白紙に虫 21

 文倉の話によると会とは致死発光症候群を発症した患者によって作られたもので、病室や、道端で不意の最期を望まぬ患者が集まり自助グループを結成。互いに互いの最期を看取っている場である、ということだった。多くの病が末期を伏して過ごすのと違い、致死性発光症候群は最期の時まで普段通りの生活を送れることが多い。ゆえに可能となった会でもあるとのことだった。

「もうひと月前くらいですかね。全国に拠点はいくつかあるらしいんですけど、この地域にも最近、立ち上がったらしいんです」

 記憶をたどる文倉は、言ってむしろ自らへうなずき返す。

「俺、そこに参加しようと思ってます」

 顔を野津川へと向けた。そこに浮かぶ表情は実にさっぱりしたもので、なんら力むところがない。面持ちは野津川にどこか悟りを開いた僧を思い起こさせ、覚悟を決める、という言葉よりも定まった人が示す穏やかさにただ引き込まれた。

「そう、なんだ」

「ほら、見えてませんか」

 と、促す文倉が視線を投げる。

「あっちになるのかな」

 持ち上げた手で空を指した。

「山から光が差しているんです。知りませんか。夜になると特によく見えるんですけれど」

「え」

 いや、それは知るも知らないもないハナシだろう。

 だが文倉は教えて言う。

「散る会は、そこです」

「ええっ」

 思わず野津川は目を見開いた。

「じゃ、あの光って……」

 夕に、執筆の合間に、心惹かれるままベランダの窓から眺めていたのだ。歓声が聞こえてきそうな賑やかな光に何が行われているのだろう、と想像を巡らせたことも一度や二度ではなかった。

「俺も妙に奇麗だなぁ、って見てたんですよね。あの光」

 もうつまり、と情報は頭の中で整理するほかなくなっている。

「さいごで人をそんな気持ちにさせられるなんて、なんか最高じゃないですか」

 指していた指を下ろした文倉が、さらに高く空を仰いでみせた。

「見たことを時々思い出してもらえるなら、なおさら」

 そこから向けられた笑みに変わるところはなにもない。ただ頭上でにわかに空は陰り始めると、文倉が放つ光をなお強く浮き上がらせてゆく。直線的だった輪郭はのまれて見る間にボヤけると、今にも散ってしまいそうな危うさへ風はまた強く吹きつけた。

「エゴですかね」

 この人はもうすぐいなくなるのだ。

 ひどくはっきり感じることができたのは、自分もまた、ということを学んでいる最中だからだろう。そしてどうして今まで実感が持てなかったのか、野津川はようやく気付けたような気がしていた。

「いや、カッコよすぎだよ」

 だから笑い返せたのだと思える。

「お、やった」

 バンザイ、と手を振り上げる文倉はとぼけたものだ。それがフリなら続くやりとりこそ知れたものとなる。

「いや、ただのカッコつけだな」

「それ、全然意味が変わりますけど」

「そういう遊びを僕はしておるわけです」

「お、出た。小説家脳」

「馬鹿にするなよ」

「まさか。バカなのは俺の方っ」

 振り上げていた腕を下ろした文倉が、辛抱たまらず笑い出す。

 そう、実感が持てなかったのは「生きて来た心地」などしてこなかったからだ。おっつけ野津川も今、感じるままに笑って返す。

「今度、見学にいくんです。見学といってもお試しで一泊するんですけど」

 笑いおさめた文倉が投げていた。

「のづさんも行ってみます?」

 そこで日は完全に雲へ隠れてしまい、発光は意識するほかなくなって、互いは急ぎ両手をポケットへ潜りこませる。

「見学かぁ」

 興味がないといえば嘘だろう。

「用意した方がいい物も、雰囲気も知っておいた方がいいからって。行っても必ず入会しなければならない、ってことはないらしいですよ」

「入会、って、フミクラはいつ」

 そうなればこうして汗を流すこともなくなるだろう。

「まだ具体的には。体調を見計らって。でもそう先では」

「そうか……」

 野津川はしばし口をつぐんだ。脳裏には書きかけの小説が浮かび、もし自身もそこへ行くことにしたとして書き終えることはできるのだろうかと考えてみる。他者との共同生活に執筆できるような気がしなかったなら、いつもの部屋の、いつもの机と静けさが必要だと思えていた。

