虚盗の魚 15

 それは厄介な疫病の蔓延がきっかけだ。ともない引き起こされた不具合に、かつてからあった国家間の摩擦は見る間に大きくなってゆくと、武力を伴わなかったため戦争と呼ぶかどうかは今でも意見の別れるところだが、繰り返された諜報と政治的判断の果てに世界はまさに戦争状態と緊張を高めていった。

 大国はもれなくキナ臭さをまとい、経済は不安定を常態とし、満ちる閉塞感が人をヒステリックで短絡的に変えている。

 そんなおり、各国の表に出せぬドス黒い秘密を掴んで世に晒し、目の当たりとした人々の怒りを束ねて率いる何某は現れた。後に究極のポピュリズムで新国を打ち立てたIT生まれの第三勢力。やがてネット上に首都を構えることとなった現政府だ。

 導かれてデモとクーデターはゲリラ的に頻発し、既存政権の崩壊は世界中で同時多発と起きていった。果てに人々は十数年をかけ、それまであった国境をついに消し去っている。代って電子の網でつながる限りが一国に化けると、現金から電子マネーへの切り変えもこのとき一気に進んでいった。

 そうして国家という網に加わる限り人は、言語も宗教も人種も問われることがなくなっている。組み入ることで一律に恩恵を、それら平等を維持するため政府からは制御と監視を、これまた平等に受けることとなった。

 今、世界に引かれる国境があるとすればおそらく、それら政府の網に接続しているか否かだろう。厳密には接続していなければ生きてゆけない今、接続しつつ「かる」者のように欺き過ごすか否か、に二分されている。

 ともかく組み入ることで制御された世間は「拒む」という選択枝などないかのように、移住を粛々と進めていた。のまれて十七分に問われるまで移住は「するものだ」と思い込んでいた自身こそ、いい例だとしか思えない。

 暗くなる前にジムを後にしたのは軽装だからだ。

 結局、十七分はおれんじと何を話したのをか明かさず、気が変わったら連絡しろ、とだけ残し去っている。だからといって確かめようにも、おれんじの連絡先こそこちとらてんで知らされていやしなかった。

 ひと風呂浴びて冷蔵庫から最後の一本となったビールを取り出す。傾けながらマシンの前へ腰を下ろした。しばし迷ったのは関係のない知恵と知識はいつか役に立つとして、目先を攪乱しがちだということだろう。だがそんな目先こそ心配するほどもう長くないハズだ。

 吹っ切り電源を入れる。

 おれんじと同期していないマシンはどこにでもあるただの端末で、すぐにもゴツさに不釣り合いな、ごく平凡な検索エンジンはスクリーンへ浮かび上がった。前にして文字入力に切り替えたコンソールで「移住の原因」、とビール片手に人差し指で入力してゆく。弾いたエンターキーで出された結果へと目を寄せていった。

 そのほとんどが星間移住を潤滑に行うためのサポート業者の広告だ。先人がつづる移住先での知恵袋も多い。紛れて数段下がったところに政府のホームページリンクは現れ、眺めつつまたビールをひと舐めした。

 並ぶ文字へ触れかけたところで躊躇する。

 ひと思いとクリックした。

 赤が目を刺す。イメージカラーは強烈で、重なり青い線は細いブーメランのように描かれると、その端に同じ色の鳥を乗せていた。「政府」と呼び続けているように他と識別する必要はもうなく、そのせいでどこにも識別するための名称はない。久しぶりに利用するなら、画面をスクロールさせてざっと全体へ目を通していった。

 これはあくまでも伝わる話に過ぎないが、第三勢力を最初、運営していたのはわずか三人だったという。今その数がどこまで増えたのかは知らないが、アルゴリズムが金融を管理していたように、発足当初から政府機能はそのほとんどをAIの管理下におくと、人はそのAIを監視、限られた人数でAIのメンテナンスとごくわずかな意思決定を行い国政を行っているらしかった。

 裏付けて最後までスクロールさせようと、ホームページにはかつて政治や行政を行っていたという人間の写真が出てくることはない。代りに、社会福祉窓口の味気ないアイコンが手続きを受け付けひたすら並べ置かれていた。議事トピックは下方にわずか連ねられるのみで、仕切りバーのようにそれらの合間、合間に「移住関連はこちら」のリンクバナーが挟み込まれ、ひときわ見る者の目を引いた。

