのお、ね、が、い?」


 目に涙を浮かばせ、猫なで声ですり寄る。事情を知らなければ、文字通り可愛い妹のお願いとして聞き入れるかもしれない。

 しかしそんな甘い男ではない。


「俺も嫌かな。自業自得だね。と言うより、こんな時だけお兄ちゃんだなんて、正直不気味だよ」


 一蹴し歩き出す二人。宿題をやらないのは自業自得、二葉の為にもならないと断固拒否する。


「二人ともケチ!」


「あ……」


 追いかけながら頬を膨らませ二人の足を軽く蹴る。力も入っておらず、何て事の無い蹴りだ。

 しかしたまたま当たり所が悪かったのか、歩きながらだったのが原因か、卓也がバランスを崩し尻餅をついた。


「あ、ごめん」


「いや、大丈夫。たかが尻餅だって」


 立ち上がろうとした時、右手に違和感を感じた。何か湿った物に触れたような感覚がある。見てみると、少しの擦り傷と手に紫色の液体が付着している。

 そこにはアスファルトの亀裂から生えた一輪の紫色の花が潰されていた。恐らく手を着いた時に潰してしまったのだろう。

 植物に詳しくない卓也には名前もわからない。しかし意図せずとはいえ、潰してしまった事に僅かながら罪悪感を感じる。

 卓也は立ち上がり砂を払った。手の擦り傷は学校で洗えば良いとそのままにする。


「とりあえず行こうぜ。まだ時間はあるけど、遅刻したらシャレにならないし」


「そうだね。二葉の宿題は……仕方ないから、少しは見てあげるね。急ぐよ」


「え、マジ? 流石が愛すべき兄貴だね」


 三人は学校へと急ぐ。

 そして三人が立ち去った後、潰された花は瞬く間に溶け消えていく。そこには緑色の跡が残されるだけだった。

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