虚盗の魚 23
床に転がるヘルメットを拾い上げる。いつもの場所へ引っ掛けなおしたなら、ベランダを塞いで置かれたマシーンを見つめた。意を決したように、すぐにも視線を向けなおす。
「噂は正解」
言った。
「最近になって四人目が増えたけれど、政府の構成メンバーは創始から変わらず三人だった」
経て始められた話は、まるで用意してあったかのように迷うところがない。
「今はその四十一代目にあたる。あいだ、それっぽっちの人数で全てを管理してきた政府はもうAIを抜きに回らない組織になっていて。そもそもがAIを活用する方向で設計されていたわけだけど。それが……」
「すまーと……なっ、の?」
察した十七分が先を越そうとした。
「ネイション構想」
舌を絡めたならおれんじが補う。
「って、やっぱなんですか」
問われたおれんじが、ふっ、と床へ笑っみせた。再び前へ向きなおる。
「まだ国境があった頃よ」
声は凛と響いていた。
「最初はインターネットから、やがて交通や電気にガスを。それからは福祉、産業、エネルギーに環境を。利便性に効率化を追求したAIによる管理は拡大されていった。家に組み込まれたならスマートホーム。街に敷かれた時はスマートシティって具合。クーデター後も仕組みは引き継がれると拡張しながら今の政府も活用し続けてる。けれど四十八年前、限界は予測された。だから国家の安定した長期運営を目的にシステムの再設計は唱えられて、もっと細やかで、全てをしなやかに連携させた究極のオールインワン国家の青写真は描かれてる。もちろん承認された」
気づけば十七分共々、ぽかんと口を開いたままで聞いていた。
「それがスマートネイション。スマートネイション構想、っていうのは、現システムからその新しい仕組みへ完全に切り替えるための計画のこと」
だがここへきて、ほう、としか言葉が出てこないのだから見かけ倒しだった。
「……もう、終わってね?」
言う十七分と顔を見合わせる。
「ここがそれだ」
何をどう変えるつもりか。すでに日々の生活で実感していた。だというのにおれんじは、分かってない、と肩をすくめる。
「見た目だけはね。マネーって概念や社会保障ってシステムは確かに一括管理できてる。けれどそれだけ。交通に生活インフラの実態は、旧国境世界のままをどうにかつないで再利用し続けてる。それも国境のせいでまるきり規格の違ったやつをね。掲げた効率化の指標になんて全っ然、届いてない。だからって今更、統一できるような物量だと? 地球の表面、全部剥がして作り直す大改修の始まりよ。一体いつ完成するんだか分かったもんじゃない。だから政府は考えたの。考え抜いて結論を出した。今ある物はもう役に立たない。なら新しくイチから作った方が早い、ってね。だとして新たに浮上した問題は、もう地球にそんな土地なんてどこにも残ってないってこと」
ここまで言えばわかるでしょ。
それきり口をつぐむと言わんばかりの目で、おれんじは並ぶ阿呆面をひたすら見比べる。
「だから、移住……」
十七分がようやくこぼしていた。
「マジかよ……」
後に続けば緩んだ十七分の手元から、はまぐりもそそくさどこぞへ逃げ出してゆく。
などと誰が想像できたろうか。最新家電への買い替えよろしくだ、移住は計画されていたのだと。しかも順序を後回しにされた人間を、それこそ引っ越しの際に出る粗大ごみかと捨て去ってまで。
「でも計画は当初、全員の移住が前提だった。どこかで何かが起きて、きっと定員が制限された。それが増加した人口なのか、移住先の許容が想定を下回ったことなのか、分からない」
「つまり五年後にここは無政府状態になる、ってことなのか」
寄せた眉の下でおれんじは唇もまた結び、呼び戻して問いかける。
「まさか。もっと早いうちに経済が、生活そのものが破綻する。その頃には人口も激減しているはずだから、労働力を補って今以上にAIの支援が必要となるはずなのに、管轄から切り離されて全てが機能しなくなる。金もインフラも、食料の生産も、何もかもがきっと動かなくなる」
