第2話 学校生活

 教室に三人が入ると、一馬と二葉は入り口の一番近く、最前列の席にカバンを置く。


「早く手伝ってよー。現国は午後だけど、今の内にやってお昼はゆっくりしたいし」


「はいはい。じゃあ卓也、俺は妹の宿題見てるから」


「おう」


 やはり少し羨ましい。兄弟を産まなかった両親を悪く言うつもりはないが、近くで二人を見ていると兄弟の良さが強く感じられる。

 勿論良い事ばかりではないし、一人っ子の良さも理解している。しかしこうも見せ付けられると、羨ましく思うのが人の性だろう。

 二人を背に卓也も自分の席に向かう。卓也の席は教室真ん中の後方、どちらかと言えば教師の目に入り易い場所にある。

 一つだけ空いた席、当然卓也のだから誰かが座っているはずがない。しかしその隣には一人の少女がすでに席に着いていた。

 顔も隠れるような長い髪、その隙間から見える眼鏡のせいで表情は見えない。手には文庫本があり、彼女は読書に夢中なのか近づいた卓也に気付いていない。

 一瞬無視して席に行こうか迷ったが、隣の席に座るクラスメートに挨拶すらしないのは無礼だろう。そんな態度を卓也も好ましく思っていない。


「おはよう高岩さん」


 机にカバンを置き隣の少女……高岩美咲に挨拶する。すると美咲はページを捲る手を止め卓也の方へと振り向いた。


「おはよう藤岡君」


 短く変事をすると視線を本に戻す。

 何の親しみも無い単調な挨拶だった。しかしそれで良い。二人の関係はただのクラスメート。席が隣なだけで他に接点もない。

 余計な事をせず、最低限の礼節さえ守ってれば充分な距離感。ただのクラスメート、それで良いのだ。

 卓也は椅子に座り教科書とノートを探す。まずは一時限目の数学だ。

 その時、卓也の前を誰かが通る。


「ねえ高岩さぁん」


 小馬鹿にしたような猫なで声。卓也には少し嫌な声色に聞こえる。

 その声の主、髪を金髪に染めてピアスまでしたいかにも遊んでいるような少女は、ニヤニヤとしながら美咲の机にノートを数冊投げる。

 彼女の事はよく覚えていない。名前はたしか佐久間……と、名前をかろうじて覚えているくらいの関係だった。そもそも、体育会系で真面目な方である卓也からすれば、彼女のようなチャラチャラした人間は嫌いだ。


「現国と物理の宿題、あたしのやっといてよ。どうせ暇でしょ?」


 一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。

 宿題をやれ。明らかに美咲を見下した口調に、そんな命令をする彼女の精神が理解出来ない。卓也からすれば悪でしかないのだ。

 美咲は一見大人しい少女に見える。眼鏡に長い前髪と暗い印象を持たれるのも納得は出来る。

 しかし、それを理由にこんな理不尽を押し付けるのは納得出来ない。


「おい、お前何言ってんだよ。宿題くらい自分でやれよ」


 思わず口を挟む。苛立ちに満ち、立ち上がりかけた所で堪える。

 思わず掴み掛かりそうになったからだ。

 しかし佐久間は嘲笑うような態度を変えない。


「は? 何良い子ぶってんの。あっ、もしかして藤岡って高岩に気でもあんの? うわっ、趣味悪っ」


「……はぁ」


 頭が痛い。何故異性に手を差し伸べただけで恋愛感情に結び付けられるのだろうか。人を助けるには恋愛感情が必須なのか?

