白紙に虫 24

 駅舎の階段を下りた所。パーテーションで囲われた喫煙所の影だ。

 文倉はそこで待っていた。

 落ち合う場所を「散る会」最寄り駅を出たところ、と決めたものの、タクシー乗り場やバス停に書店、コンビニ、スーパーと辺りが賑やかなせいだと分かる。しかも時刻は夕方ときていて誰の目にも光は明らかなら、文倉はそこへ逃げ込んでいた。

 つまり初めて野津川は文倉と疾病センターの外で会っている。これはもう「ルール」を重んじる者からすればとんでもない騒ぎだったが、その「ルール」が自分たちを救ってくれるあてはもうない。

 いつも通りの挨拶を交わした文倉はワークショップからほんの数日しか経っていないというのに、また発光を強くしたようだった。今や光に包まれた表情はどことなく見えづらく、目深にかぶったキャップも逆効果とツバに光を反射させている。

「むしろ今日こそ雨、降ってくれたら良かったんですけど」

「傘ね」

 言われて野津川も言葉を継いだ。そんな具合に以心伝心、伝わるのは、野津川も今や頬から下を光らせているせいだ。

「あ、あっちです」

 隠せる傘がないなら手袋をはめパーカーのフードで首元を覆う。コンビニとスーパーに挟まれた通りへ向かい互いは靴を繰り出した。現れる角ごとに、右へ左へ散ってゆく人に紛れて歩く。

 参加するにあたって用意した物はハブラシとタオルに食料だけだ。負ったリュックに詰めていた。あとは会にあるものを使わせてもらうことになっており、想像以上に身は軽い。 

 いつからか足元は緩い上りへ変わっていた。踏みしめ進む辺りから人気は消えて、いつしか取り残されたような二人だけで歩く。

「ロッジで、俺の名前を言うようにって」

 ようやく話してもよいような気分になれた時は、続く上りに互いは息を切らせていた。

「まことちゃんは見送りに来てないん、だね」

「今日のことは内緒なんで」

 返されて野津川は、え、と思わず唇を尖らせる。

「壮大に、なってきたって」

 切り出されて何の話かといっとき思考を巡らせた。

「まことが」

 小説の話だ。そんなまことは最近、疾病センターへも姿を現していない。

「いや、ナンセンスだよ。扱い切れない、のにどうもね」

「でも残されるのはまだだいぶ先、っていうか」

「あ、言うねぇ」

 商店は今やり過ごした酒屋が最後のようだった。向こうに斜面は反り立つと鎖かたびらのごとく土留めのブロックに固められている。石造りの階段はその表面をなって折り返しつつ伸びており、行きついた高台にあるのは公園か。落っこちぬよう囲う手すりの向こうにカラフルな遊具の色はのぞいていた。

「今日明日、じゃ、タイミングよすぎて嘘くさい、かなとプラスって具合で」

「生きてないなぁ」

 こぼす文倉は今、物語の中にいるらしい。

 しかしながら辿り着いた階段を登り始める。そこに刻印された丸印は滑り止めのようだが、吹きだまる落ち葉にほとんど用を足してなかった。おかげで互いは足を滑らせないよう、うつむきながら一段一段を上がってゆく。

 無事到着した公園からの見晴らしは最高だった。一服するにはちょうどで、階段があのザマなら忘れ去られたがごとく誰もいない公園でうっすらかいた汗を乾かす。ちぐはぐな稲荷はそんな公園の奥、山側に祭られており、本格的と山へ続く登山道は傍らから伸びていた。見つけた文倉が指し示す。

「だからって関係ない、ってことにはしませんから」

 見やって思い出したように返したのは野津川だ。何しろ死んでいる時間の方が長いなら、差し迫った今、野津川にとって展開はそうするほか考えられなかった。

 再び文倉と共に歩き出す。

 稲荷へ手を合わせたその後で、登山道へと入っていった。

 山道をなぞればますます高くなってゆく視点こそ新鮮だ。やはり時間が時間である。日の傾いたそこですれ違うような人はなく、おかげで人目が気にならないならと野津川は暑くなってきたパーカーの前を開いた。さらにひとつ、分かれ道を選んで奥へと向かう。