「興味はあるけど小説も書き上げたいしな」

 返事には文倉も、ああ、とうなずく。

「まことの連絡先、そのうち教えますよ」

「いや、どうだろう」

 もちろん本人の承諾を得た上でということは分かっているが、それでもこれ以上、致死性の病を患う者と関係を持たせるのは考え物だとしか思えない。

 と、先程から吹き続ける風に連れられ押し寄せた雲からだ。雨はぱたぱた落ちて来た。

「あ、やばい」

 見上げた文倉が足元の水筒をかっさらう。

 野津川も「わあ」と呻いて肩へカバンをくぐらせた。

「見学、やっぱり僕も参加させてもらうよ」

 返したのは芝を利用していた人に混じり、病棟へと急いでいたさなかだ。

「時間と日にち、あとでメールで送ってもらえないかな。見てはみたい」

 飛び込んだフロアでは、時計がまことの迎えは近いと知らせている。

 近頃は自身の発光が気になり野津川もタクシーを利用することが増えており、雨も止みそうになければ了解を告げる文倉とはそこで別れた。

 薄暗い部屋へ戻っても、もう急いで明かりを点ける必要はない。それもこれもワークショップで聞いていたことで、症状の悪化に驚くよりもまったくもって聞いていた通りのあれやこれやに驚かされるばかりとなっている。

 いつも通りのルーティンで風呂に入った。

 食事の準備へ取り掛かる。

 平らげてから文倉式で発光の進行具合を確かめるべくカーテンへ歩み寄ったところで目に入った光景に、閉めかけていた手を止めた。まだ止まない雨の中、光は山の端から空を照らしている。霞んでなお淡く、しかしながらしっかり空に柱を立てていた。

 謎めいていたそれは今、正体を知ってもう漠然と眺めるものではなくなっている。妄想ではなく、初めて現実を目にしているのだと強く感じ取れていた。だが恐ろしいかといえば不思議なもので、闇雲だった妄想の方が格段と恐ろしい。光はといえばやはりどう見たところで邪気ひとつなく、ただただ美しいだけだった。

 閉めたカーテンで手早く症状の進行を確かめたのち、パソコンを開く。「散る会」のことを検索し、会が発信する内容に触れるよりも先に、会についてを語る記事を読んだ。

 世の中は得体の知れぬ病に不穏だったが、すでに活動を続けている会の地元は違う様子だ。目の当たりにしたからこそ野津川同様、闇雲に恐れなくなったのかもしれず、「鎮魂の光」と大事に見守られているらしい事を知る。近しい人が光となったのかもしれない。毎夜、弔い、祈りを捧げる人がいることもブログ記事から読み取っていった。

 もしかするとこの地域でも、やがてはそのような風潮が広がってゆくのかもしれない。思い巡らせた光景はありふれた安らぎに包まれている。そんな空気の中で最期を迎えることも悪くない、と思えていた。

 だが野津川には、やはりどうしても書き上げてしまいたい小説がある。見学へ行くことにしたのも、見ておけば独りきりの執筆中も窓から眺める光に心を強くできるのではないか、そう過ったからだ。

 間違ってはいない。

 部屋で一人、うなずく。

 さあ、ならばやるべきことをやってしまおう。

 気持ちを整えなおした。

 先ほど確かめた体の発光は、また強さを増している。小説が完結するまでの段取りをなぞれば間に合うのか。焦りを感じるほかなかった。なにしろ物語はこれからなのだ。これから主人公にもやるべきことをやってもらわなければならない。その完遂は野津川にとって心血注いだ大事な作品の完成を、自身の完結を意味していた。

 弾くキーボードの音をかすかと部屋へ響かせる。物語へと野津川は、再び深く潜り込んでいった。

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