虚盗の魚 27
信じられない。
いや、信じたくなどなかった。
「って、おまえ……」
「うつったんじゃねぇの、お前の。一緒にいすぎたかなぁ。俺よ、トモダチ思いだから」
すくめられたろう肩に毛布はわずかと持ち上がり、十七分は精一杯と冗談めかす。
「お前ン家、出てすぐだよ。気づいたら服ン中が光っててよ。あれよあれよって具合だぜ。見る間に全身がコレで夜も眠れねぇ。お前なんかもうぶっちぎりだっつーの。止まんねーよ。こちとらアタマ、おかしくなりそうだ。なあ、見ろよ」
足を踏み出した。拍子に毛布は滑って落ち、まるきり夢で見た通りだ。光り輝く人型は目の前に現れる。
「俺、もう、死ぬのかな」
「ま、さか」
いやそれとも、これこそ夢物語か。
「バ、バカは死なねーんだよっ」
返して一歩、また繰り出された足についぞ後じさる。
逃げるのか。
聞えたような気がしてそれきり動けなくなった。
「わかんだよ」
前で十七分が頭を振っている。
「だって俺の、体だもんなぁ」
声には今にも吹き出しそうな嗚咽が滲んでいた。
「だから最後にお前に会いたくてよぉ。って、笑わせんなよっ。なんでお前が最後に会いたいヤツなんだよ。キモチ悪いだろ。でもよ、独りで消えたかねぇんだよ。だからって他にうつしても後悔するだろ。俺って気の利くヤツだからさ。そりゃ最後くらい良い事させろってハナシだよ。な、お前だって恨んでないんだぜ。うつされたって恨んでねぇから。だからこうして呼んだんだろ。分かるだろ、な。な」
すがって一歩、二歩と、十七分の声を放つ人型は近づいてくる。
「って、落ち着け。落ち着けよ。医者は、医者へは行ったのか」
なら、んああ、とつまらなさげな声は聞こえていた。
「でも予約待ち。移住者順だとよ。あいつら予定が詰まってやがるからだ。たいがいにしろよ。ここでも後回しかよ。ふざけんな。もう、もたねぇんだよ。おかしいんだよ。なぁ、クロ、助けてくれよぉ。また一緒にヤるんだろ。だのにまだ死にたかねぇよっ」
訴え悶える体から、光が剥がれ散ってゆく。それはかつての肉であり、もはや肉を失った十七分の魂の一部だ。
「怖い、怖いんだよ。ナカで何か起きてやがんだ。な、かぐや姫とか言って悪かったよ。謝るから助けてくれ」
触れんばかりと手が伸ばされた瞬間だ
「たすけっ……」
ブルッと十七分はその身を震わせた。とたん振り払われたように光は、むわ、と大きく膨らむ。
散る。
感じたと同時だ。
「十七分ッ」
体へとこちらこそ手を伸ばしていた。押し止めて抱き締めたはずが絡めた手から両の脇から、膨れ上がった光は一陣の風となり逃げて行く。残された服だけが床へ落ち、追いかけるように散ったはずの光も宙で動きを止めるとそこからさらさら、砂かと床へ剥がれて落ちていった。
止まったきりの息が吐き出せない。
震えてようやく、腹の底から絞り出す。吸って十七分の光もまた吸い込んだなら、事実に猛烈な吐き気をもよおしえづいた。そこにはまだほのかに光を残して積もる十七分の山がある。見つめるうちにもそれは輝きを失ってゆくと、今にも消えてなくなりそうに小さくしぼんでいった。
待てよ。
這いつくばり中へ指をくぐらせる。急ぎかき集めて上へ体でフタをした。だが漏れる光がまぶたを射したのはごくわずかな時間で、やがて冷えた床だけが腹の下に残される。
空を握りしめていた。
指に脱ぎ捨てられた服が絡んで力の限り、振り上げ床へ叩きつける。
なにを叫んだのか覚えがない。
それきりバカのように、ひたすらうずくまり続けた。
状況を、顛末を、理解するにはそれだけかけてもまだ足りず、ようやく立ち上がれたのは一人きりである、と今さら気づけた後だった。
またいだはずのチェーンに足を引っ掛け転ぶ。追い出されたかのようにショッピングセンターを後にした。
マンションへと歩く。
なんであいつが。
十七分のことをただ考えた。
なら蘇るのはあの鼻歌で、紡ぎながら部屋を後にしたあの日を思う。
それで十分じゃなかったのか。
何か恨みでもあるのか。
