虚実は揃い、白紙が残る 29

「デカいヤマ、って何を」

 政府のシステムへハッキングすることをやめてからしばしば衛生局のサービスを利用した。

 もう、おれんじがとやかく言うことはない。動作の保障されていないジャックを片耳ずつ分けて一晩、試したことさえある。そのせいでか臨場感の薄れた夢は狭い視界のモノローグへ様子を変えると、続きを投影しておれんじへも見てきた全てを明かしていた。目覚めたおれんじはといえば、大長編の映画でも見終えたかのような具合だ。ベッドの上で背伸びすると、はまぐりかと腹の上へどうんと乗って、まだ赤い目を向けそう問いかける。

「誰も知らないような、まだ誰もヤったことのないような大物がいい」

 だからして返して枕元に探すのはサングラスだ。見つけ出せたならおれんじの鼻へ乗せてやった。

「知らない、か……」

 片手のせいで歪んだそれはどうにも間抜けだ。かまわずおれんじは尖らせた口で考えあぐねている。

「ここも向こうも両方を知っているお前の方が思いつくんじゃないのか」

「いい、クロ」

 と、急に口調を引き締めた。

「知らないものは探せないの」

 態度こそ憎たらしくて仕方なく、頬をつまんで引っ張ると、サングラスのみならず歪んだ顔を笑ってやる。

「失礼なひと」

 即座に切って払うおれんじは、正しい位置へサングラスを押し上げなおした。

「俺は宅配車の荷しか知らねぇし、お前とネットのマネーをちょろまかしただけだ」

「ふふん。何千万ってね」

「まぁな」

 だとして一度も触れた試しのない、それはただの虚ろな数だ。まるで実感なんてものはなく、証拠にいまだ吟味するおれんじも、転がり降りた隣で天井を仰ぐと曖昧な記憶の数をかぞえなおしている。

「それとも億かしら」

「どっちだろうと画面に灯ったただの数字だ。何もかわんねぇよ」

 いや。

 瞬きはそのとき火花を散らすように繰り出されていた。

 そう、空しいほどに実感がないのはそれが「実在しない」方だからだ。そして「実在する」方はといえば、すでにないも同然のモノと化している。ならそれこれこそが伝説で、「誰も知らない大物」にほかならなかった。「現金」はヤれば最後にふさわしい大モノと脳裏で閃く。

「なあ」

 むくむくと「その気」が頭をもたげていた。

「あら、クロにはちゃんとした取り分、振り込んでるわよ」

「違う」

 遮り、挿したままのジャックを耳から抜く。

「現金だ」

 言葉にぎょっ、としたおれんじの挙動はあますところなく伝わっていた。

「そいつを、狩る」

 とたんシーツは奪われ、奪ったおれんじが逃げ出してゆく。蹴散らさてはまぐりはマシンの上へ飛び上がり、十分距離を取ったおれんじは、壁際で爪先立つと声を張り上げた。

「あなたばっかじゃないのっ。自分が何、言ってるか分かってるわけっ。げっ、現金よっ。ゲ、ン、キ、ンッ。あんな、誰がどれだけ触ったか分かんないような汚いモノ、狩るってどうかしてる。いくら誰も知らないからって他にもあるでしょっ。あたしは、あたしは、ぜぇったい、ぜぇったい。ぜ、え、た、いっ。いやよ。同意できませんっ」

「何もお前に触れ、っつてんじゃねーよ」

「いいこと」

 突き付けた指の向こうでおれんじは、これでもかと目を細める。

「その手であたしに触れたらコロスからね」

「あのな、これほどうってつけのヤマはない。ついでに政府から切り離される経済活動に代わって伝説の復活、ってあんばいもオツだろ」

 挙げた手で無実を証明した。様子がおいで、おいで、をしているようにでも見えたのか戻って来たはまぐりが、かいたあぐらの上へ乗り悠々身を丸める。

「見ろ、はまぐりも俺に一票だ。なあ、現金は本当に使われていたんだよな」

 様子におれんじは呆れ返った様子だった。

「ええ、まあ、そうね。前世紀の交換手段として確かに活用されてた。もうクレイジーとしか思えない。いちいち持ち歩くだなんて危険で不便だし、不特定多数と共同利用。不潔の極み。だいたい金属はただの金属で、紙はただの紙じゃない。そこにダッサい印刷ほどこしただけで国境国がニセモノの『価値』を、しかもバラバラに上乗せするからややこしいことになるのよ。野蛮で愚か。愚鈍で膨大。滅びて正解だったわ。それを狩る? 復活させる?」

