虚盗の魚 22

 うずくまる二人を見定めおれんじが、ヘルメットを投げ捨てる。否や繰り出す足は突進してくるかのようで、押されて立ち上がればおれんじは迷わず十七分の胸倉を掴み上げた。

「あなたっ、あたしが誰だか知ってあんなこと調べさせたっていうのっ」

 揺さぶる力に遠慮はない。勢いに短い前髪を踊らせ十七分も、目を丸くして両手を挙げる。

「どうなの。答えなさいっ」

「いや、そのぉ」

 踏んだ皿をひっくり返し、足元からはまぐりが逃げ出していった。

 それきり口ごもった十七分の目はおれんじから、バツ悪そうに逸らされる。

「おれんじさんなら確かめられるんじゃないかって、ボク」

 戻して言うと十七分は、あは、と笑った。

 顔へ、おれんじの平手は飛ぶ。

 鋭い音は鳴り響き、たちまち頬を押さえて十七分はその場にうずくまる。

「いっ、でぇー」

「何なんだよ、いったい」

 言わずにおれない。

 だがおれんじは、もまだ足りないと言わんばかりだ。肩で荒い息を繰り返していた。

「話したんだよ」

 その足元で頬をさすっていた十七分が、やおらひねった首でこちらへ投げる。

「ゾフルーザの後、追いかけただろ、俺」

 そういえば、はぐらかされた話はあった。

「どうも気になってたんだよ。政府は俺たちをだましてるんじゃねーかって。近頃、色々耳に入るんだ。だとして確かめるなら特S級のハッカーじゃなきゃ無理だろ」

「政府が、だます?」

 話は唐突で眉間を詰める。

「言う通りだった」

 おれんじだ。そこへ低く割り込んでいた。

「全員移住なんてありえない。切り離すつもりでいる。厳密にいえば移住できるのはあと五年先の移住順まで。残り十年に順序を振られた人は、この計画に組み込まれてない」

 何を言ってるんだ。

 十七分もろとも振り返る。

 何しろ全員移住しろ、と順番さえ振ってくどいほど擦り込んできたのは政府なのだ。だというのにそのいくらかは切り捨てられるなどと、言っていい事と悪い事がある。じれったくも劣等感と共に待たされ続けてきた気持ちはどうなる。いや、気持ちなんてこのさいどうだってよかった。それよりもその話が本当なら、取り残された人々は一体、ここでどうなるというのか。

 話は頭の中でバラバラになるばかりだ。しばし誰もは沈黙した。

「やっぱり」

 果てに口を開いたのは十七分だ。

「どうもおかしいと……、思ったぜ」

 絞り出して浮かべた笑みは無理やり、がちょうどに歪んでいる。晒したところで開き直ると十七分は、その場であぐらもまたかいてみせた。

「はっ、移住準備のスケジュールにどうして金融システムの乗り換え手続きが組み込まれてんだ、ってハナシだ。アッチとコッチで金回りを切り分ける。そういうことだろ。つまりそうやって、アッチとコッチを切り離すってわけだ。それによー」

 手もまた芝居がかった調子で大きく振り上げる。 

「移住予定者は通常三年前からだ。申請すれば最大五年前から移住のためのスケジュールは入手できる。だがここんとこ早めに申請したヤツが言うんだよ。政府は何も返してこねぇって」

 あいだもおれんじは自らを落ち着けるように何度も深く鼻から息を抜いていた。しなければならないほど瞳もまた揺らすと、懸命に何のことかを思い巡らせている様子だった。

「最初は俺も先に行くヤツが自慢かよ、って聞き流していたもんだぜ。だがどうもおかしいんだ。そのうち悪いこのアタマでもピン、ときたね。あいつら、順番最後の出来損ないはハナから連れて行く気なんてなかったんじゃねぇか、って」

 きっかけだ。

「クロ、電気、消して」

 指示はとんだ。おれんじの体は十七分をかすめると、マシンへ向かってゆく。

「おわっ。おれんじさん、それ動かすんですかっ」

 目で追いかけた十七分が身を乗り出した。

 何を始める気なのか、返さずおれんじはもうマシンの電源を入れている。ブレーカーが落ちてしまえば後がややこしい。こちらも急ぎ余計な電力を落とすべく部屋を一周していった。あっという間に世界から切り離された部屋はぽっかり、闇に浮かぶ。