腹立たしいのは、そう、いつからかこみあげてくる怒りは、馬鹿にしやがって、と歩みへ力をたぎらせる。叩きつけて辿り着いたマンション前に、赤いドゥカティは停められていた。洗練された曲線の、傷ひとつないボディがただあてつけがましい。
こんなことならもう一度、組んでやればよかった。
それだけしか、してやれたことは浮かばない。
だがもう手遅れで、たずさえ部屋へと風を切る。
ままにドアを引き開ければ、大きな音に弾かれおれんじが振り返っていた。
何もかもお前らのせいだ。
「帰れッ」
手を振り上げる。唖然とするおれんじが組み上げつつあるマシンの前から動こうともしないなら、歩み寄って首を掴むと玄関へ押しやった。
「やめてよ、クロっ」
言う目は真っ赤と充血している。
「もう終わりだッ」
「何のこと。離してっ」
暴れるおれんじが頬を、胸を、押して叩いて抵抗していた。振り回した手でヘルメットを壁から剥ぐと、力の限り投げつける。払えば拍子に緩んだ手元からおれんじは抜け出していった。
「まだ途中なのっ」
「十七分はキエタんだよッ」
吐き返えせば思いがけない言葉にか、それとも口にした顔がそうさせたのか、おれんじは赤い目を見開く。
「暗がりで。光になって。チリみたいに。跡形も。もうあいつはいねぇよ。あいつだけじゃねぇ。誰も俺も、光ってようがなかろうが。遅かれ早かれ、お前が助けようとしている奴らはみんな。何をやっても無駄だッ。お前に出来ることはない。目障りだ、とっとと帰れッ」
「うそ……」
いや、言いたいのはこちらが先だろう。
だというのにまだ説明させる気か。
本気で殴らせるなよ。
言葉は胸の中で渦巻き、ままに睨み合えば動かないおれんじの思考の長さだけ沈黙は流れた。
やがて静かにおれんじの唇は意志を取り戻してゆく。強く結びなおされたならしばし震え、震えたからこそ隠してこう言葉を弾いてみせた。
「……そんなことない。約束は守る。それだけ」
薄い体が傍らをすり抜ける。
折りたたんで再びマシンの前へ屈み込んだ。
「聞こえてんのか」
目で追おうと振り向きもしない。
「聖人面はやめろってんだッ。お前らが決めたんだろ。ポンコツはいらねぇって。ああその通りだ。救っていったい何の価値があんだよッ」
と、おれんじの、マシンへ伸ばされていた指が動きを止める。ほんのわずかと髪は揺れ、肩越しに冷ややかな視線は投げつけられていた。
「……そう十七分へも、言ってやれば」
言葉には衝撃も痛みもない。ただ次の瞬間、ヒステリックと声を上げたおれんじに、受けたことだけを知らされる。
「男だろっ。泣くなクロっ」
頬へ手をあてがった。滲んで、ぬるく、なんだよその古臭いジェンダーは。言えず、もう隠すこともできなくなる。
「ママにバレた」
放って動き出したおれんじの手元に迷いはない。
「もうどこにも帰れない。あたしはここでやるって決めた」
そうして組み上げられたマシンは、以前、使っていたモノとは比べものにならないほども小さかった。窓を塞ぐどころかその半分もありはせず、そんなマシンでおれんじは存続の可能性を探り始める。
当然、作業は何から何まで困難を極めた。手足と駆使してきたAIの支援も見込めなければ、サーバーへ入るためのパスワードも全てが無効だ。そもそも一人の手に負える量ですらなく、唯一、味方するものがあるとすれば事態を考慮し設えておいた貧相なバックドア、一枚となる。
諦めないおれんじはそこからサーバーへ潜り込むと、作業に全てを注ぎこんだ。
削がれて日に日に消耗してゆけば、その体へこちらはせっせと飯を食わせる。掃除に洗濯も大事な健康管理の一環だ。脇目もふらぬ周囲を整え、必要とあれば手伝い、暗くならない部屋で互いは堰を切ったように抱き合いもした。
窓の外でやがて小さく季節は変わる。
近頃ヒゲが伸びなくなったなと思えば、光に紛れて見えづらいだけだと知らされた。はまぐりはすっかり大人に変わり、こちらの体調は変わらず、夢はあれから試していない。
マシンは三度、修理を必要とした。
一度、治安局を恐れて部屋から逃げたこともある。