 もう見下ろせるような景色はすっかり遠ざかってしまっていた。四方は木々に囲まれ、湿気た土と緑の香りだけが辺りに満ちる。

「おっ」

 それは慣れない足元が気になり、うつむき続けていた顔を上げた時だった。立ち並ぶ木々の向こうから、空へと光りが放たれているのを野津川は見つける。

「あ、見えてきたんじゃないですか」

 仰いだ文倉も、とたん声を弾ませた。さかいに互いの歩調は早まり、繰り出し続けたその先で景色は開ける。切り開かれた場所へと抜け出ていた。

「到着」

 唱えた文倉が達成感のままに空へ両手を振り上げる。野津川はといえば、乱れた呼吸を整え前かがみとなった。

 おそらくはキャンプ場、もしくはその跡地だ。緑の中、フェンスに囲われ平らに整備されると、中に一棟のロッジと幾つものテントを散らしているのが見えた。奥の方は緩やかにカーブしているらしい。茂みに隠れよく見えなかったが、光はそのカーブの向こうから空へ向かい放たれていた。だから皆、そこにいるのだろう。辺りに人気はなく、いるとすればフェンスの手前に立つ、一見すると健常者らしき数人のみとなっている。

「あそこで聞けばいいんですかね。俺、ちょっと見てきます」

 ロッジをうかがっていた文倉が離れていった。

 まかせることにして野津川は、ロッジを背にようやく整った息で空を見上げる。夕焼けが電線のない空に繊細なグラデーションをかけていた。朝がニワトリなら夜はカラスだ。鈍く遠くで鳴く声は聞こえ、消えたそのあと静けさを際立たせる。

「信者の、方ですか」

 話しかけられていた。

 振り返ったとたん野津川は後じさる。

「ちょっと」

 携帯電話だ。間近に振り上げられていた。

「何するんですか」

 仕草は一見してわかる動画撮影のそれで、不躾さに顔もまた隠す。

「ご自身を特別な存在だと?」

「美しい悲劇で注目を集めることに快感は?」

 投げかけられる質問は矢継ぎ早だ。

「お考えをお聞かせください。ご自身はご自身の死に優越感をお持ちでしょうか」

 それは見る間に野津川を蹴り合うボールのように取り囲んだ。

「なんですかっ。やめて下さいっ」

「讃えられることなく亡くなる多くの方へ申し開きを」

「ナルシズム。エンタメ化。不謹慎だという意見もありますが」

「僕は見学に来ただけですからっ」 

 嫌って振り払おうとした。だが相手が何人いるのか、襲い掛かるような声に確かめるヒマすらない。

「まだいらっしゃったんですか」

 声が飛び込んでくる。

「早くお帰り下さい。でなければ警察に通報いたします」

「教祖だ」

「教祖がきたぞ」

 野津川の周りで、とたんはやし立てるような声は上がっていた。

「のづさんっ」

 駆け寄る足音も近づいたなら、取り囲む気配はようやく野津川から離れてゆく。

「何が奇跡の光だ。同じ人間のクセに聖人面しやがってッ」

 吐きつける声へそうっと顔を上げていた。覚えがあるのは服装の方だと思う。フェンス前に立っていた男女は憎しみのこもった目で野津川を睨みつけていた。だとしてぞっとするのはその視線にではなく、対峙したこの関係の方で間違いない。

「どうぞお帰りください」

 立ちふさがる背が断ち切っていた。光っているのはそうしてかばい広げられた両手のみならず、夕焼けにさえ混じることない頭の先までもだ。

「こいつ、うつす気だぞ」

「ヤベー」

「逃げて逃げてっ」

 口々に言う彼らにはしかしながら切迫感こそない。

「せいぜい哀れんでもらえよぉ」

 最後まで、携帯電話が下げられることはなかった。捨て台詞を残して男女は斜面を下りてゆく。茂みの向こうから甲高い笑い声を放ち、やがてそれも小さく木々の間に消し去っていった。

