白紙に虫 25
こちらは広場になっていまして。
斜面を戻って炊事場を回り込んだところ、野津川らは空が濃紺のふたをする芝の広場へと出る。
まるで煙突だ。
見上げていた。
ほどに口が開いてゆくのは高さのせいで、野外ライブのセットを思わせるスチール製の簡素な足場は中央に、幾段もいげたと組まれそびえていた。のみならずそこには辛うじて人型であることがうかがえるほど強く光り輝く人が乗っている。一人や二人でないなら眩しいほどの輝きをまとうと目に飛び込んで来ていた。
「あっ」
中ほどの段に腰掛けていた人物だ。ためらうことなく煙突の中へ身を投げた。喉から思わず声はもれ、光の尾を引き真っ逆さまとその人は煙突の中を落ちてゆく。落ちて左右に手を広げていった。瞬間、地から吹き上げた風に、いやそう感じるほどの勢いだからか、指先が、足先が、光の粒と砕け散ってゆく。見る間に四肢は縮んでゆくと、最後、残る胴もまたひと思いと砕いた。
今やその人は煙突の中を光の粉となり吹き上がっている。
上がってポウ、と先端から、煙かと昇り夜空を淡く照らし出した。
照らして空からさえも消え失せる。
見送って声は周囲から上がっていた。叩かれる手は雄姿を讃えるかのようで、ならさらに上段からも、ぐるり囲った向かいからもだ。勢いついたように人々は次から次へ煙突の中へと身を投じてゆく。ぶつかる、と思えた地上すれすれのところで体は四散すると、光の粒よなり煙突の中を猛烈なスピードで駆け上がっていった。
指笛が細く鋭く鳴らされる。
夜空へ散りゆく光にうっすらと、拍手もまた沸き起こっていた。
煙突を取り囲み数多く人はいる。思い思いの場所に腰を下ろすと音楽を聴きながら、己の光を頼りに読書を進めながら、マグカップを片手にリビングかと、先ほどからこの光景を野津川らと共に見上げていた。
夕刻に皆さんをお迎えしているのは、できればネガティブなイメージを拭っていただきたいと考えてのことでして。
話す冬木の顔へ目をやることすら忘れてしまう。
ベランダからずっとこの光を眺めていたのだ。
光景はいまさらのように野津川の脳裏で強く瞬く。
顔も名前も、だ。
しかしながら知らぬ光は美しく、今もこうして目に、脳に、鮮烈と焼き付けられていた。
「いえ。ベランダからもう、じゅうぶん……」
そんな野津川の傍らで見上げていた一人がおもむろに、芝の上から立ち上がる。一枚、二枚と羽織っていたシャツを脱ぎ捨てた体はなお強く光り輝き、驚き振り向いた野津川の前から煙突へと向かっていった。きっと女性だ。教えるのは靴のカタチで、振り上げ女性は意を決したように足場を登ってゆく。
「先ほどの彼らが言うように、わたしたちは間違いなく特別でしょう」
高みを目指す背を追いながら、冬木が口を開いていた。
「他にいくらも病はありますが、あえて例を見ないこの病を発症したとこを我々は、選ばれたのだととらえております」
早くも三段目に到達した女性はといえば、しかしながらまだ止まろうとしない。
「最期はご覧の通りと予断を挟む余地がありません。この会は、選ばれたその意味を全うするためにも存在しております」
四段目に手をかけ体を持ち上げる。五段目へ差し掛かったところで上から手は伸ばされると、彼女を助けて引き上げた。そこを頂上と、彼女は二本の足で踏みしめ立つ。野津川なら腰が引けてしまいそうな高さから、堂々足元を見下ろした。
「……わか、ります」
声が少し震えたのは、その先をもう予感しているからだ。
なぞり煙突へ倒されていった体は十字架のようで、地面すれすれまでカタチを保った。触れるかどうかというところで違わず吹き上がる風に破れて四散する。これまで見た誰よりも大きく明るい光の粉は、煙突の先まで絡まりながら吹き上がった。
「会のみなさんはすでに夕食を済ませております。お二方は?」
冬木が誘っている。
光景にのまれていた文倉は、そこで初めて冬木へ顔を向けていた。
「いえ、まだ」
「ご覧になられてもかまいませんが、よければ先程の炊事場で休憩されてはいかがでしょうか。使い方もご説明させていただきます」
拍手が鳴りやまない。そこにすすり泣く声が混じっていることを野津川は、そのとき初めて聞いていた。
見物を続けられるほど冷静ではいられない。冬木が勧めるまま炊事場へ戻る。テントへ放り込んだ荷物から持ち込んだ食材を取り出し、文倉と共に起こした火でレトルトを温めた。示し合わせたわけでもないのにこういう時はカレーと相場は決まっているのか。持ち寄ったらっきょうと福神漬けを交換し合う。食べたがどこに入ったのか分からない互いに今、目にしたものをあれやこれやと話せる余裕はなかった。そもそも、と今さらのように気付かされるのはその瞬間が近づいた者はワークショップに来やしないということで、みな息を殺してどこかに潜むとその瞬間を誰の目からも隠している、ということについてだ。
だからして互いはあえて話題をそらし続けたが、ほどに動揺はあからさまとなる。
食後、冬木に教わった手順で後片付けを済ませた。
その頃になるとちらほら、奥の芝からテントへ戻ってくる光は現れる。テントへ入ればテントはまるで火を入れたランプのようになり、ぽつぽつ、と静かに山へ灯りをともした。野津川と文倉もその中へ混じる。
横になるが疲れと心地よさと興奮がないまぜで、寝付けそうな気がしない。備え付けられていた毛布をかぶって野津川は、ただ時間を持て余した。寝返りを打っては自身の光に浮かび上がったテントの布目をじっと見つめる。
「……のづさん、起きてます?」
向けた背から文倉の声は聞こえていた。
「うん……」
ぼんやり返して野津川は、改め口を開きなおす。
「眠れないね」
「散歩でも、します?」
誘う文倉はそれでいて懐疑的だ。
「それ、よけいに落ち着けないなぁ」
「ですよね」
証拠にあっさり折れていた。
また沈黙が互いへ歪を押し付けてくる。
「のづさん」
「ん」
呼びかけられて今度こそ、野津川は文倉へ目玉を返していた。
「モメてるんですよね」
言う文倉はそこで毛布を引き上げかぶりなおしている。
「最近まこと、ワークショップ終わりに来ないのは」
声はこもり、もらす息にわずかと語尾が揺れていた。
「あいつ、見えないですから……」
意味はまだ野津川にはピンと来ていない。むしろ次を待って思考を巡らせる。聞えてきたものといえば、向こう側へ寝返る文倉の毛布が擦れる音だけだった。
「誰かが聞かせやらないと」
遠くでひときわ大きな歓声は上がる。
選ばれた意味とはつまりあの散りざまだとして、野津川にとっての散りざまはやはり小説の完成と共にあるとしか思えない。
「……俺、寝ます」
逸れた考えに、言うべきタイミングを逃していた。それは一体、どういう意味なのか。文倉へ出しそこねた声はひどく喉へ詰まって野津川を困らせる。
見えないから聞かせてやらないと。
見えないから聞かせてやらないと。
息苦しさの中、唱えながら野津川も眠ろうとする。
見えないから聞かせてやらないと。
見えないから、聞かせてやらないと……。
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