想像される光景は、まさにライフラインのストップした災害時だ。だがこちとらいったん陥れば、助けも来なければ復旧する見通しさえない大災害らしかった。
そうして残された人間が自力で立てなおせるかと問えば、能力のあるめぼしい者はすでに移住した後となっている。AIを頼り生きてきた者たちばかりが残されて、何をどう出来るアテがあるのか。楽観主義にも限度があった。そうして巻き起こされる混乱と貧しいを越えた状況は、想像を軽く越えてゆく。わずかな資源を巡る原始的な争いは脳裏を過り、いや資源だけに限らない。食料こそ最重要事項だ。たちまち弱肉強食の血生臭さもまた漂わせた。
弱者も悪党もだ。そりゃあ役に立たず、やらかしかねない者なのだから捨て置かれたのだから自業自得である。言われてしまえばそれまでだろう。だがそう思うほどこれはハナから仕組まれたものではなかったのか。勘繰りもまた止まらなくなっていた。なぜなら利便性を求め効率を追求すればこそ、乱す役立たずに異端者は不合理要因になる。移住はそもそも、それらを仕分けるためにも仕組まれたのではなかろうか、と。
この身が光ってさえいなければ。
こじらせ続けた恨み節のはずだった。だがまったくもって関係ない。そこは五体満足だろうと行けるはずもない場所で、ふてくされた日々は見当はずれな笑い話にただ変わる。
「つか」
かき消し十七分が声を上げていた。
「それで殴られた意味がわからねぇっ。おれんじさんよぉ」
呼びかけたなら不敵と目を細めてみせた。
「信用したいが殴った勢いでデタラメを吹き込もう、って寸法ならまだパンチが弱いぜ」
「まさか。どうして嘘を」
「さあね。だがいくら特S級だからって政府の基幹サーバーは盛りすぎだろ」
その通りだ。確かにやってのけたのだとすれば、凄腕どころか人外並のウルトラCだ。疑う十七分はじゅうぶんに冷静だった。
だがおれんじは言う。
「だって今の<ruby>政府首長<rt>GAFA</rt></ruby>はあたしの、ママだから」
それでも反射的に笑い飛ばそうとした十七分の顔面が一瞬、ピクリ、動いていた。さすがに笑い切れず、それきり互いに目を剥き固まる。
いや、だが飲み込めば、うなずけるあれやこれやは確かに思い出せていた。例えば噂だけで自身を見つけ出した全てに、「刈り」でみせたとんでもないハッキングの数々。それだけの設備を持っている理由に、ついこの間など短時間でクラッカーさえ仕込み「ゾフルーザ」へ現れたのだ。それもこれもママンのサイフをちょろまかして細工したからだとすれば、今ここで基幹サーバーをのぞこうとなんら驚くほどのことはない。それ以上、衛生局のサービスを利用するな、とうるさかったことこそうなずけていた。
であればなおさら飲み込めなくなってゆくのは、そんな人間が「刈り」に耽っている事実だ。
「なッ、なにしてやがんだ、こんなところで、お前ッ」
あらゆる意味を詰め込み吐いていた。
「だから自分が許せなかったのっ」
おれんじは唇を噛みしめる。
「そんなことになってたなんて、知らない。ママはあたしに一言も教えてくれなかった」
「いや、それでボクちゃん殴るのはお角違いかと……」
「ママがやったことと、お前は別だろ」
十七分はこぼし、こちらも口を開けばどれも会話は嚙み合わなくなる。
「さっき最近政府は四人になった、って言ったわよね」
輪をかけ確かめるおれんじに、とたん嫌な予感は走っていた。それはすでに予感のうちから衝撃的な雰囲気をまとうと、もうすでに嘘だろ、と開いた口で十七分もおれんじを見つめている。
「それは」
違わずおれんじも言っていた。
「あたしが生まれたから」
「お前、たいがいに、しろよ……」
言えた自分をほめてやりたい。
「……ドン、引き」
二人して穴が開くほどおれんじを見つめる。
前でおれんじは駆け出していた。
「あたしがなんとかするっ。移住する余地がないっていうのなら、せめてここの暮らしが保てるよう手配する。だってここが好きだからっ」
十七分と交互にだ。ぶつからんばかりの勢いで掴んだ胸倉を、力の限りに揺するってみせた。
