第9話

紅い竜が咆哮を上げながら喰らいつくが如き勢いで次々と丘を駆け下り突っ込んで来るのに対し、敵軍は不意を突かれた形で反転し応戦することも叶わず体制は一気に崩れてしまい千代たちの追撃どころでは無くなった。


趙雲軍の助勢により無事、川に架けられた橋を渡り切った千代たちは逃げ延びていた群衆に取り囲まれ口々に感謝と労いの言葉を投げ掛けられる。


「千代殿、俺はこれから戦場へ引き返し趙雲たちに加勢しここに無事、連れて来る」

黄忠を背中から下ろし周囲の者に手当てを頼んだ張飛は彼女の前でそう願い出た。


全身、汗まみれでさすがに疲労の色も見えるこの男に行くなと止めても無理であろう・・・

「張飛、お前には済まないけどそうしてくれますか?」

「彼らを1人でも多く連れて無事に戻って来て!」

最後は泣きそうな顔で千代は言った。


「ありがとう御座います! 俺は千代殿を置いて死んだりしないから安心して迎撃の準備しといてくれ」

笑顔でそう言うと替え馬に跨り戦場に消えて行った!

心配そうな目で張飛を見送っていた千代に

「何という思いやりのある御言葉、張飛もきっと喜んだに違い有りません!」

「儂も張飛も命尽きるまでお仕えするに余りあるお方です」

手当てを受けながら黄忠はそう言って慰めてくれた。


趙雲は丘の上から千代たちが追い詰められているのを見ると敵軍の弱い箇所から侵入し混戦の中を突き抜け橋を渡り対岸へと向かう作戦をとった!

立ち塞がる敵兵のみを撃破し巨人を避けながら先頭を駆け全軍を率いるのが彼の戦い方なのだ。


対岸に渡りさえすれば馬1頭が通れるだけの粗末で狭い橋であるからどれほどの大軍でも防ぐのは容易い

問題は全員が渡り切るまでその地点を確保しなければならぬことであった。


そこを確保するのに最も過酷で重要な地点に向かう趙雲の視線の先には槍を地面に突き立て敵の襲撃を待つ男が仁王立ちしていた・・・張飛である!

敵を突破した彼らはそのままの勢いで素早く橋を次々に渡って行く。


趙雲は張飛のもとへ駆け寄ると頷き合った

決死隊を組み、その地を確保すべく指示を与えて張飛の横に立つと初めて言葉を掛けた

「遅れて申し訳ありません・・・御無事で何よりです」

趙雲がそう言うと

「何を言われる! お蔭で我が主君は無事、逃げられた」

睨んでいた敵方向から隣りの趙雲に向けた笑顔は大きな身体からは想像もつかぬほど人懐っこいものだった。


「これからは僕も張飛殿と同じく千代殿の下で働きたいのですが推薦して下さいますか?」

趙雲の問い掛けに

「それは構わぬが我が主君は少々、乱暴ですぐ蹴られたりするからそこは辛抱して下され」

張飛が冗談っぽく笑いを交えて言うと

「それは張飛が千代をからかったりするからでしょ!?」

背後から馬を寄せたクラリスが棒で張飛の頭をコツンと叩きふくれっ面で訂正した。


「そうだったか!? そうだったかも知れんなぁ?」

「千代殿は向こう岸に居るから早く行って元気な姿を見せてやるんだ・・・お前のことを心配してたぞ」

張飛が叩かれた頭を押さえながら言うと

「ホント!? じゃあ先に行くよ! それと死んだら許さないから絶対に帰って来てね」

クラリスはそう言うともう1度、張飛の頭をポカリ叩いて走り去って行った。


その様子を見ていた趙雲は大笑いしながら

「張飛殿のような豪傑でも勝てない人は居るんですね?」

「あいつはまだガキだからな!? 我が主君の千代殿までも呼び捨てにしやがる・・・困ったもんだ」

照れ笑いしながら張飛は言ったが真顔になると

「さあ、生きて帰る為には気合い入れないとあの数では一気に揉み潰されてしまいかねんぞ!」

地面に突き刺した槍を引き抜くと盾と一緒に身構えた。


まだ全員の渡河にはもうしばらく掛かりそうだ

趙雲も盾と槍を構え一歩も引かぬ覚悟で身構える!

敵は正面から物凄い勢いで迫りつつあった。


「では趙雲殿、いざ参ろうぞ!」

張飛は一声掛けて敵前に突っ込んで行った

張飛の声に黙して頷いた趙雲も同じく続いて突っ込む!

真っ赤な血が空と大地を染めるかの如き大乱戦となり2人の姿が敵の中に見え隠れするうちに死体の山が築かれて行く・・・

味方さえも唖然とするほどの強さである。


どれくらいの時間が過ぎただろうか・・・?

決死隊も半数以上がやられ限界が近づいて来た頃

「渡り終えましたぁ! 早く渡河してお引き下されぇー!」

その声を今か今かと待っていた如く、疲れ切った体を馬の背に預けながら次々と渡河して行く。


張飛も趙雲も全身を真っ赤な血で濡らしながら敵軍の中から抜け出すと橋へと向かい渡り始めた!

敵がそれを黙って見逃すはずも無い、2人を追って橋を渡ろうと押し掛けた。


「ヒュン!」

風を切り裂くような音とともに弓矢が先頭の敵の額を射抜くとその次の敵の首に突き刺さり2人とも倒れた!

それを乗り越え進もうと試みた敵もまた射抜かれる。


次の敵も・・・また次の敵も・・・同じだった!

川向うまで100メートルは有ろうかと言うのに寸分の狂いも無く矢は敵の急所を一撃で貫いている!

対岸からその弓を放っていたのは黄忠であった・・・

2本、更に3本の矢を同時につがえながら次々と射抜き倒していく。


まさに神弓!

神技としか思えない弓矢は狙い澄ました敵を1度に何人も倒してそこから一歩たりとも進ませない!

やがて橋は死体で埋まり容易に進めなくなった。


趙雲を抱きかかえた張飛が橋を渡り切ると橋は切って落とされ川面を流れて行った

犠牲となった者は数え切れないほど多かったが何とか虎口を脱出することが出来た瞬間であった!

千代を中心に大歓声が湧き上がる、

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