 誘われるままカーソルを移動させる。

 触れたところで重みはない。

 早々、読み込まれてゆく情報量に、片側のスクロールバーでつまみが縮んでゆくのをただ見守った。落ち着いたところでひと口、ビールを含み、相応の気合を入れなおして前屈みと記事へ挑む。


「いざ、イノベーションの最終様式へ」


 色付けされた活気あふれる大きな見出しに、そういえば移住計画にはそんなキャッチフレーズが付けられていたか、と思い出す。続くのは移住先の惑星を発見するまでの流れや、惑星開発の歴史で、読み進めるに知れるその苦労といくらかの犠牲には敬意を払うほかなかった。努力が実を結んだ移住先の様子はといえば、大気の組成から気温、放射線量に人口、公共施設数に事故、事件の数までもが今やリアルタイムで表示されている。さらに下れば貼られた動画の中、到着して盛大と迎えられる移住者や、燦燦と日の差す無垢のリビングでボードゲームを楽しむ家族、芝生の上で車座となりアカデミックと語り合う人々が笑みを連ねた。かと思えばスポーツを興じる姿が生命力に満ちあふれて映し出され、入れ替わって浮かび上がった子供が地平へ駆けていく。


「インフラから日々の買い物。健康に労働。欠くことのできないライフイベントに、希望に合わせて趣味、娯楽まで。政府がフォローするさらなる充実と利便性に満ちた新世代のライフスタイルをその手に」


 流し込まれるテロップが途切れたところでキャッチフレーズが再び画面を埋め尽くした。そこで壮大だった動画は終了する。

 経歴も現状も、志さえ輝かしく、だから移り住めと言い続けていることはよく理解できた。だが滅多とない勤勉さで上から下へ読み進めたところで、本当にそれだけでこのはた迷惑なほど大掛かりな計画は実行されることとなったのか。きっかけは一体どこにあったのか。釈然としない。

 尖らせた唇を弾く。

 そこへビールをあてがった。

 最後、移住完了まで残り十五年をカウントダウンするデジタル時計へ目をやる。下には詳細な移住計画のタイムスケジュールも貼られていた。

 到着まではここから半年だ。

 そんな星へ向かう順番は残る十五年のうち、こちとら最後の十五年目となっている。

 前屈みだった体をスクリーンから剥いだ。

 思い切りの背伸びを放つ。

 それは一体、いつの話だ。

 間違いなく光とこの身は失せていたなら、徹頭徹尾だ。

 関係ない。

 いや、光りさえしていなければ関心事といえば、今頃、移住に決まっていた。

 十五年後だろうとそうして「希望」を持てたはずだった。

 だが部外者と切り離される。

 それきりマシンの電源を切っていた。

 結局、改め思い知っただけで肝心なことは何も掴めていない。

 残るビールをあおりかけ、虫が飛んでいる、と目の前で手を振った。自身の光だと気づいて一人、閉口する。

「また強くなってるな」

 気付けばもう時刻は二十時を回っていた。

 辺りが暗くなるほど発光は無視できず、八つ当たる代りに飲み干した缶をゴミ箱へ投げ入れる。缶は上手く入りすぎてむしろ正体不明の苛立ち襲われ唸った。

 ない。

 全てはない。

 関係もなければ、未来もなく、夢は無意味でおれんじからも連絡はきていない。

 俺もそのうち消えてなくなる。

 唱えて悶えるように椅子から体を引き抜く。酔うはずもないのに酔った勢いでベッドへ向かい倒れ込んだ。シーツを巻き込み仰向けと寝返ったなら、背に違和感を覚えて手を這わせる。触れたそれを引っ張り出せば、衛生局のフォンジャックだった。左右、装着には決まりがあったが、確かめてまでの几帳面さが発揮できない。適当に耳の穴へ差し込む。

 夢には必ず出てくる男がおり、境遇は似ているがまるきりどこも似ていなかった。アルゴリズムは何を根拠にあんな物を組み立て送り込んで来ているのか。鎌首をもたげ始めた憂鬱な気持ちを紛らせ、枕元のルーターをいじる。

 どうせ連れ出してくれるなら、もっと夢のある場所にしてくれよ。

 ようやく回り始めたアルコールのせいか。それともフォンジャックの温もりか。夢と現実の境目を越える瞬間は、いつもよくわからない。

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