虚盗の魚 2

「どこだ?」

 自身のスクリーンもまた立ち上げる。

「ぅうん、そうねぇ……」

 こぼすおれんじはスクリーンを睨んだきりだ。瞬きをしていない。そこに流れる膨大な情報を、まさに見開いた目から吸い上げていた。かと思えばスイッチでも入れ替えるような唐突さでふたつ、瞬きしてみせる。

「あった」

 言って掴み上げたヘッドホンには、使い込まれて皮もヒビ割れた耳当てがついおり、急ぎ広げて頭を挟み込んだ。聞えてくる音の中へと一転、静かにまぶたを閉じてゆく。

「イイカンジ。端数がジャリジャリいって荒れてる」

 例えば割引セールに為替レートなんてやつがいい例だ。ネット上に存在するマネーは常に割り切れない端数を生み出し続け、決済システムはそんな取引を成立させるべくアルゴリズムを介して常時、支払える額へと数値の操作を行っていた。あげく端数は切り捨てられるが、たとえそれがミューミクロンだろうと地上全ての取引が電子化された今、かき集めれば数分で驚くような金額へ膨れ上がる場所はある。おれんじが聞いているのはそんな電子の海でシステムが、景気よく響かせているアルゴリズムの作業音だった。何をどう聞いてもただのビープ音にしか聞こえなかったがおれんじには、その音を聞き分ける能力があるらしい。生かして海の藻屑と消える端数をガッツリちょうだいする。界隈では名の通った「刈り」の名手でもあった。

「決めた。来て」

 促されてスクリーンを同期させれば冷却ファンは回転数を上げ、こちらもこれからに備えてゴーグルの太いバンドを後頭部で絞め上げる。通して見たスクリーンの上で映像は三次元へと変わり、景気よさげと端数を放物線と連ねて吐き出すプログラム塊を火山さながら浮かび上がらせた。

「すげ」

 そのいい所へパンタグラフ、そう呼んでいるおれんじの組んだプログラムだ、を上げて枝を継ぎ、こちらのサイフへ流し込むべくルートを繋ぐのがもっぱらこちらの仕事である。工程にはバラバラ吐き出され続ける数値と数値の継ぎ目を狙う繊細さが求められ、不正を検知されぬためにも一発勝負がお決まりだった。つまり力任せの陸とは違いこちらは指先がものをいうインドア派の「かり」、というわけだ。向き不向きで言えば不向きだったが陸で狩るにこの体はもう、目立ち過ぎている。

 そう、俺の体は光っていた。

「おいおい、相場変動の時差を狙うのかよ」

 今もガリガリと処理し続ける山の如しプログラム塊には、そう表示されている。

「あら豪勢にヤるんでしょ。大丈夫よ。扱ってる情報量が多い分、タイミングがシビアなだけ。段取りは変わらない」

 言ってのけるおれんじは、まったくもって他人事でしかない。

「それにクロ」

 呼びかけ髪を払うようにヘッドフォンもまた取り去った。

「あなた失敗しないじゃない」

 言われて及び腰など示しがつかない。おう、と口の中で返せばおれんじはウインクを放ち、ひとたび十本の指をコンソールへあてがった。弾き上げるそれに音階がついているならおそらく地響きのするようなロックが鳴っていることだろう。奏でて端数を流し込む先をみつくろってゆく。こちらも出遅れぬようにマシンのトラックボールをマシュマロのように操ると、吹き出す火山を回転させてパンタグラフを上げる場所を探しにかかった。

 制限時間は十五分だ。以前は二十五分あったが、不正アクセスを嫌う企業が検知システムを強化させたせいで、近頃さらに素早い判断が求められている。

 時折、視野に浮かぶタイマーを確認しながら、処理され連なる端数の深いところへ視野を拡大、降りていった。ヘタに触れれば警報が作動するのだから慎重に、プログラムから吐き出されて無へ還りゆく放物線をなぞるとめぼしい場所を探して目を光らせる。あいだもおれんじは口座を設え、こちらのバックアップもまたこなすという器用さだ。   

 そんな二人三脚の作業にはなんの前置きも必要ない。

 ゆえに「二」からのカウントダウンが聞こえたところで、放物線とさえ呼吸を合わせる。どこでもいいが好き嫌いはあり、「ゼロ」で見極めた端数と端数の継ぎ目へ一気にパンタグラフを跳ね上げた。

 とたん流れを切り変えた放物線は痛快だ。

 すっからかんだった口座でケタもマッハと駆け上ってゆく。

 パンタグラフに遮られた放物線の先はといえば、今もなお処理に従い残る端数を無へ還していた。様子は一秒ごとに縮みゆく導火線がちょうどで、尽きてしまえばエラーが不正介入を知らせるなりゆきが待っている。

 だからして見極めもまた肝心と、数分も経たぬうちに口座が七桁に膨らんだところでパンタグラフを引き下ろした。つなぎなおされ流し込まれた端数に、途切れかけていた放物線は再び彼方へと勢いよく伸びてゆく。

 離脱はといえば、やってきたときと同じルートをなぞるまでだろう。 

 最後、怪しげな口座の虚数を実数へロンダリングすべく、ドンペリを購入した。この星の裏側の、言葉も通じないようなナイトクラブへご祝儀がわりと配送車を走らせる。そこに不備があればすぐにも口座は凍結され、大量の差し入れが無事、堪能されるに終われば残りはこちらの戦利品になった。

 唸り続けていた冷却ファンの音が小さくなってゆく。

 詰めていた息をおれんじが吐き、こちらも熱っぽくなったゴーグルを額へずらすと天を仰いだ。

 ままでおれんじを盗み見る。

 その目と目が視界の端で合っていた。

 瞬間だ。

 互いに顔を突き合わせる。ニンマリ笑んでこらえきれず、振り上げた腕を右、左、と宙で交互にクロスさせた。拳もまた突き合わせたならぴたり合った息にも、そんな刈りの一部始終にもだ、弾けたように腹を抱えて笑い合う。

 これだからやめられない。

 ほんの十分だ。十分で数百万は手に入っていた。

 事実に管理側は気づいてさえいないだろう。

 思えばなおさら笑いは止まらず、身をよじりながら立ち上がったおれんじが部屋の明かりを、エアコンを点けてなおしてゆく。最後、冷蔵庫のプラグを差し込んだなら、中から少しぬるくなった缶ビールを取り出しこちらへ投げた。

「入れてたこと、忘れてたよ」

 タブを引き上げ一口ふくむ。

「で、調子、どう」

 などと達成感すらにじませて、続きのように投げる話は確かめるまでもない。

「どうもこうも、たいして変わらない」

 そこで笑いも一区切りがつくと、昨日も明るさはこの程度だったか、缶ごとひねった腕へ視線を落とした。

「まぁ、どこかしらダルい程度かな」

 この体が果たしてどこまで強く光ればその時は来るのか。患っている、と知れたところで治療法のない「致死性発光症候群」に通院する気などさらさらわいてきやしなかった。何をどうしようといずれは光量を増して分子崩壊。巷で言うところの「光となって散る」のがせいぜいだ。

「そりゃあ、クロは陸の得点王だったからねぇ。こんな日陰じゃ、苔むしてくるのも当然かも」

 様子を眺めながら椅子へ戻ったおれんじは、外気へさらすのを嫌うように、いそいそ座面へ両足を引き上げる。そうして並べたヒザ小僧の上で、またぬるくなったビールを舐めた。

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