 本当に立ち去ったのだ。

 知れたところで野津川は自身の背中が石かと強張っていることに気づかされる。立ちふさがっていた何者かも、そのとき野津川へと振り返っていた。

「大変失礼致しました」

 中央で分けたクセのある長髪と無精ひげがまず目に飛び込んで来る。服装は野津川らと変わらずカジュアルだったが、彼らが「教祖」と呼んでいたせいだろう。落ち着いた雰囲気も、そもそも淡く光っていることこそが、いやそれは自身も同じだったが、野津川にはどこかイメージとして漠然とあるイエス・キリストを連想させる人物だった。

「だ、大丈夫です。僕は」

 とは言ってみたものの動揺は隠しようがない。

「何なんです、アレ」

 文倉も顔をしかめている。

「ムテキ隊、とかいう抗議グループで」

 説明しつつ男はともかく中へ、と野津川らをフェンスの向こうへ促した。

「しばしばここへやってきては迷惑行為を繰り返しています。本人らもなんらか病で余命宣告を受けている、とのことですが。本当なのかどうか。ともかく来られて早々、嫌な思いをさせてしまい申し訳ございませんでした。わたくしは散る会で現在、代表を務めさせていただいております、冬木と申します」

 騒動にすっかりなおざりとなっている。遅れて野津川も名乗ると頭を下げた。

「本日は会の見学を兼ねてご宿泊のご予定ですが……」

 こんな出来事の後だ。それでも希望するのか、と確かめていた。誘ったことを気に病んでいるに違いない。文倉も心配げと野津川を見ている。だとしてもうここまできた野津川だ。迷うことはしなかった。

「ええ、予定通りでお願いしたいです」

 感謝して冬木は再び深く頭を下げてゆく。上げていくらも晴れ晴れとした表情で、散らばるテントへ視線をさっそく投げやった。

「ここは見ての通りキャンプ場を再利用したもので、同じ病でご家族を亡くされた方からのご厚意でお借りしております。お泊りいただくのはこちらのテントで、運営は基本、寄付でまかなっているのが現状です。これは入会されるとしても強制されるものではございません」

 野津川らを連れるとそうして冬木は散らばるテントの方へと足を繰り出してゆく。生活感滲むひとつをあてがわれ野津川は、中へ荷物を置いた。

「以前は皆さん、テントでもくつろいでいらしたのですが、先程ようなことが起こるようになりましてから奥へ」

 こんな場所で盗まれるようなことこそ考え辛いだろう。そこから先は手ぶらで行くことにする。ならカーブして見えたそれはむしろ出っ張りで、張り付くように屋根は張られると、下にバーベキュー用のテーブルセットはずらり並べ置かれていた。炊事場だ、と冬木は教える。

「少し離れますが、ここから下ったところに手洗いとシャワーがあります。洗濯だけは洗濯機が置けませんでしたのでシャワー室を利用して済ませる方もおられますし、定期的に下山してコインランドリーを利用される方もおられます」

 へぇ、とテーブルに触れて離れ、斜面を下ったところにあるプレハブ仕立てのシャワーや手洗いもまた見学した。いずれも参加者が当番制で清掃しているらしい。印象はどこも至って清潔で、参加者のイメージも自ずとそこに重なっていた。

「もちろん下山は個人の自由です。お食事は先ほどの場所で共用のものを召し上がっていただいても結構ですし、その場合は買い出しや調理を順番で担当していただくことになりますが、別に、ご自身で好きなものを召し上がっていただいても構いません」

 ほかにも冬木はこまごまと説明してくれている。口調は始終、慣れており、それだけでいかに多くがここを訪れているかは感じられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る