「きっかけになりゃいい。で、使われなくなったその後、どうなった」

「廃棄に決まってる」

 言い切られて、あぐらの上に頬杖を突いた。

 と、正確さにこだわるのはおれんじのかつての職業病だ。引っかかるところがあるらしい。

「いえ、違ったかも」

 詰めた眉間で呟く。いつの間にかズレたサングラスをまた正しい位置へ押し上げ、シーツを巻き付けなおすと綿アメのようになった体で埃をかぶり始めたマシンへ向かう。前へ久方ぶりと腰を下ろした。

「おい」

「少しだけよ」

 止めるが手はもう電源を入れたあとだ。気が気でなく、はまぐりを抱えこちらも傍らへ急いだ。

「確かに廃棄はされたの」

 いつものスクリーンを立ち上げる。これまた長らく使っていなかったバックドアを開くべくおれんじは、詰まることなくパスワードを打ち込んでいった。眠りを妨げられたはまぐりは腕の中で暴れ出し、逃がしてこちらもそんなスクリーンへ前かがみとなる。

「けれど例外はあって、ひとそろえ分だけが実体のないマネーの原器として保存されてるって話、聞かされたことがある」

「げんき?」

「基準になる実物。長さにも重さにもある」

 バックドアから侵入したおれんじは早くもサーバーの中を走っていた。

「だいぶ様子が変わってる……」

「つまり画像やレプリカじゃない、どこかにまんまが残されてるってことか」

「そう。どこだったかな」

 そんなおれんじの腕もカンもそして集中力もだ。目を傷める前と何ら変わらなかった。次第にスピードを上げてゆくスウインドの明滅がそれを証明し、やがて「あった」と知らせて画面は固定される。

「博物館。そこに保存されてることになってるわ」

 プログラムの羅列から読み上げて、今度は博物館の情報を収集をし始めた。進むにつれて情報は、読み下して判別できる記事へ、映像へとすり替えられてゆく。洗うように、スクリーンの上を無数の文書と写真画像がスクロールしていった。

「クラスナヤ、プティツァ?」

 最も大きく引き出された博物館と思しき洋館の画像には、そう名前が振られている。

「聞いたことねーな。どこだ」

「待って」

 進めながらもおれんじは感知されることへの警戒を怠らない。なにしろ華奢なマシンだ。一度、尻尾を掴まれたなら力負けしてバックドアはもう二度と使えなくなるだろう。

 だからして危惧していたことが起きたのかと思っていた。踊るようだったおれんじの指はそのときコンソールの上でピタリ、止まる。

「うそ」

「どうした」

「三日、じゃない」

 吐く言葉の意味が分からない。

「三日?」

 止まっていた指の動きが再開される。そうして呼び寄せたのは移住先へ向かうための港、その遥か上空からとらえた広大な俯瞰映像だった。

 地平を覆うほどの敷地に円形と敷き詰められた耐熱タイルが水玉模様と並んでいる。それぞれの中心には鉛筆のような白いロケットが天を指し立てられていた。所々に見える白いモヤは発射を控えたロケットから漏れる冷却剤の蒸気で、今まさに飛び立たんと支えるブリッジを倒しているものもある。音声はなく、膨大な粉塵を巻き上げながら初めはゆっくりと、次第に加速しながらロケットはやがて地球を離れていった。様子はただただ雄大だ。新天地を目指す力強さにあふれている。

