虚実は揃い、白紙が残る 34

「いいっ、突っ切るわよっ」

 再びハンドルを切り返したおれんじの頭上をドローンは追い越していった。

 目指して駆け出した治安局員は、おそらく位置を把握したからではなく、ドローンの行方を追ううちに猛烈な速度で移動する光を目にしたからだろう。そんな治安局員へ向かいおれんじの手首が、ひとたびドゥカティのエンジンを唸らせる。ついに目の当たりとして治安局員らが、慌てふためき強制認識音声で警告を発した。

 しかしながら突進してゆくドゥカディにこそ聞く「耳」はない。

 ホイッスルが吹かれ、装備の肩で赤色灯が回転する。

 倉庫どころか地を揺るがすようなサイレンは港一帯に鳴り響き、それすら蹴散らしドゥカティは治安局員の間を突っ切った。

 向かい放たれたゴム弾が背で砂地を弾く。

 仕事を終えた「ヴィホッド四三」の門扉はといえば、行く手でゆるゆる閉じられつつあった。

「抜けるっ」

 譲らないおれんじの手が、またアクセルをひねって吹かせる。素早く入れ替えたクラッチでまさに赤馬へムチを入れた。

 応えるドゥカティが熱いガスを吐く。

 今まさに閉じようと門扉は左右に迫り、その隙間を射抜いた。

 敷かれたレールに乗り上げた車体が高く跳ねる。

 エンジンの音はいっとき途切れ、真空のなかにドゥカティは舞い上がっていた。

 閉じた門扉の音が背後で重く鳴り響く。

 脳天を着地の衝撃が突き抜けていった。エンジン音は舞い戻り、タイヤに弾かれた砂利が辺りへ飛び散る。

 ひゃっほう!

 雄叫びはごく自然に。

 遠ざかる警報音がもう間抜けとしか聞こえてこない。

 さいこうっ!

 おれんじの上げた声が風に散り、空もまた渾身の拍手を降らせた。

 浴びていずれかへ戻るとして、工場地域までまだいくらもある。そしてそもそも先のことは何も考えていなかった。ただ尻ポケットの「現金」を確かめる。指先で慎重に引き抜くと、隅から隅まで目を這わせていった。

「ぎゃああああ。クロっ、そんなものしまっておいてよっ。ぎゃあああっ」

 気付いておれんじがドゥカティの上を戦場に変える。

「何言ってんだ。これを狩りに行ったんだろ」

「降りて、降りなさぁいっ」

 聞きながら空へ「現金」を振りかざした。

「どうだ十七分っ」

 やってやったさ。

 見せてやりたい。

 噛みしめれば張り詰めていた気持ちもほうっ、と芯から和らいでゆく。

「もう、そんなの盗むバカにあたしが手を……」

 毒づいて振り返ったおれんじの目が、大きく見開かれてゆくのを見ていた。

「クロっ」

 声は上がってあらぬ方向から駈け込んできた野津川らに、芝の上の参加者らは振り返る。視線を一身に受けて野津川と文倉は、その中を煙突へと走った。

 だが登っているような時間がない。

 組まれた下を潜り抜ける。

 ただ中で空を仰いだ。

 かまうことなく真上へ飛び込んでくる光はあり、ぶつかる、と野津川が身構えた時だ。触れることなく光は弾けて散ってゆく。

 ひとたび空へ遠ざかる様を追いかけ手を伸ばしていた。

 そんな手のひらもまた、見る間に先からほどけてゆく。

 ほどけてはらり、舞い上がっていった。

 ああ、と思う体のどこへ力を入れればいいのかが分からない。ただ熱く、駆けてきただけとは思えぬ何かが、そんな手のひらからジウウと染み込ん来る。染みて腕は目の前で、光の粉と砕けて散った。再び飛び込み散った誰かと混じり合えば、それはもうどちらのものかが分からなくなる。

 文字にしておきたかった。

 光景を記憶へ強く焼き付ける。

 ままに隣へ頭をひねっていた。

 文倉は見え、ぼうんと大きく弾けて散る。

 続け様だ。

 野津川も。

 散り解けると夜空へ光をばらまいた。

 引きずりなびかせドゥカディは走る。

 遅れてきりきり紙切れもまた、吸い込まれるように彼方へ一枚、飛び去っていた。

 見送りおれんじは歯を食いしばる。

 切り裂く闇を睨みつけた。

 背後から追い上げてくるサイレンは閉じたゲートを再稼働させた治安局員たちのものだ。だとしても、軽くなったドゥカティの加速はとうてい彼らの及ぶところにない。



 しこうして小説は完成すると締めくくられた。

 その際、手が加えられたことは致し方ない成り行きだろう。

 その日、ヘルパーと教えられた住所へ辿り着いたまことは、鍵のかかっていなかった野津川の部屋へ上がっている。窓からの景色に、あら、よく見える、とだけ言ったヘルパーからパソコンの存在を教えられ、中に納められた小説を持ち帰った。

 まことはこれもまたいつも通り練習がてら、学び始めた英語点字へ翻訳しなおしている。

 それは山から射す光が静かに噂されるようになった頃だ。

 小説はごく限られた人々のあいだで指に触れることとなった。タイトルがつけられていなかったせいでそれ以上、小説が人々の前へ出ることはなかったが、限られた中だろうと読む人を楽しませたと言う。

 果たして成り行きを野津川は想像していたろうか。もしかするとタイトルをつけそこねたせいで悔しがっているやもしれなかった。

 だがこの話もまたルーターに残されたアルゴリズムの紡ぐ夢の続きなのかもしれず、いずれにせよ確かめる術を誰も持たない。

 ただこうして物語だけが残った。

 誰の物語だろうと、物語だけは残り続ける。

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