 理解の範疇を超えた反応に飽きれるしかなかった。

 その沈黙を美咲が破る。


「…………佐久間さん。何故私が貴女の宿題をやらなければいけないの?」


 淡々と感情の籠らない冷たい声。しかし本を持つ手には怒りがあるのか力が入る。


「口答えすんなよ。底辺陰キャに声かけてやってんだから、むしろ感謝しなさい。あんたみたいな奴に価値を付けてやってだから。」


「……はぁ」


 どこまでも上から目線の佐久間に美咲もため息が漏れる。

 このクラスになってから、今までこんな事はなかった。恐らく美咲を品定めしていたのだろう。彼女が発言も少なく、他者と関わらない様子から、簡単に脅せると読んだようだ。


「断ったら……わかるよね? あたしの彼氏、キレたら怖いよ」


「おい!」


 流石にこれ以上はと、止めようと立ち上がる。が……


「やらないよ」


 美咲は怖じけもせず、声色一つ変えずに言い放つ。


「チッ。あんた生意気ね」


「生意気? 底辺の私に頼る時点で佐久間さんの方が下じゃない。宿題やってくださーいって頭下げてるんだし」


「ぶっ!」


 思わず吹き出しそうになる。

 見た目とは裏腹な美咲の反撃。逆に挑発するようで的確な物言いに笑ってしまいそうだ。


「人にお願いするんだから、相応の態度をとれば? ほら、の私に宿題を恵んでくださいって」


「高岩っ……! あたしの彼氏が黙ってないよ」


 怒りに震えながら反論しようとするが、彼氏を出して脅す言葉しか出ない。

 大人しい人間は脅せば言いなりになる。そんな簡単な事で、美咲も同じと甘く見ていた。だから断られた場合を想定していなかった。


「止めとけ佐久間。高岩さんはやらないし、お前の脅しも通用しないぞ」


「そもそも彼氏って……妄想の中の存在なんじゃない」


 遠巻きに見ていたクラスメートも笑いだす。巻き込まれぬよう、触れぬと口を出さずにいたが、美咲の反論に思わず笑ってしまったようだ。

 笑い者にされ一人冷たい視線を送られる少女。誰も彼女に味方ようとはしない。


「……陰キャのくせに」


 捨て台詞と共にノートをふんだくり立ち去る。

 事が大きくなる前に終わり卓也はホッとする。あまり良い気分ではないが、悪役じみた捨て台詞にまた笑いそうになった。


「ありがとう藤岡君。私一人だと手が出ていたかもしれない」


「手? え? …………あー、まあ気にしないでくれ」


 もしかしたら殴り合いになっていたのかと思うと、急速に頭が冷える。見た目と違い、アグレッシブな美咲に言葉が詰まりかけた。

 普段の彼女を見ているが、はっきり言って想像出来ない。むしろ真逆の人間だと思っていた。


「てか意外だよ。高岩さんって、喧嘩早いイメージが無いから」


「一応鍛えてるからね。下手な男子より喧嘩強いよ。だから心配しないで」


「マジ?」


 何故だろう。男を連れて仕返しに来ないか心配だったが、美咲の自信に満ちた声に安心より、相手の方が心配になりそうになる。

 勿論気の迷いだろう。しかし根拠が無くとも不思議な説得力があった。それ程美咲の自信が感じられたのだ。


「それより藤岡君って……正義感が強いって言ったら良いのかな? 真っ先に異議を唱えてたね」


「単純に気に入らなかっただけだよ。佐久間みたいなの苦手だし」


「へぇ……」


 美咲の視線は卓也のカバン、そこに付けられたキーホルダーに移る。


「それとも、ヒーローに憧れているとか?」


「へ? どうして?」


「それ」


 美咲はキーホルダーを指差す。


「私、そういうのに詳しくないし、凄く古そうだからわからないけど……。特撮ヒーローのだよね?」


「ああ、そうか」


 確かにこんなのを持っていれば、ヒーローが好きだと容易に想像出来るだろう。それに、彼女の予想は当たっている。


「まあね。俺さ、ヒーローになりたいんだ」


 卓也の将来の夢だからだ。


「あ、でも流石にテレビと現実の区別はついてるからな」


「フフッ、わかってるよ」


 眼鏡と前髪で表情はわかりにくいが、笑ったのを初めて見た。いつも静かな彼女がこんな声で、こんな風に笑うのがとても新鮮に感じられる。


「アクション俳優とか……そういうのでしょ。たしか着ぐるみに入ってヒーローとか怪獣とか…………」


「正確にはスーツアクターだよ」


 スーツアクター。特撮番組等で着ぐるみを着て演技をする俳優の事だ。あまり顔を出さない仕事だが、卓也はこの仕事に強い憧れを抱いている。


「俺の父さんがスーツアクターなんだ」


「お父さんへの憧れから?」


「うん。俺、父さんの事一番尊敬しているんだ」


 そう言う卓也の表情は心なしか明るく幼い子供のような輝きを放っていた。

 そんな彼の気持ちを察した美咲も、微笑ましそうに卓也の言葉に耳を傾ける。


「これも十年くらい前に父さんが演じていてさ。テレビの中で本物のヒーローになっているのを知って…………それからかな、俺にとって一番のヒーローは父さんなんだ」


 憧れと尊敬、父への想いがひしひしと伝わってくる。父親の事を話す卓也は堅物なイメージを拭い去り、純粋な少年らしさに満ちていた。


「……っと。ごめん、俺ばっか話してて」


 一方的な会話、と言うより語りになっていた。人によっては快く思わないだろう。気が付いた時には即座に謝罪していた。


「構わないよ。お父さんを尊敬しているのって素敵だと思う」


「そ、そうかな」


 ファザコンだの気持ち悪がられないか、正直不安だったが杞憂だったようだ。父を敬う事に、美咲も賛同してくれたのが素直に嬉しい。

 自分の事を、特に将来の夢を喋るのはよく考えると恥ずかしい。しかし今までと違い、美咲との距離が少し短くなったような気がした。


「……藤岡君とこうやって話すの初めてだよね」


「そうだな。いつも挨拶くらいだし」


 勿論それを悪いとは思っていない。不要に近づかない距離感、挨拶する礼儀、それらを必要最低限で済ましていただけ。

 しかし今思うともっと早く話し掛ければ良かった。そう思えるような心地好さがある。

 初めて会った時は取っ付きにくさを感じていた。見た目が暗いイメージのテンプレートを貼り付けたような容姿をしていたからだろう。

 しかし毎日の挨拶にはしっかり応え、今も快く話しを聞いてくれている。人は見た目によらないと学ばされたような気がした。


「高岩さんは……」


 もう少し話したい、そう思っていたが、教室の扉が開けられ教師の声に止められる。


「はい、朝礼始めますよ。全員座ってください」


 アラサーくらいのにこやかな笑みを浮かべる男性教師、このクラスの担任である山本が現れる。


「……ま、いっか」


 今話さなければいけない訳ではない。卓也も口を閉ざし教壇の方へと向く。

 今日もまた学校が始まる。いつもの日常が。

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