 だが映像へは目をやらずおれんじは、サングラスの下へ潜り込ませた手で顔を覆った。何事かを罵ったかと思えば振り切り、睨むような視線をこちらへひとたび投げよこす。

「博物館の中身は三日後、移住先へ打ち上げられる」

 驚かぬはずがない。

「マジかよ」

「こんなの、本当に狩るの?」

 指を映像へと突き付けた。

「間に合うのか」

「今すぐ行けばね。でも相手は宅配車じゃないわよ。宇宙行きの荷物は力でどうにか開けられるものじゃない」

 つまり、と思えば、言う顔をまじまじと見つめるほかなくなる。だから何事かを罵ったに違いない。おれんじはヤケクソ紛れと続きをまくし立てていった。

「そう、あたしがシステムへ介入してロックを操作するしかないのだけど、そうまでして狩るのが現金、っていうのがどうしても納得できないぃっ」

 立てた爪が宙をひっかく。

「それでもクロ」

 そうして向けなおされた眼差しは、一切の冗談を許さなかった。

「やるのね」

「もちろんだ」

 返せばおれんじは、あー、だの、うー、だのまた呻いて身を震わせ、再びコンソールへがば、と覆いかぶさる。

 やがて発射の正確な位置と時間は、それまでのタイムラインは把握されていった。おれんじが心底、嫌う雑菌は宇宙へ旅立つにあたってすでに滅菌処理が施されていることを突きとめ、収納されたコンテナ番号に、格納されている倉庫の位置を入手する。途中、はまぐりも参加すると鳴いて休憩を促し、計画は半日も経たぬうちに完成目前まで組み上げられていった。

「でも引っかかるのはこのレンズなのよね」

 その最後に立ち塞がったロボットを、おれんじはスクリーン越しに爪で弾いてみせる。

「フレームに入ると顔認証が作動して治安局に通報される。港の外周は治安局員の管轄。飛んでくるわよ」

 フルオートメーション化された港に労働力としての人間はいない。代りに積み荷を管理して、クモ型の棚卸ロボットは働いていた。その頭部には全方位カメラが付けられ、警備員さえいない港でロボットたちは荷の積み下ろしの傍ら警らも行っているらしい。

「俺のピックアップがなけりゃ、それもお前がいじれるだろうけどな」

「バイクのハンドルを握って、さすがにそれはできない」

 それきりだ。おれんじはへの字と口を閉ざした。向かって相手をしろ、とはまぐりは身をすりつけ、それでもおれんじが振り向かないならヒザの上へと飛び上がる。

 体を、邪魔しないで、とおれんじは払った。

 器用にすり抜けマシーンの上へ飛び上がったはまぐりは、やおら大きな欠伸を放ってみせる。

 向かっておれんじが手を伸ばしていた。

「はまぐり、今はだめ」

 そんなまぐりはといえば今、スクリーンからの光でまさに影だ。

 目にしたとたん気付けたのは、まさに同時だった。

「クロっ」

 弾かれたようにおれんじが振り返る。

「映り込んだところでこれだけ光りゃ、俺はおそらく識別できない」

 それは夢を分け合ったからだ、というほかないだろう。

 目立つと狩りをやめたはずが、こんなところで役に立つなど皮肉が過ぎた。だがどうだろうとかまいやしない。うなずき返すおれんじと、かつてのように顔を突き合わせる。ニンマリ緩めて振り上げた腕を、右、左、宙でクロスさせた。拳もまた突き合わせる。弾けんばかりに笑い合った。

 出発するが、ここへはもう帰らない。

 荷物をまとめ、おれんじはこれからの段取りをモバイルパソコンに託し、部屋のマシンを破壊した。

 はまぐりへはいつもより余分に猫缶を開けてやり、最後の夢をおれんじと分け合う。

 その日に限っていつも以上、眠つけないのは明日を控えているせいだろう。だが夢はもう明日を導く大事な暗示で、こんな時だからこそ見ておきたいと堪えてじっとまぶたを閉じた。

 もう暗くはならないそこでむしろ、鼓動が早くなるのを感じ取る。

 眠りに落ちるはずの体には尋常でない変化の予兆があった。

 それは目覚めて駆け出したい衝動に駆られたあの時に似て、

 どこか……。

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