「すげえ」

 見回して十七分が、マシン同様、ぼんやり光るこちらへも笑いかけた。

「お前もな」

「うるせぇ」

 見向きもしないおれんじの手は相変わらず淀むところがない。いつものボックスへ作文さながらパスワードを入力し、もうスクリーンを立ち上げている。

 一体、何が始まるのか。近寄ってのぞき込んだその隣に、ベッドのシーツから見つけ出したはまぐりを胸に十七分もまた肩を並べた。

 とたんスクリーンへ文字は滝と流れ始める。瞬き一つせぬ目でおれんじは、その隣へ新たなスクリーンを呼び出した。使ってサーバー間の移動を開始する。コンソールは駆使する指へ吸い付いているかのようで、速度が増そうとミスすることなく滝文字の上へウィンドを点滅さながら次々と開いていった。

「ナニ、コレ」

 光景に普通の人間がついて行けるはずもない。多分にもれずおいて行かれて十七分も振り返る。

「まだ序の口なんだよ」

「お、おれんじ、さぁーんぅ」

 教えてやればようやく十七分も、乱用し続けていた「スゴさ」を実感した様子だった。涙目で空へと吠える。

「キタ」

「へ」

 聞えたところで身を乗り出した。

 そこには一枚、ファイルが表示されている。持ち上げた人差し指で触れてタスクバーへ弾き飛ばしたおれんじは、再びその指でコンソールを叩いた。合図にかえてスクリーンいっぱいに、セルがぎっしり並んだファイルは開かれる。

「なかった」

 それが振り返ったおれんじの一言目だ。

「たどったの、三十五年分。移住が始まってからの名簿を。ならなかった。ほら、ココ」

 繰り返してセルの一点を強く指す。

「あんまり長居すると見つかる」

 あいだもセルは上へじわじわとせり上がり、何を言わんとしているのか、確かめるべく凝視する目を滑らせた。

「順番は振られているけど移住十年目のココからあと、見て、出立予定日の設定は『<ruby>0<rt>ヌル</rt></ruby>』が設定されてる」

 なるほど、だからしてとんでもない分量なのだ。セルにはIDをはじめ、個人情報が移住の優等順に並んでいた。それは目が上滑りするように生まれ出た赤ん坊の数だけ伸びると、今もなおリアルタイムで死者の数だけ縮むを繰り返している。だが番号はといえば確かに、おれんじが示す場所をさかいに「存在しない」の記号で埋め尽くされていた。

「ぼくちゃん、もう目がツブレマシタ」

 目を覆った指の隙間からのぞく十七分が呻いている。

「お前、これって……」

 だが知れたからこそ確かめるほかないのは、このことだろう。

「そう、政府の基幹ネットワーク。その」

 言ったおれんじの、突き付けていた指が引き戻されてゆく。

「移住計画を管理してるAIのファイルよ」

 口にした。

 まさか。

 過らせたその時だ。

 マシンの排熱量が跳ね上る。ファンは豪快な唸り声を上げ、そうまでかけられた負荷に緊急事態が発生したことを知らせた。

「マズっ」

 口走ったおれんじの指がコンソールの上を最速と駆け抜ける。開いていた画像を閉じるが早いか目にも止まらぬ速さで、渡って来ただけのサーバーを伝うと飛ぶように後退していった。

 あいだ、パスン、スパン、と断続的にマシンから音は響く。切ったはずだというのにふわふわと、部屋の明かりさえもが点滅を繰り返した。一体なにが起きているのか。不気味さに十七分もろとも天井を見上げたところで、最後のキーを弾いたおれんじの手が叩きつけるようにしてマシンの電源を落とした。

「手加減してよ、もう……」

 遥か静けさの底へ沈み込んでしまったかのようだ。点滅していた部屋の明かりごと何もかもが消えて、己が光りだけが闇を照らす。

 ただ中で、やがて気配は揺れ動いていた。

 おれんじだ。身を起こすとマシンから離れてゆく。

「スマートネイション構想」

 耳で追いかけ振り返れば、部屋の電源は入れなおされていった。

「それが移住計画の正式名称」

 おれんじは、そうして灯されたキッチンの明かりを背に立っていた。

「本当は全員が移住できるって話だった。用の無くなった地球はその後で、廃棄するんだって」

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