そのとき、しばらくぶりに見た宅配車の列は間引かれると、閑散と通りを流れるばかりに変わっていた。なるほど移住が進み、順を待つ者も賑やかな場所へ転居してしまったらしい。一帯は輪をかけゴーストタウン化すると明らかに空気は澄み、人の気配だけがまったくもって失せた。
それは何事も起きず作業へ戻り、しばらく経ってからのことだ。酷使し続けた両目からおれんじは、文字通り血の涙を流した。
失明の恐れがある。
医者の説明は事実のみとあっさりしている。
ごめん。ウソつきだ。
詫びるおれんじに若さはない。
一緒にいるなら眩しいだろ。
作業の一切は禁じられ、そんなおれんじへサングラスをかけてやる。
さかいにしてマシンはオタクなインテリアへと姿を変えた。
事実を知っているのは自分だけだと思い込んでいるせいか、世界はフィルターをかけた向こうで何ら変わらず、いや変われるはずもなく、今日もそらぞらしく動き続ける。毎日は気抜けるどころか味すらせず、味がしたとして無に帰すだけで、己の光ばかりがますます強くなった。なって、その眩しさにまぶたを閉じてもうまく寝つけなくなる。
開けた猫缶を床へ置く。長い尻尾を揺らすはまぐりはあと十五年も生きるだろうか。惜しみない食いっぷりに押され漠然と考えた。
「クロ」
視界の中に降りてきた手は、そんなはまぐりの背を柔らかと撫でている。屈み込んだおれんじは、だいぶと伸びた髪を耳へかけなおしていた。
「消えちゃう前に」
話はもう何度もしている。
「クロと組んで狩りがしたいよ」
だが聞かされたのは、これが初めてのことだろう。
いや、すでにどこかで、と思い出す感覚は過り、記憶を探れば体は時間へ落ちるに等しく、飛び込んだ記憶の中で飛沫は眩いばかりと飛び散った。前に群衆は歓声を上げ、詰め込んだ「ゾフルーザ」は揺れると「もう一度組んでやろうぜ」、身を乗り出した十七分が唇の端を持ち上げ笑う。
おそらくあのとき十七分は、噂が本当なら有能なおれんじは必ずここを去ると気をまわしただけだ。だが突っぱね後悔させたのは十七分よりこの自分で間違いない。
こんなことなら。
のぞき込む十七分の目が胸の奥を鷲掴む。つぶされて胃袋ごと吐きそうになりのみ込めば、知っていてなだめるようなおれんじの手がまた短い毛並みを撫でてみせた。
その生き物の名は「はまぐり」だ。
無邪気と名付けた親は十七分で、やおら今になり解けた謎に一人、目を見張る。
見えないから、聞かせてやらないと。
「はまぐりはいい子だね。今日もきれいに完食できました」
唱えるたび、それはあった。
何者であるのかなどさておいて。
姿を消そうと失せずそこに在り続ける。
ぐるり、はまぐりは口のまわりを舐めて拭うと、呼びかけたおれんじがやがてこちらへ顔を上げる。
「知らないままだと後悔すると思う」
急激に目頭が熱を帯びていた。
いずれ無と失せるなら、希望も何もありはしない。
違っていた。
突き付けられてもなお言えることはある。
ならば失せようとも変わらないことを。生死を問わぬ希望をもちゃあ、それでいい。たとえそこに「己」が残ることはなくとも、そいつを叶えりゃぁ、それでいい。無駄だと駆逐すべきは「希望」ではなく、いずれ死すほかない「己」だった。
そうすれば猫にさえ姿を変えて日々、平然とあり続けるだろう。
忘れていた感覚が、五感へ舞い戻る音はとたん身の内から響き出す。
なら捨てきれず希望はあった。
胸も勝手と躍り出す。
やってやろうじゃないか。
ひげを舐めるはまぐりへ、腹の底から言ってやる。
陸へ上がって来い。
応えてやれなかった十七分の分も合わせてだ。きっちりカタをつけてやろうじゃないか。
そんなこちらをおれんじは、返事を待つとじっと見ている。
「……おう」
向かって吐き出していた。
ならおそらくこれが最後だ。
「やるなら派手にだ。とことんデカいヤマをやるぞ」
誘えばじんわりと、蒼白かった頬は押し上げられてゆく。サングラスは浮き上がって、全身でうなずき返すたおれんじに小さく髪も跳ね上がった。
見届けはまぐりを抱え上げる。呼びかける名はもう、決まっていた。
「おまえも一緒だ、十七分」
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