醜い鬼

白藤 桜空

第1話

 今は昔、 宮中に一人の男子おのこがおりました。彼は高貴なお生まれであり、優れた才で政治を執り行っていました。雅な和歌を詠まれ、才色兼備な妻もおり、近頃はお子様もお生まれになりました。

 彼は何不自由ない順風満帆な人生を送っている……はずでした。

 ただ一つのことを除いて。


 ――彼は人前では決してお顔を見せませんでした。もちろん、高貴なお方がむやみにお姿を見せるのは下品な行いです。されど彼の場合、見せても良いはずの時にも常にお面で顔を覆っておりました。

 なぜなら、彼は大変醜い顔だったのです。


 かつては彼も普通に過ごしていましたが、それはもう酷いものでした。彼の顔を見て、女たちは必ず倒れこみ、男たちは必ず顔をしかめました。宮中ではすっかり有名になり、怖いもの見たさで彼の顔を見物しに、彼の執務室に行列ができる有様でした。

 彼は人々の目線を恐れました。ぼそぼそと聞こえる噂話に怯えました。

 彼は考えました。きっと自分はとてつもない醜い顔に生まれたばかりにこんなに苦しむのだから、皆に見せなければ良いのだ、と。

 それ以降彼は『めんきみ』と呼ばれるようになりました。


 面の君はいつも仕事を終えると妻の元へ向かいました。鬱屈な宮中から解放される至福の時間を求めて、牛車ぎっしゃを急がせます。

 妻は面の君の顔を見ても一切動じない、唯一の女でした。妻の家に男の従者が少なかったのも好感を持てました。面の君は彼女の飄々として美しい姿に惚れこみ、彼女の家に何度も通って妻としました。

 妻との子供も大層可愛がりました。妻に似た聡明な顔立ちは、目に入れても痛くないほど愛おしいもので、乳母によく懐いた我が子を見つめながら、この子を必ず幸せにしてやろうと心に決めました。

 面の君は増えていく愛し子たちを世話しながら、子らの将来を盤石にしようと奔走しました。

 娘には地位の高い旦那を、息子には最高峰の教育と官職を与えました。気付けば孫も増え、宮中では息子と共に勤めるようになっていました。面の君は妻のような聡明で綺麗な子らを後世に残せたことを誇りに感じていました。


 自分の醜い顔を忘れる程に幸せな人生を謳歌していたある日、面の君に贈り物が届きました。

 面の君は唯一面を外す寝所でそれを確認しました。

 そう、してしまったのです。


 箱の蓋を開けると、何やら男の顔が見えました。初老のその男はこちらを見つめ返してきます。面の君はが何なのか分からず、しばし男と見つめ合っていました。するとその様子を気にした妻が同じように覗き込んできて、感嘆の声を上げました。

「まぁ!なんて丁寧に磨かれたなのでしょう!素晴らしい出来栄えだから贈られたのですね。ほら、旦那様のお顔が見えますよ。」

 妻はそう言っての中の男を指さす。は確かに妻の顔を写し、よく見るとの着物の柄が面の君のものと同じでした。

 面の君はが自分だと気付くと、恐怖で震え上がりました。初めてまともに見た、自身を苦しめた

 この顔さえなければ、面を付けずに済んだのに。この顔さえなければ、肩身の狭い思いをせずに済んだのに。こんな顔さえなければ……。

 面の君はもはや鏡を見ていられず、箱から取り出すとそのまま壁に投げつけました。

「旦那様?!せっかくの贈り物に何を……ッきゃぁぁぁぁ!おやめになってくださいまし!旦那様!旦那様!」

 妻は面の君を見て叫びました。なぜなら、面の君は小刀で自身の顔を切り刻み始めていたからです。普段は冷静な妻もこの時ばかりは慌てふためきました。

 妻は悲鳴を聞きつけて来た近従である侍女に抱きつくと、従者たちに面の君の凶行を止めるように命じました。面の君は顔を血だらけにしながら従者たちに取り押さえられました。


 翌日。

 面の君は顔を布でぐるぐる巻きにされ、高熱を出し、床に臥せっていました。妻は祈祷師を呼び、併せて子供らも呼び寄せ、面の君を見舞わせました。妻は面の君に声をかけます。

「旦那様、子供たちが祈祷を手伝いに来てくれましたよ。」

 面の君の周りを子供たちが囲みます。面の君は布の僅かな隙間から見上げます。

 するとそこには、昨日見たと同じ顔がずらりと並んでいるではありませんか。面の君は恐怖で声にならない叫びを上げます。

 そばに控えていた祈祷師は慌てて祈り始めます。妻と子供たちも懸命に手を合わせて面の君の回復を祈ります。

 でも、面の君にはその景色すら恐ろしくてたまりません。と同じ顔たちが、自分を呪っているような気がしてなりません。よくもこんな顔にしてくれたな、と罵られている気すらしてきます。

 面の君は立ち上がり咆哮を上げると、自分の顔を掻き毟ります。布は血塗れになり、赤く染まった両手の爪は長く伸びています。彼の額からは二本のが生え、真っ赤な顔からは眼光が鋭く光っていました。

 面の君だった男、いや、赤鬼は涙を零しながらもう一声叫ぶと、そのまま家を飛び出しました。


 一同はその様子をただただ見守るしかありませんでした。子供たちの内の一人がぼそりと呟きます。

「父上が……あんなに賢くて優しくて、父上が、鬼に成ってしまうなんて……。この世のものとも思えぬ美しさで世を乱さぬためにお隠しになられていた、あのお顔を……あんな、引き裂いてしまうだなんて……。」

 妻と子供たちは涙を流しながら頷いています。反面、妻だけは別のことを考えていました。

(どうしよう、旦那様がいないと隠れ蓑が……男なんてどうなろうと知ったことないけれど、世間体が……)

 悲しみに暮れているように見える妻の肩を、近従の侍女が抱き支えます。妻と侍女は示し合わせるように目線を交わします。妻のその目線は、面の君には決して向けられることのなかった熱を帯びていました。

 一同は様々な思いを抱きながら、美しい赤鬼が空けた穴を見つめ続けるのでした。




 ――――その後数十年、宮中には面の君そっくりな美しい者たちが見受けられたとさ。

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醜い鬼 白藤 桜空 @sakura_nekomusume

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