「モニターで建物の間を飛んでる人影を見た時からずっと、ずっと。怖いもの知らずで自由気ままで。部屋から世界を監視してただけのあたしにとって、ここは信じられないことだらけの場所だった。自分の目で確かめたくて。だから初めて一人で外へも出た。怖かったけれど、それが楽しいって知れた。楽しいってことを教わった。教えてくれたここは、あたしにとっても大事な場所なのっ」
何ら反応のない服地を、そうして強く、強く、握りしめる。
「自分が壊すなんて許せない」
ままに見つめ合えばまた平手が飛んできそうな、それは瞳だった。
一度、陸のクロと組んでみたかったんだ。
「お前……」
言葉はどこからともなく聞こえてくると、あの日吹いていた風を肌へ蘇らせる。
「傲慢だな」
そうして払いのけたのは掴む手もまた、だ。十七分も不意に、ぷぷぷ、と吹き出している。続く狂ったような馬鹿笑いは豪快で、もうどうにでもしやがれ、と言わんばかりにのけぞってみせもした。
「結局、ここも向こうも、どこへ行こうと、俺たちゃ自分で出来る事は何もないってわけだ。生きてんのに無力だねぇ。まあせいぜいゴミタメで王様気分を味わっとけ、ってか」
最後をこちらへ投げかける。
「ああ王様、眩しいくらいに光り輝いてらっしゃる」
すぐにも手をかざしてふざけるが、様子にはもう腹も立ってこない。
「まあ、知れたところですっきりしたわ」
切り上げ床から立ち上がっていた。
「大変お手数をおかけいたしました。もちろんこのことは他言無用で」
おれんじへ律儀な一礼を繰り出すと、上げて口元をチャックする。
「おれんじさんも、ほどほどにしておいた方がいいと思うぜ」
その手をこちらへも振った。
「おう、クロ。はまぐりのトイレ、忘れんなよ」
帰るらしい。玄関へ向かう傍ら、ベッドの片隅に丸まるはまぐりへと投げキッスも忘れない。
やがて鼻歌は聞こえていた。
引き連れ足音は廊下を遠ざかってゆく。
靴音はやたらめったら大きかった。
鼻歌とまるきり噛み合ってもいなかった。
いや、噛み合うはずもなかった。
「バカはやめとけ」
消えたところでおれんじへ吐きつける。
「十七分の言うとりだ。首、突っ込んだら、ここでのこともバレるしかないだろ」
「かまわない」
即答するおれんじに、こちらの方こそ戸惑いを覚える。
「お嬢は」
隠したそこへ急ぎ言葉を急ぎあてがっていた。
「大人しく移住してろよ」
おれんじの目が、サッと色を変えたのを目の当たりにする。丸かった頬は血の気をなくすと見る間に削げて、言うべき何かをこらえるままに強張っていった。
「あたしが見つけた<ruby>価値<rt>セカイ</rt></ruby>は」
果てに開いた唇は、青く怒りに震える。
「あたしが、守る」
返すきびすで背を向けた。指がヘルメットを毟り取る。玄関へ繰り出されてゆく足取りにとりつくようなしまはなく、ままに部屋を後にしかけたところで思い出したように振り返ってみせた。
「さっきのでアシがついた。引っ越してもらうから。用意できたら連絡する」
それはそれは、とうなずくほかないだろう。
何しろ政府からのご命令だ。
逆らえるわけがない。
連絡はその翌日にも届いていた。
荷物をさらに絞る。
はまぐりと自身と、段ボール三つ分の荷物を指定の場所へ移動させた。
あの朝、気分良く目が覚めたことがもう遠い昔のように思えてならない。だからか、そういえばと思い出せたのは夢の内容だった。
あいつは今もそこにいるのか。
いたがもう、動き出すことはなくなったのか。
あれからおれんじにも十七分にも会っていない。
いずれも今や「かり」どころではなくなったのだろう。どうにもならぬこれからを知ってしまった以上、絶望などと空々しいほどにふさぎ込んでいるのかもしれなかった。
覚えはある。
だが違うと、あいつなら示してくれると思えていた。
不必要だと思えた時に希望はまだあり、必要だと思えたそのとき欠片も失せて見いだせない。
マシンの失せた新しい部屋でもまた夢を見たくなっていた。
横たわればはまぐりが腹へ飛び乗ってくる。
乗せてジャックを掴み上げた。
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